【解體晉書】掲示板

スレッド作成:
タイトル:
名前: E-mail(省略可)
内容:

1 : 足跡残し〜♪(16) / 2 : 年代の矛盾について語ろう!(1) / 3 : 質問スレッド (なんでもお尋ねください)(100) / 4 : 三国志人物の末裔について語ろう!(18) / 5 : 雑談スレッド(なんでもOK!!)(163) / 6 : 漢文翻訳スレッド(231)
7 : 更新記録(17) / 8 : この本ってどうよ?!   (旧:参考文献スレッド)(109) / 9 : リンク集 (便利サイト・優良サイト紹介)(6)  (全部で9のスレッドがあります)

掲示板の使い方 / 新着をメールで受信 / 過去ログ倉庫 / スレッド一覧 / リロード




1 足跡残し〜♪ (Res:16)All First100 Last50 SubjectList ReLoad 1
1 名前:仁雛 投稿日: 2005/10/03(月) 13:17:49
見に来ましたー。



記念カキコでもよいので、みなさん足跡をつけてってください(笑)

どこからきたー、とか、感想一言あるとうれしいです!!!

9 名前:菅原 投稿日: 2005/11/18(金) 23:00:05
>Guang-Biさん
お久しぶりです。ご訪問ありがとうございますm(_ _)m

クレジットの件ですが、私も仁雛さんと同意見で、
Guang-Biさんが問題なければGuang-Biさんの個人クレジットにできればと思っています。
ただGuang-Biさんに差し支えがあるようでしたら
現状のように【解體晉書】クレジットにしておきます。
ご要望を遠慮なくおっしゃってくだされば幸いです。

10 名前:Guang-Bi 投稿日: 2005/11/19(土) 20:01:56
仁雛さん、菅原さん、お気遣い大変ありがとうございます。

私が自分のクレジットを外していただくようお願いしたのは、
冊子化など、どのような形かは分かりませんが、【解體晉書】で
将来的に訳文を2次利用、3次利用していく際に、非会員にまで
連絡して許可を求めなくてはならなくなると面倒だろうな、
と感じたからです。

特にネットでは、(私も含め)当の本人がいつ「雲隠れ」して
音信不通になるか分かりませんし…
それよりは【解體晉書】クレジットにしてもらった方が、
会としての運営を無駄に妨げなくて済むのでは、と思いました。

まぁ、何か新しいことを始められる時は、(権利者としてではなく、
活動に興味をもつ者として)お知らせ頂けたら嬉しいですが(^^;)

11 名前:菅原 投稿日: 2005/11/23(水) 17:34:51
>Guang-Biさん
ご厚意とお気遣いありがとうございます。
また【解體晉書】に新展開があった場合は連絡しますので、
今後ともよろしくお願いします。

12 名前:八頭 投稿日: 2008/06/26(木) 22:36:44
皆さん、お元気ですか。
近い将来、また会員の皆さんと楽しく翻訳ができれば、と願っています。

13 名前:菅原 投稿日: 2008/07/05(土) 22:42:49
八頭さん、こんにちは。
みな変わらず頑張っていますよ。
八頭さんをお待ちしています。

14 名前:八頭 投稿日: 2008/07/12(土) 08:06:34
菅原さん、こんにちは。今日も暑くなりそうです。
翻訳に取り組めない状態が続いていますが、
掲示板は時々見学しています。

15 名前:ひろお 投稿日: 2009/08/16(日) 22:30:55
はじめまして。いつも拝見しています。
こちらのサイトに触発されて、昨年あたりから『晋書』の翻訳を始めました。
"いつか書きたい『三国志』"というサイトを作っています。
東晋の本紀をいくらか翻訳してみました・・・

更新を楽しみにしています。またお邪魔いたします。

16 名前:菅原 投稿日: 2009/11/15(日) 14:53:13
>ひろおさん
はじめまして。レスがたいへん遅くなって失礼しました。
お立ち寄りありがとうございます。
またお越しください。

名前: E-mail(省略可)
全部読む 最新50 1-100 メール受信 掲示板トップ リロード


2 年代の矛盾について語ろう! (Res:1)All First100 Last50 SubjectList ReLoad 2
1 名前:菅原 投稿日: 2009/11/14(土) 21:32:51
・『晋書』やほかの晋関係の史書の年代の矛盾についていろいろ語りましょう!

