- 1 名前:名無しさん 投稿日: 2009/09/16(水) 19:55:35
- プロ野球の横浜は15日、現役最年長の工藤公康選手(46)と来季の契約を結ばないと発表した。工藤は現役続行を希望しており、移籍先を求めることになる。
2年連続最下位が濃厚の横浜は若返りを図る方針で、13日に戦力外通告を行い、コーチ就任を要請。工藤はこの日、現役を続ける意向を伝えてきたという。村上忠則チーム運営部門統括は「球団としてもサポートしたい」と語り、今季終了後に自由契約とし、移籍先探しに協力する考え。 工藤は報道陣に「どこかできるところで最善を尽くしたい。(移籍先は)国内しか考えていない」などと語った。 工藤は4月8日の巨人2回戦(横浜)に先発で今季初登板し、プロ実働年数の歴代最長記録を28年に伸ばしたが、5回8失点に終わり、その後は救援で登板。衰えが目立ち、14日現在で37試合、2勝2敗、防御率6.89の成績だった。5月に46歳で勝ち、セ・リーグ最年長勝利投手の記録を更新している。 西武の主力投手として黄金時代を築いた工藤はダイエー(現ソフトバンク)、巨人を経て2007年から横浜でプレーしていた。通算224勝。 工藤公康投手 (通告されて)そうですかとしか言えなかった。いつかはユニホームを脱がなければならない。それがいつかという話だ。粛々と受け止め、自分で苦労していくことで、目指していたことに近づきたい。どこかできるところで最善を尽くしたい。(移籍先は)国内のことしか考えていない。
- 2 名前:名無しさん 投稿日: 2009/09/16(水) 19:56:56
- 工藤「粛々と受け止める」=プロ野球・横浜
横浜から戦力外通告を受けた工藤は、15日の試合前、報道陣に「そうですかとしか言えなかった。粛々と受け止めて、自分で苦労していくことで、目指していたことに近づいていきたい」と、努めて冷静に語った。 46歳。衰えは隠せず、リードされた場面で投げる試合も増えた。目指すものが何かは語らなかったが、受け入れ先がなければ引退につながる。それでも現役続行を選ぶのに迷いはなかったという。「どこかできるところで最善を尽くしたい」 巨人から移籍した時から、横浜に恩義も感じてきた。「3年間応援してくれたファンに投げている姿を見せなきゃ。恩返しになればいい」と、まずは今季の残り試合に全力を挙げることを誓った。
- 3 名前:名無しさん 投稿日: 2009/09/17(木) 02:00:28
- 工藤、思い込めた6球=横浜
前日、今季限りでの退団を発表した横浜の工藤が、七回1死二塁から3番手で登板。いつも以上に沸き上がるスタンドの声援に応えるかのように気迫を込め、4番ガイエルをスライダーで二飛、宮本を143キロの直球で捕邪飛に仕留めた。「チームを大事にしたいし、来年うちの若手が花開くかもしれない。残せるものがあるなら、残したい」。仲間に向けても思いを込めた6球だった。
- 4 名前:名無しさん 投稿日: 2009/09/17(木) 02:02:16
- 甲子園で無安打無得点
工藤公康投手は1963年5月5日生まれ。左投げ左打ち。愛知県出身。名古屋電気高(現愛工大名電)時代の1981年、夏の甲子園大会に出場し、長崎西高戦で無安打無得点(ノーヒットノーラン)を達成する。高校生離れした力のあるストレート、大きく曲がるカーブを武器に、毎回の16三振を奪った。準々決勝まで3試合を投げ、30イニングで被安打6、49奪三振、失点1の活躍。優勝も期待されたが、準決勝の報徳学園戦で金村義明(後に近鉄−中日−西武)と投げ合い、12安打を浴びて敗れた。4試合での奪三振は56。
- 5 名前:名無しさん 投稿日: 2009/09/17(木) 02:02:55
- ドラフト6位で西武入団
高校卒業後は社会人球界入りすることを表明していたが、1981年のドラフト6位で西武ライオンズが指名し、翌82年に入団する。背番号は「47」。1年目は27試合に登板し、1勝1敗、防御率3.41、2年目は23試合登板、2勝0敗、防御率2.92、3年目は9試合登板、0勝1敗、防御率2.76と平凡な成績に終わるが、4年目の85年、34試合に登板し、8勝3敗、防御率2.76の成績を上げ、最優秀防御率のタイトルを獲得するなど、頭角を現す。その後、西武投手陣の主軸となり、在籍12年で310試合登板、113勝52敗、1293奪三振の成績を残した。85年のほか87年、93年にも最優秀防御率を記録、最高勝率を3度、ベストナイン2度、ゴールデングラブ賞などのタイトルを獲得し、西武黄金期を支えた。
- 6 名前:名無しさん 投稿日: 2009/09/17(木) 02:03:48
- FAでダイエーに移籍
