- 1 名前:尤島研究員 投稿日: 2002/02/26(火) 17:24
- 雑談用です。メイドと関係ないお話もどうぞ。
- 61 名前:ポール・ブリッツ 投稿日: 2005/02/21(月) 17:19:09
- >会長様
ご意見確かにうかがいました。とはいえ、人間のメイドの将来については、いちがいにそう楽観的にもなれないのではないかと思います。 誰しもがメイドに安価で効率のよい家事労働を期待するわけではないのは当然ですが、メイドが家事労働のかわりに何をするのかといったら他には何もありません。そのような存在基盤の根幹に、「より安価」「より高性能」な競争相手ができた場合の影響は無視しがたいものがあると思います。 あえて悲観的な未来図を描くことをお許しいただくとすれば、人間のメイドに訪れるかもしれない未来は、「メイドに家事意外の部分のみを求める『装飾としてのメイド』」と「メイドに機械より安価な低賃金・悪条件の作業を強いる『奴隷としてのメイド』」とに二極分化し、いずれにせよ非本来化を免れ得ない(前者は家事労働からの切断により、後者は機械への置き換えにより)メイドという存在は、かつて日常的に存在していた「奴隷」や「宦官」(あくまでも対比のために言っているので、奴隷や宦官という存在を肯定しているわけではないことを念押ししておきます)と同様、歴史の波に消え去ってしまう・・・といったものが考えられます。 まあ言ってしまえば適当な思いつきを書いたにすぎないこのシミュレーションが当たっているなどと妄言を吐くつもりはさらさらないですが、技術の発達とそれがもたらすメイドという存在の変容というものもお考えの片隅にでも入れておいていいのではないかと思います。 わたしの穴だらけの書きこみにいつもレスをつけていただきありがとうございます。
- 62 名前:笹川良一郎 投稿日: 2005/04/10(日) 01:36:29
- >ポール・ブリッツさん
まず、返信が大幅に遅れてしまったことをお詫び申し上げます。 断片的に考えたところを書くと、生身の人間のメイドに求められる業務が機械で代替され、しかもその質が遜色なく、かつ生身の人間による以上に安価となれば、確実に受容はそちらに流れると思います。けれども、多くの機械についてそうであるように、「遅れた」機械に対する愛着というのは、多くはないけれども存在するわけで、メイドについても同様のことは言えると思います。(もっとも、受容が少ない以上、それを得るためのコストが増大したり、それを請け負ってくれる相手に出会う可能性も低くなることは否めませんが。) 次いで、生身のメイドを待つ運命についてですが、2つの可能性のうち後者については、「奴隷」的な処遇を認めるか否かは諸々の通念や社会規範に委ねられており、少なくとも理念のレベルでそれが許容されることは、今後とも余り考えられないことだと思われます。前者については、機械によって代替されてしまった場合には、たしかに指摘の通りの事態になるかもしれません。けれども、それは少数は残されるであろう生身のメイドによる家事への需要、を論理的に排斥するものではありません。現在の状況は、それを部分的に例証していると思われます。
- 63 名前:ポール・ブリッツ 投稿日: 2006/05/09(火) 16:09:59
- ご無沙汰しています。気がついたら一年も書き込んでおりませんでした(汗)。
今回質問させていただきたいのは、極限状態におけるメイドと主人のありかたについてであります。 メイドと主人が乗った船が何かの事情で沈没し、「カルネアデスの舟板」状況になったとしましょう。この場合、どちらが助かるのが正しいありようでしょうか? 主人を助けるのがメイドの献身というものなのか、メイドを助けるのが主人の責任というものなのか? 原始状態に帰ってエゴをむきだしにするという選択肢はありなのか? 考えてみるとけっこう難しい問題で、わたしには答を出すことができませんでした。ですので、できればご意見をいただければありがたいのですが・・・。 コミケ前までにまた来ます。
- 64 名前:笹川良一郎 投稿日: 2006/05/30(火) 01:11:51
- >ポール・ブリッツ 様
お久しぶりです、そして、レスが遅れて申し訳ありません。 メイドが主人に対してどのような義務を負うのかについては、一般論としては、その関係で契約がどういう規律をしているのか、に委ねられた問題ですが、こと生命など個人にとって最重要の利益については、契約に全面的に委ねるわけにはいかない、と考えられます。例えば一定の極限的状況においてメイドに自身の命を犠牲にせよ(その結果を招きうる行動に出よ)という契約上の義務を定めることは、メイドが自身の存在を維持するための権利を奪うものであり、(その実質的理由はどうあれ)妥当ではなく、また理論的にも正当化しがたいのではないでしょうか。このことは、一方では主人の命がかかっている、という場合でも同様です。 極限的状況で自らの命を捨てて主人を救うのが望ましい、という考え方もありうるとは思いますが、メイドにそれを要求する段となれば、せいぜいのところ一種の倫理的な要請に留まり、さもなくば職務を果たすうえでのスローガン的なものになるのではないか、というのが私の立場です。
- 65 名前:ポール・ブリッツ 投稿日: 2006/05/31(水) 16:39:06
- >会長様
契約については理解できます。でも倫理的にはどうでしょうか? やっぱり最後にはホッブズ的状況がたちあらわれてしまうのでしょうか。 そうだとしたらなんか悲しい・・・。
- 66 名前:ポール・ブリッツ 投稿日: 2006/12/14(木) 16:43:58
- おひさしぶりです。コミケには絶対に寄らせていただきます。
ところで、質問です。ウィリアミナ・フレミング(雇い入れた画像解析チームの男たちの非能率で低レベルな仕事ぶりにキレた、とある天文学の教授が「うちのスコットランド人のメイドのほうがマシな仕事をする」といってしまい、そのために本当に新設された女性だけの画像解析チームのリーダーに据えられた、そのスコットランド人のメイド。実に優秀な仕事ぶりを見せた。サイモン・シン「ビッグバン宇宙論」上巻参照)はメイド学的にはどういう位置づけがされるのでしょうか? いい話ではあるのですが・・・。
- 67 名前:笹川良一郎 投稿日: 2007/04/05(木) 21:03:12
- レスが著しく遅滞したことを、お詫び致します。
ご質問の趣旨は、研究所・研究室で優秀な働きをする「メイド」をどう考えるか、ということと思われます。 結論から申し上げると、フレミング氏は研究所・研究室で、しかも研究じたいに従事している限り、「メイド」と呼ぶことはできないと考えられます。 というのは、私見によれば、メイドは単に特定の他者と上下関係にあるだけでなく、その上下関係が一定のプライベートな領域・場面(典型的には家)で成立することが必要です。さもなければ、会社の従業員や公務員(公益に「奉仕」する)をメイドと区別しがたくなってしまうためです。 もっとも、単に職務が遂行される物理的な空間だけで問題を処理できるかは微妙です。例えば、フレミング氏が研究室で研究じたいには従事せず、研究室の清掃や研究員のための飲食の提供のみを行っていた場合は、別途検討する必要があるかもしれません。
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