名前: E-mail(省略可)
全部読む 最新50 1-100 メール受信 掲示板トップ リロード


3 質問スレッド (なんでもお尋ねください) (Res:100)All First100 Last50 SubjectList ReLoad 3
1 名前:仁雛 投稿日: 2005/12/26(月) 22:15:19
ここは素朴な疑問、スレッドたてるまでもないあらゆる質問を受け付けます。
お気軽にご質問ください。当サイトのこと、晋代(を中心とした中国古代史)のこと、などなど。。。

漢文の翻訳や晋書本文に関する質問は→「漢文翻訳スレッド」にてどうぞー!!

93 名前:菅原 投稿日: 2009/01/18(日) 11:29:39
のりPの教え子さん、こんにちは。菅原です。
【解體晉書】に対して応援いただきありがとうございました。

出典について非常に気になられているようでしたので、
てっきり学校のレポート等で調査されているのかと思いましたが、
小説内で使うのでしたら、特に出典にこだわる必要はないと思いますので、
おっしゃるとおり「中国・晋の時代に、車胤が蛍の光で、孫康が窓の雪で苦労して勉強に励んだ故事に由来する成語【蛍雪の功】。」
で十分だと思います。
書籍名を出したいのでしたら出典ではなく「『蒙求』の一節に使われていることで有名。」
といったような補足説明をすればより良いのではないかと思います。
小説のご執筆はいろいろとたいへんだと思いますが、頑張ってください。

それでは失礼します。

94 名前:vanilla 投稿日: 2009/07/28(火) 13:40:09
周処が陸雲に教えを請う話というのは、どの本のどのあたりに載っているか、教えていただけないでしょうか?

95 名前:菅原 投稿日: 2009/07/29(水) 23:07:22
vanillaさん、はじめまして。代表の菅原です。
ご質問の件は正史でいえば【解體晉書】が訳している本の『晋書』の「周処伝」にあります。ただ現行の『晋書』はそれ以前の各種の『晋書』や稗史小説等を集めて編纂したものであります。現行の『晋書』以前の書物であればたとえば『世説新語』「自新篇」に『晋書』と同種の逸話があります。

96 名前:vanilla 投稿日: 2009/07/31(金) 10:27:22
菅原さま
丁寧なご説明本当にありがとうございました。
その資料がなかなかみつからず困っていたので、本当に助かりました。
「晋書」は図書館などでみつかるか分かりませんが、行ってみようと思います。
ありがとうございました☆

97 名前:八頭 投稿日: 2009/10/11(日) 20:34:55
『続日本紀』神護景三年(769)に
「大宰府言。此府人物殷繁。天下之一都会也。子弟之徒。学者稍衆。而府庫但蓄五経。
未有三史正本。渉猟之人。其道不広。伏乞。列代諸史。各給一本。伝習管内。以興学業。
詔賜史記。漢書。後漢書。三国志。晋書各一部。」とあります。

当時、都の大学には、五経はもちろん、『史記』、『漢書』、『後漢書』(東観漢記?)
などの史書なども揃っていたと思われますが、
この記事から大宰府の府学、そして恐らく各地の国学にも、史書が行き渡っていなかった
ことが想像されます。

この文を読んでふと疑問に思ったのですが、
『晋書』が公式に日本にもたらされた年はいつなのでしょうか。手元に史料が少なくてよく分かりません。

『晋書』が成立したのが、唐の貞観二十二年(648)です。
『旧唐書』巻六十六 房玄齡伝
「尋與中書侍郎褚遂良受詔重撰晉書,……至二十年,書成,凡一百三十卷,
詔藏于祕府,頒賜加級各有差.」
また、
同書の巻百九十九 東夷伝新羅国に
「二十二年,真遣其弟國相、伊贊干金春秋及其子文王來朝[五].詔授春秋為特進,
文王為左武衛將軍.春秋請詣國學觀釋奠及講論,太宗因賜以所制溫湯及晉祠碑并新
撰晉書.」
と、唐の太宗は、648年に新羅の使者である金春秋に『晋書』を与えたとあります。金春秋は、654年に
新羅王に即位した人物のようです。