1994年のシーズンオフにフリーエージェント(FA)宣言。「トレーニング施設など環境整備を球団に申し入れてきたが、ビジョンが違う」とFA宣言の理由を説明したが、西武側は「最初にFAありきではないのか」と不信感もあり、当初から残留の可能性はほとんどなかった。宣言から3日後に「残留の意思なし」と西武側に伝え、他球団との交渉を開始、1か月後に福岡ダイエーホークスへの移籍が決まった。年俸は1億6千万円(推定)と現状維持だったが「環境面など野球をするために最高の場」とダイエー入りを決めた理由を挙げた。当初の背番号は「21」。ただし、97年のシーズンからは西武時代と同じ「47」を背負った。王貞治監督のもと、前年に西武からトレードされていた秋山幸二ともに投打の要としての役割を期待された。
- 7 名前:名無しさん 投稿日: 2009/09/17(木) 02:04:43
- ダイエー日本一の原動力に
ダイエー移籍1年目の1995年、ローテーションの柱として22試合に登板、12勝5敗、防御率3.64の成績を挙げるが、チームは5位と低迷した。翌96年は29試合登板、8勝15敗と黒星が白星を上回ったものの、防御率は3.51と前年よりも向上し、最多奪三振のタイトルを獲得するなど、決して調子が悪かったわけではない。また、中堅として若手の育成にも携わり、まさにチームの要として機能した。その後、97年は27試合登板、11勝6敗、防御率3.35、98年は15試合登板、7勝4敗、防御率3.07、99年には26試合登板、11勝7敗、防御率2.38の成績を挙げ、チームをリーグ優勝に導く原動力となり、シーズンMVPに選ばれた。日本シリーズでは初戦に登板、13三振を奪い、三塁を踏ませぬ好投で中日打線を完封、ダイエー球団初の日本一への流れを作った。
- 8 名前:名無しさん 投稿日: 2009/09/17(木) 02:05:28
- 2度目のFAで巨人に
1999年、ダイエーが日本一となった3日後、他球団への移籍を前提としたフリーエージェント権の行使を表明した。「ここまでの話し合いで、駆け引きをしてきた球団に誠意を感じなかった。もうダイエーに残ることはない」と、今回も球団への不信感が原因だった。工藤投手は「僕は意気に感じてプレーするタイプ」とも語ったように、球団首脳陣との信頼関係を何よりも重んじていた。移籍に当たっては、米メジャーリーグからの接触もあったが、国内球団の巨人、中日と交渉した。最終的に巨人を選択し、1年契約、年俸2億1000万円プラス出来高払いで入団した。背番号は「47」。当時の長島茂雄監督が自宅を訪ね、「巨人で男の花道を飾ってほしい」と口説いたことが気持ちを動かしたようだ。
- 9 名前:名無しさん 投稿日: 2009/09/17(木) 02:06:14
- 41歳で200勝
巨人入団1年目の2000年、21試合に登板し、12勝5敗、防御率3.11と好成績をあげ、チーム4年ぶりのリーグ制覇、6年ぶりの日本一に貢献した。同年オフの契約更改では、2年契約の年俸3億円で更改。「(プロ生活を)19年やってきた中で、肉体的、精神的に一番苦しかったが、1年間を乗り切ったことは、自分でも褒めてあげたい」と語るなど、投手としての円熟期を迎えていた。しかし、翌01年は左肩痛などに苦しみ、登板数はわずか5試合、1勝3敗、防御率8.44という散々な結果に終わる。肉体の衰えは隠せなくなってきたとはいえ、それを技術と努力でカバーするのが一流のアスリート。02年は24試合に登板、9勝8敗と勝ち星こそひとケタだが、防御率で2.91という数字を残した。04年8月17日には、東京ドームでのヤクルト戦で勝利投手となり、通算200勝を達成。200勝投手の誕生は1992年の北別府学投手(広島)以来で、41歳での達成は史上最高齢記録だった(08年に中日の山本昌投手が42歳で達成し、記録を塗り替える)。
- 10 名前:名無しさん 投稿日: 2009/09/17(木) 02:07:29
- FAの補償で横浜へ
200勝を挙げた2004年、23試合に登板し、10勝7敗とひさびさの2ケタ勝利を挙げる。05年は24試合に登板、11勝9敗と2年連続で2ケタの白星を挙げるが、両年とも防御率は4点台後半で、ピッチングに往時のような切れはなくなっていた。06年はシーズン前半に3勝したものの、肩痛が再発して7月に2軍落ちし、そのままオフを迎えた。10月の段階で巨人球団代表は「来年もやってもらいたい」と契約継続を示唆していたが、07年1月に横浜でFA宣言をした門倉健投手の人的補償として指名され、横浜への移籍が決まった。横浜側は工藤投手の実績を高く評価、背番号も本人が愛着を持つ「47」を用意した。「意気に感じる」タイプの工藤投手は、年俸がほぼ3分の1に減るにもかかわらず、気持ち良く移籍した。07年シーズンは19試合に登板、7勝6敗、防御率3.91の成績を残し、歴代最高齢(44歳)の勝利投手となったほか、通算勝利も歴代単独15位となった。
