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リーメスについて
1
名前:
収斂
投稿日: 2003/01/19(日) 12:51
リーメスについて
リーメスとは、紀元1世紀末にローマ皇帝ドミチアヌス帝が築造を始めた長城遺跡で、東はドナウ河畔のレーゲンスブルグ上流から西はライン河畔のコブレンツまでの全長584キロにも及ぶ長大なものです。この長城は、五賢帝のトラヤヌス帝とハドリアヌス帝の時代に強化され、160年ごろアントニヌス・ピウス帝の時代に完成しました。現在では、ロマンチック街道沿いにある街ディンケルスヴュールの東南7キロの一帯に、結構保存状態がよく残っています。なお中世ヨーロッパではこのリーメスのことが忘れ去られたために、地元の人はこの土塁が何なのか解らず「悪魔の城壁」というあだ名がつけられ、今でもこの言葉が使われているそうです。
リーメスの構造は、空掘を掘ってその土を土塁として積み上げたもので、土塁の上には木柵がありました。そして適当な距離にローマ軍を駐留させていました。ちなみにフランクフルトの北にバート・ホンブルグという温泉保養地があり、その北西にあるのがザールブルグで、これはローマ時代の城塞を完全に復元した街です。ザールブルグにはローマ時代の浴場遺跡や古代の発掘品を納めた博物館があるそうです。
もともとリーメスの建設の動機は、紀元9年のトイトブルグの森の戦いでローマ軍がゲルマン人に大敗したことが原因です。この戦いで、連戦連勝のローマ軍の第17、18、19の3軍団が全滅し、以後のローマ帝国ではこの軍団番号が欠番になったという逸話さえあります。現在のトイトブルグの森はミュンスターからオスナブリックにかけての丘陵地帯とされています。
トイトブルグの森の戦い以後、ローマ帝国軍は数回ゲルマニア地方に侵攻していますが、いずれもライン川〜ドナウ川の川を国境とし、その沿線に8万の軍を駐留させました。なお、このときの軍の拠点だった場所から、後のマインツやボン、ケルン、コブレンツといった都市に成長したものも少なくないです。
ゲルマン人についての記述は、カエサルの書いた「ガリア戦記」や、タキトゥスの「ゲルマニア」に詳しいですが、戦いに関して一言で言えば、ゲルマン人は体格がローマ人よりはるかに大きくて、一対一の戦いになったら負けなかったみたいです。またゲルマン人の名は、今のドイツやフランス北部をローマ人がゲルマニアという呼称で呼んだためですが、ゲルマン人には数十の部族がありました。
リーメスの防衛線は、紀元260年ごろにゲルマン民族一派のアレマン族の進入によって崩壊し、以後ローマ帝国領はドナウ川上流とライン川を結ぶ線辺りまで後退します。
余談ですが、ゲルマニア一帯にゲルマン人が住む前の民族はケルト人で、この頃の青銅器と鉄器を併用していた文化をハルシュタット文化といいます。ハルシュタットとはオーストリアのザルツカンマ−グートにある町の名前で、昔からここで産出される岩塩を通して交易が行われていました。ここからは3000個以上の先史時代の墓が発見され、ハルシュタット文化を知る上で貴重な多くの発見がなされたので、1997年に世界遺産に登録されました。
2
名前:
好古学のすすめ
投稿日: 2003/01/25(土) 01:01
リーメスの詳しい解説ありがとうございました。
ドイツは連邦制なのと英語のホームページが少ないので探しにくかったのですが、
http://www.limes-in-deutschland.de/projekt.html
によると、バーデン・ビュルテンブルク、バイエルン、ヘッセン、ラインラント・ファルツの4州が2000年3月からリーメスの世界遺産化に取り組んでおり、2004年の登録を目指しているようです。
どうでもよいことですが、スロバキアの暫定リストには「Limes Romanus」とあるそうですが、これはゲルマン側からの呼び方でしょうか。いろいろと検索してみると、逆に「Limes Germanicus」という呼び方も多いようです。日本語表記も「リーメス」ではなく、「リメス」とする人もあり(
http://members.tripod.co.jp/kodaikotsu/backnumber.htm
など)、特に、あの塩野七生氏が「リメス・ゲルマニクス」と書いておられるようです(
http://iwao.pekori.to/shiono/roma/roma08.html
)。
ところで、カラカラ帝はメソポタミアにリメスを築いたようです(
http://oak.zero.ad.jp/~zae06141/iranhistory16_0.html
)。どのようなものだったのか、今でも遺跡として残っているのか知りたいものです。
3
名前:
好古学のすすめ
投稿日: 2003/04/06(日) 23:17
トイトブルクの古戦場跡について。
リーメスに関係の深い遺跡の話です。
リーメスはライン川とドナウ川を結ぶ線に築かれましたが、それ以前、アウグストス帝の時代にローマ帝国はライン川を越え、エルベ川までを制覇しようとしていました。しかし、紀元9年のトイトブルクの戦いでウァールスを司令官とする軍団がアルミニウスに率いられるゲルマン人に全滅させられ、その結果、ライン川以東の制覇を断念したのです。
この戦いの行われた場所について、塩野七生氏は『ローマ人の物語VI』(新潮社、1997年)の中で、「惨劇の場所は、オスナブリュックの北に広がるテウトブルグの森であったといわれている。しかし、現代に至るまでの研究者たちの膨大な研究にもかかわらず、正確な場所はいまだにわかっていない。」と述べています。
しかし、イギリスのアマチュア考古学者のトニー・クラン氏が1987年にローマ時代の貨幣を発見したことがきっかけとなり、その後の発掘調査の結果、その場所がトイトブルクの古戦場跡だと確認されました。。
現在では博物館が設置され(2001年開館)、古戦場は公園となっています(
https://www.detail.de/Archiv/En/HoleArtikel/5100/Artikel
、
http://www.mupk.de/
など)。現在ドイツで最もホットな遺跡のようですが、暫定リストにも載っておらず、世界遺産の話はないようです。
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