『日本書紀』巻第二十五 白雉五年(654)七月の記事に、
「是月、褒美西海使等、奉対唐国天子、多得文書宝物、授小山上大使吉士長丹、
以少花下。」とあります。
当時、唐に朝貢していた新羅の使者に『晋書』を与えられたとすれば、日本の使者にも与えられた可能性は
高いと思います。『日本書紀』の「多得文書」の中に『晋書』が存在した
(省略されました・・全てを読むにはここを押してください)

98 名前:mai 投稿日: 2009/11/14(土) 20:58:35
初めまして突然申し訳ありません、

司馬一族(司馬懿 司馬師 司馬昭)の事を知りたいのですが三国志関係で司馬師 司馬昭の事が書かれている書籍を持っていません。
司馬一族の事が詳しく書かれている書籍を探しています、オススメな書籍などを教えていただけませんか?

突然で申し訳ございませんが教えていただけないでしょうか?
よろしくお願いします

(「司馬一族について」1 名前:mai 投稿日: 2008/07/29(火) 19:15:11 から菅原が転載。)

99 名前:えちぜん 投稿日: 2009/11/14(土) 20:59:52
司馬一族の関連書籍と聞いて、思いつくのは下記2点です。

松本一男『司馬仲達―「三国志」の覇者』 (PHP文庫)
福原啓郎『西晉の武帝 司馬炎』(白帝社)

2点目はご指定の(司馬懿 司馬師 司馬昭)でもありませんし、私も未見です。(思わずAmazonで勢いで注文してしまいました。。。)
それと、

坂口和澄『三国志群雄録』(徳間文庫)には司馬懿の項があって分量は少ないので詳しくとは言えなさそうですが紹介されています。

あとは、曹操や諸葛亮、諸葛亮死後について書かれたものを探してみると、出てくるかもしれません。

(「司馬一族について」2 名前:えちぜん 投稿日: 2008/07/29(火) 21:22:12  から菅原が転載。)

100 名前:mai 投稿日: 2009/11/14(土) 21:00:46
えちぜんさん

ご返答有難うございます、3点早速購入致しました、司馬一族の書籍はあまり無いのですね。
三国志の中で司馬懿は好きな人物の一人なので詳しく知りたいと思い出したらその子等まで興味が湧いてきました。
これからじっくりと調べていきたいと思います、色々と教えて下さいまして有難うございました。

(「司馬一族について」3 名前:mai 投稿日: 2008/07/31(木) 15:36:08  から菅原が転載。)

名前: E-mail(省略可)
全部読む 最新50 1-100 メール受信 掲示板トップ リロード


4 三国志人物の末裔について語ろう! (Res:18)All First100 Last50 SubjectList ReLoad 4
1 名前:菅原 投稿日: 2007/07/18(水) 21:45:15
三国志といえば日本における中国史の代表的ジャンルですが、
【解體晉書】自体も三国志の延長線上で生まれてきた過程があり、
【解體晉書】の会員&読者の多くの方も三国志が好きだと思います。

三国志が好きなら、三国志の人物の末裔についてどんな人物がどんなことをしたのかも
興味を覚えるのではないでしょうか?
そこでこのスレでは『晋書』を中心として三国志の人物の末裔について語りたいと思います。
ただ『晋書』に見える三国志人物の末裔の最大の一族はいうまでもなく司馬懿の末裔である
晋の皇族の司馬一族ですが、司馬一族はさすがに多すぎるので除外としたいと思います。

11 名前:孫何 投稿日: 2008/06/29(日) 01:03:26
はじめまして。
恐れ入りますが、呉の張昭の子孫について教えていただけないでしょうか。
張闓という人物が伝を立てられていると言うところまでは分かったのですが、
彼の父親や祖父は何という名だったのか、など張昭との関係が主に知りたいです。