- 11 名前:名無しさん 投稿日: 2009/09/17(木) 02:08:29
- 13球団から勝ち星
工藤公康投手は2007年7月24日、東京ドームでの巨人戦で勝ち投手となり、セパ両リーグの12球団すべてから勝利を挙げた。2リーグ制分裂以降、全球団勝利を達成したのは野村収、古賀正明、武田一浩、門倉健、吉井理人に次いで6人目だが、工藤投手の場合、その時点で消滅していた近鉄からも勝利を挙げている。近鉄を含めた全13球団から勝ち星を得ているのは工藤投手しかいない。実は、年間20勝をせずに200勝を達成したのも初めてで、投手が長く現役を続けることの難しさが分かる。08年のシーズンでプロ入り27年目を迎え、楽天の野村克也監督を抜いてプロ野球史上最長の実働年数となったが、本人は「27年間やろうと思ってやってきたわけではないし、やったからもういいと思うわけでもない」とコメントした。
- 12 名前:名無しさん 投稿日: 2009/11/13(金) 16:09:02
- 横浜・工藤が本拠地最終戦に登板、感謝述べる
戦力外通告されている横浜の工藤が本拠地最終戦で登板した。2点リードの八回、青木に同点適時打、続くガイエルに勝ち越し2ランを浴びて敗戦投手になったが「3年間たくさんのファンに支えていただき、ありがとうといいたい」と感謝。試合後は5人の子供たちと抱擁した。
- 13 名前:名無しさん 投稿日: 2009/11/13(金) 16:11:47
- 西武が横浜・工藤の獲得検討
西武が横浜を戦力外となった工藤公康投手(46)の獲得を検討していることが26日、明らかになった。
渡辺久信監督(44)は「戦力として興味がある」と説明。小林信次球団社長(61)は同投手について「補強はドラフトの成果の影響を受ける。現時点で白紙」と慎重な姿勢を強調した。12球団合同トライアウトが行われる11月11日をめどに、獲得の判断を下す見通し。
- 14 名前:名無しさん 投稿日: 2009/11/13(金) 16:13:47
- 工藤獲り、西武に続き楽天も名乗り
楽天が、横浜から戦力外通告を受けた工藤公康投手(46)の獲得を目指していることが11日、明らかになった。球団創設5年目の今季、パ・リーグ2位と躍進したが、常勝チームを構築していく上で左腕不足は否めず、卓越した野球理論を持つ224勝左腕に白羽の矢を立てた。古巣の西武も獲得を目指しており、2球団での争奪戦になりそうだ。
杜の都のマウンドで、現役最年長左腕が躍動する可能性が出てきた。レギュラーシーズンで球団史上初の2位、クライマックスシリーズも第1ステージでソフトバンクを破って仙台のファンを熱狂させた楽天が、工藤の獲得に乗り出すことが判明した。
「今年、工藤投手は本格的に中継ぎに入ったこともあり、先発だけではなく、どのポジションにでも対応できることがわかった。たゆまぬ努力を常にし、絶大な人気もある。集客もできる選手だと思う」と、球団関係者は高評価を口にした。
実際、チームは深刻な左腕不足。今季先発ローテーションを1年間守った左腕は皆無で、長谷部と藤原が5勝ずつ挙げただけ。中継ぎも有銘と佐竹の2人だけという状況にある。
今年のドラフトでは高校ナンバーワン左腕の花巻東・菊池を1位指名したが競合で敗れ、結局左投手を1人も獲得できなかった。
そこで工藤に白羽の矢を立てた。「人間的にも素晴らしい。他の選手にはない長いキャリアと経験を持ち、若手の手本になることは間違いない」と球団関係者。すでに水面下で調査を進めており、貴重な左腕としてだけではなく、常勝チームを構築していく上で工藤の経験が戦力アップにつながると判断した。
工藤の古巣・西武とあわせ、現段階で獲得に名乗りをあげているのは2球団。この日、工藤が参加しなかった12球団合同トライアウト(1回目)が終了したため、楽天側は近日中にも会談を持つ方向だ。46歳左腕をめぐって、し烈な争奪戦が展開される。
- 15 名前:名無しさん 投稿日: 2009/11/13(金) 16:14:32
- 工藤が西武と会談「なるべく早く答えを」
横浜から戦力外を通告され、国内他球団での現役続行を希望している工藤公康投手(46)が12日、横浜市内のホテルで西武と会談を行った。工藤は「なるべく早く答えを出したいと思う。帰って家族と相談して検討したい」と話した。
交渉に当たった西武・前田康介球団本部長(64)は「前向きな感触を得ています。条件の細部は明かせないが、実績なども考慮させてもらった」と手応えを感じ取った様子。工藤獲得には楽天も獲得に名乗りを上げており、近日中にも会談を行うもようだ。
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