また、そのほかにも張昭の子孫が居れば教えていただきたいです。

12 名前:名無晋書さん 投稿日: 2008/07/05(土) 19:00:16
孫何さん、はじめまして。
呉の張昭の子孫ですが、『晋書』「張闓伝」にあるように、
張闓が張昭の曾孫に当たります。また、張闓の子に張混という人物がいたようです。
それ以後の張昭の子孫については分かりません。

張闓についてネットを検索すると、「曹操の父親を殺した張闓」ばかりひっかかるので、
「張昭の曾孫の張闓」について、簡単に書き込みます。

まず、出身地が祖父の張昭と異なる点についてです。これは、一族が彭城から丹楊に移り住んだからだろう、と『晋書コウ注』にあります。多分、曽祖父である張昭の代に移り住んでいたのでしょう。
(同郷の薛兼も祖父の薛綜と出身地が異なりますが、同じ事情のようです)

張闓の少年期から青年期に関する記述は乏しいようです。その分、「志操有り」という彼の資質を表す言葉は注目されます。
この間に父親と死別しており、ほぼ同時期に呉が滅亡(280)しており、豪族の出自とはいえ、彼の置かれた環境は厳しかったようです。

こうした背景もあり、張闓の出世は必ずしも早くありませんでしたが、その後目覚ましい活躍をみせます。
307年、薛兼の推薦で、当時、安東将軍となった瑯邪王司馬睿に登用され、安東参軍に任じられます。その後、司馬睿が皇帝に即位すると(東晋の元帝、在位317〜322)、尚書にまで昇進します。
また、蘇峻の乱(327〜329)の際、兵が宮中に攻め寄せたときは、王導などの重臣とともに幼い成帝を身を以て守り、軍隊を指揮して反乱平定に尽力しています。

13 名前:菅原 投稿日: 2008/07/05(土) 22:41:16
>孫何さん
張闓は12さんがご回答された通り張昭の曾孫ですが、張闓の祖父や父は『晋書』等からはわかりません。
張闓の祖父が張承か張休かまたは別の張昭の子は不明です。

またそのほかの張昭の子孫はわかりません。

>12さん
詳しい説明ありがとうございました。

14 名前:名無晋書さん 投稿日: 2009/05/01(金) 20:23:04
献帝退位後、献帝の皇子や公主はどうなったのでしょうか?
公主2人は、曹ヒの妻となりましたが、待遇やその後が気になります。

15 名前:菅原 投稿日: 2009/06/21(日) 14:47:03
14さん、はじめまして。
レスが遅くなり失礼しました。
献帝退位後の献帝の皇子や公主についてですが、公主についてはわかりません。
皇子については『後漢書』「献帝紀」建安二十五年の条に「王に封じられていた4皇子はみな降格されて列侯になった」とあります。
この4皇子は『後漢書』「献帝紀」建安十七年の条に見える済陰王熙(曹操に殺された琅邪王熙とは別人)・山陽王懿・済北王[辷豸頁]・東海王敦(「東海恭王彊伝」とは合わない)と考えられます。

16 名前:<削除> 投稿日: <削除>
<削除>

17 名前:菅原 投稿日: 2009/09/27(日) 20:48:08
『晋書』に伝がある三国志人物の末裔についてあまり有名でないような人物を列記します。

荀顗(荀彧の六子)
荀勖(荀爽の曾孫)
盧欽(盧植の孫)
華表(華歆の子)
温羨(温恢の孫)
和嶠(和洽の孫)
武陔(武周の子)
郭奕(郭淮の甥)

続きはまた後日。

18 名前:菅原 投稿日: 2009/10/04(日) 22:22:51
続きです。

閻纉(閻圃の孫)
胡母輔之(胡母班の玄孫)
曹志(曹植の子)
秦秀(秦朗の子)
皇甫謐(皇甫嵩の曾孫)
陸機・陸雲(陸遜の孫)
夏侯湛(夏侯威の孫)
孫楚(孫資の孫)
周処(周魴の子)
牽秀(牽招の孫)
賈疋(賈詡の曾孫)
郗鑒(郗慮の玄孫)

続きはまた後日。

名前: E-mail(省略可)
全部読む 最新50 1-100 メール受信 掲示板トップ リロード


5 雑談スレッド(なんでもOK!!) (Res:163)All First100 Last50 SubjectList ReLoad 5
1 名前:仁雛 投稿日: 2005/09/23(金) 22:41:30
どんなことでもいいので、カキコミ歓迎いたします。






迷惑サイトの宣伝やイタズラは削除します^^;

156 名前:名無晋書さん 投稿日: 2008/09/03(水) 20:37:42
漫画家の故横山光輝さんの故郷で、
三国志の資料館を作る計画があるそうです。

ttp://www.chugen.net/yokoyama_museum/index.html

157 名前: 投稿日: 2008/09/05(金) 20:43:37
最近の幼稚園では、漢詩の音読を指導しているようですね。少し驚きました。
http://www.yomiuri.co.jp/kyoiku/news/20080905-OYT8T00228.htm

158 名前:アンタミナ 投稿日: 2008/10/12(日) 06:39:11
伊坂幸太郎さんの小説、「SOSの猿」が読売新聞に連載されていますが、
孔子、孟子が何気なく採り入れられています。孫悟空もモチーフとして登場
するそうです。
最近の日本の小説(歴史もの以外)で、中国の古典を作品に利用している
ものは珍しいのでしょうか?

159 名前:菅原 投稿日: 2009/01/02(金) 18:55:08
代表の菅原です。
みなさま、あけましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いいたします。

160 名前:中根 投稿日: 2009/01/10(土) 23:08:02
会員の中根です。久しぶりにちょっと雑談でも。
今年の大河ドラマ「天地人」では直江兼続が主人公になっていますが、
この直江兼続という人は晋書との関係が少しある人なのです。
ちょっとおもしろいので、雑談までに。

1、直江兼続を始めて一般に紹介した明治時代の福本日南という人は、
「徳川家康は司馬懿のような悪賢い人だが、
それと対抗して義を掲げた直江兼続は劉淵・石勒のような人だ」
という紹介をしていたようです。
(火坂雅志・編「実伝 直江兼続」角川文庫より)
司馬懿・劉淵・石勒いずれも晋書の登場人物です。
直江を紹介するにあたり、劉淵・石勒のような人だといっているのが
面白いですね。
明治時代には戦国武将よりも晋書の人物の方が有名だった?!
…さて、どうでしょう。

2、直江兼続は漢学に通じており、「六臣註文選」を刊行していますが
(俗に直江版文選という)、この文選の注には現在の「晋書」の元になった
「旧晋書」が引用されております。

161 名前:菅原 投稿日: 2009/01/18(日) 16:24:18
大河ドラマの主人公として今話題の直江兼続が『晋書』と関係があるとは興味深いですね。
今年は直江兼続ブームの影響で『晋書』までにも脚光を浴びたら良いですね。
それにしても明治時代に晋代の人物は結構有名だったとしたら本当に意外ですね〜

162 名前:<削除> 投稿日: <削除>
<削除>

163 名前:<削除> 投稿日: <削除>
<削除>

名前: E-mail(省略可)
全部読む 最新50 1-100 メール受信 掲示板トップ リロード


6 漢文翻訳スレッド (Res:231)All First100 Last50 SubjectList ReLoad 6
1 名前:中村 投稿日: 2004/11/30(火) 00:27
(移行対象  投稿日: 2004/04/28(水) 00:59)

・『晋書』の翻訳や草稿での疑義・質問・指摘に関してご自由にどうぞ!
 現行のMLとかぶる部分ですが、MLでの書式にこだわらず、楽に聞きあう・指摘しあうスレッド。

話題としては『晋書』に限らず、漢文に対する質問なども。

224 名前:八頭 投稿日: 2009/05/10(日) 17:00:03
山口さん、こんにちは。八頭です。今日は日差しが強かったですね。

筑摩『三国志』の訳、参考にさせていただきました。ありがとうございます。

山口さんのご指摘を受け、反語で考え直してみました。 推量や願望はやはり用例が少ないでしょうかね。
なるほど、主語を死者ではなく、司馬昭の行為とすると、不自然ではなくなりますね。

〔此〕豈〔為〕 仁 賢 所 掩 哉 。

〔此れ〕豈に仁賢の掩う所〔となる〕かな。(受身)

どうして仁賢が口を閉ざす(沈黙する)ことがあるでしょうか。(必ず非難を受けるでしょう)
掩は、掩口ということなのかな?と思ったのですが、う〜ん。分かりにくいですかね。
最初の掩は、土で覆うという意味ですから、もし、口を閉ざすなど違う意味ならば、別の字(閉など)を使う気もするのですが。
それでも古代の人は特に意思疎通の上で問題はなかったのかもしれません。
どうなのでしょうか。

>しかし「仁賢所掩哉」の「掩」は、この前文の「昔先王掩骼埋シ[比のしたに肉]、仁流朽骨、…」を受けて、「土でおおう」の意味とも思うのですが。
>即ち「百歳の後に奴婢に笑われるはめになり、どうして仁者賢人が〔このことを〕おおってしませましょうぞ。」
山口さんの訳を参考にさせていただくと、

どうして仁賢に覆い隠されるでしょうか。(覆い隠すでしょうか)

「掩」の意味は、こちらの方が通じるかもしれませね。
土で覆うとすると、どうも意味が通じない気がします。

225 名前:八頭 投稿日: 2009/05/10(日) 21:21:13
>〔此れ〕豈に仁賢の掩う所〔となる〕かな。
反語だから、哉の読みは「や」ですね。すみません。

〔此〕豈〔為〕 仁 賢 所 掩 哉 。
〔此れ〕豈に仁賢の掩う所〔とならん〕や。

でしょうか。
『三国志』のこの文は、山口さんのご指摘を参考にまた後で考えさせていただきます。
山口さん、ありがとうございました。

226 名前:山口 投稿日: 2009/05/11(月) 15:38:58
筑摩『三国志』の訳の
>…。どうして仁者賢人に相手にされましょうぞ。」

の部分についての「掩」の解釈が理解できずに
>「土でおおう」の意味とも思うのですが。

としたのですが、「土でおおう」⇒「(口を)おおう」を
前提としていました。私にはこの部分の訳は全く八頭さんの下記訳しかないように思います。

>どうして仁賢が口を閉ざす(沈黙する)ことがあるでしょうか。(必ず非難を受けるでしょう)

八頭さん、いつも有難うございます。

227 名前:八頭 投稿日: 2009/05/11(月) 20:46:35
山口さん、こんばんは。今日も暑かったですね。いつも私の素朴な疑問にお付き合いくださり、ありがとうございます。

『三国志』鐘会伝の訳、どうも難しいですね。
「掩口」(沈黙する、密かに嘲笑する)以外にも「掩悪」(悪いものを隠す)なども考えられ、悩まされます。

『晋書』向雄伝の問題の箇所ですが、動詞「為」が「資」を目的語にとるとき、「資」の意味は他にも
ありました。例えば、「資」(資金、もとで)の場合です。

以…為〜之資  (「〜」は多く物がくるようです)
…で〜のもとでとする、〜の費用とする、という文があります。
「嚢銭三千,以為車駕之資焉」(『晋書』食貨志)

すると、「資」の意味は一つに絞れませんね。下調べが足りませんでした。^^;
読書不足で、人が〜にくる例を他に知らないのですが、全く有り得ないわけではないと思います。
ただ、仁賢のもとでとなると、仁賢が車駕と同じ物扱いで、どうなのかな〜、
という気もします。役に立つ、という意味なら共通しています。
当時の人の比喩的表現なのでしょうか。それとも、これで普通の表現なのでしょうか。

何 必 使 雄 違 生 背 死 以 立 於 時 。殿 下 讎 枯 骨 而 捐 之 中 野 , 為 將 來 仁 賢 之 資 , 不 亦 惜 乎 。
(『晋書』向雄伝)

(試訳)
なぜ、死者への恩義に背かせ、生者(故吏)の道義からも外れさせてまで、この私を生き長らえさせるのですか。
殿下が、死者の朽ちた骨にまで報復して、荒野にお捨てになることで、仁徳ある賢人を集める元手(資本)になさろうとするのは、
なんと残念なことでしょうか。

そんな残忍なことをすると、天下の仁賢が皆失望して隠遁してしまい、人材が集まってきませんよ、という意味でしょうか。
(向雄はこんな非道が行われるなら、自分は死んだ方がましだ、というぐらいに憤っています)

殆ど直訳で、訳が練れていませんが、全体の文の意味としては「資」(参考となる事実、記録、資料)より、
(省略されました・・全てを読むにはここを押してください)

228 名前:八頭 投稿日: 2009/05/11(月) 21:07:40
どのような訳ならば、司馬昭(当時、臣下でトップ級の人ですよね)の怒りをおさめ、説得できるのか、という視点も
必要かもしれません。
もし、語られた言葉がまずければ、向雄(当時は死んだ鐘会の旧部下)の首が飛んでいてもおかしくない状況ですよね。
だから、こういう場面は、あまり変な訳はできませんね。訳がまずいと臨場感が伝わらないか…。難しい…。

敵意すら抱いていた人が、一転して、相手を許し、宴を開き、仲良く?語り合ったというのですから、
相当含蓄があるか、胸にドキリとくる言葉だったはずです。

229 名前:BaTou 投稿日: 2009/05/12(火) 20:39:15
>何 必 使 雄 違 生 背 死 以 立 於 時 。殿 下 讎 枯 骨 而 捐 之 中 野 , 為 將 來 仁 賢 之 資 , 不 亦 惜 乎 。
(『晋書』向雄伝)

『漢語大詞典』の「資」(参考となる事実、記録、資料)をよく見たら、「田横巨擘耳,猶為談者資」(元好問『学東坡移居詩』)
とあります。田横は、秦末漢初の人物。「巨擘キョハク」は、「傑出した人物」という意味のようです。(「擘」は親指の意味)

「資」(資金、もとで)より、こちらの方が自然なのかもしれません。
骨を荒野に捨てることを、賢人登用の元手とする(実際はその逆という意味で)、という解釈は意味が通じにくいので、やはり、こちらに決定します。

(試訳)
なぜ、死者への恩義に背かせ、生者(故吏)の道義からも外れさせてまで、この私を生き長らえさせるのですか。
もし、殿下が、死者の朽ちた骨にまで報復して、荒野にお捨てになれば、後世の賢人の笑いぐさとなるでしょう。なんと残念なことでしょうか。

細かいところですが、「仁賢」は「仁徳ある賢人」では長すぎるかもしれませんので、単に「賢人」としました。「資」は直訳だと分かりにくいので、思い切って「笑いぐさ」と意訳しました。
一字一句残さず訳せればいいのですが、そうすると、ガチガチの直訳になって、不自然で読みにくい文になってしまうでしょう。
向雄は既に鐘会を埋葬してしまいましたので、司馬昭が(墓を暴いて)骨を野原に投げ捨てるというのは、その時点では仮定の話になります。よって、「もし〜ならば〜だろう」としました。

しかし、あまり意訳ばかりすると、読む人に「この訳、本当に正確なのだろうか?」という疑問を抱かれるかもしれないので、難しいですね。
この場合、注に直訳が必要かもしれません。
際限がないので、これで一応止めておきます。

230 名前:123 投稿日: 2009/06/18(木) 10:48:13
殷捨能静 の意味をどなたか教えてください。

231 名前:名無晋書さん 投稿日: 2009/07/12(日) 13:06:31
積善之家厥福惟昌の意味をどなたか教えてください。

名前: E-mail(省略可)
全部読む 最新50 1-100 メール受信 掲示板トップ リロード