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歴史上の人物を数値化するスレ避難所
1
:
さば缶
:2008/08/18(月) 21:28:17
ザビビが落ちているようなので避難所を作りました。
2
:
さば缶
:2008/08/30(土) 01:54:44
>>601
まで反映しました。
ネタ・時代別・評者別は追って更新します。
また指輪物語関連はレビュー数も多く非常に読み応えがあるので
時代・地域別にコーナー作ると思います。多分Fate+神話も。
3
:
通りすがりの酷評家
:2008/08/30(土) 21:28:39
各スレに掲載された評すべてが、まとめにあげられているわけではないようですが、
その基準とは何なのでしょうか?
4
:
ガーリックトースト73%
:2008/08/30(土) 22:14:44
修正箇所がいくつか見つかりましたので、対応の方をよろしくお願いします。
・「
>>566
ダヴィド・ベン=グリオン」をクリックするとなぜか「アンテ・パヴェリッチ」が表示される。
・「
>>536
ポルフィリオ・ディアス」と「
>>562
イアン・ダグラス・スミス」、「
>>571
ボカサ1世」の特殊能力がなぜか追加されている。
・「
>>497
ヴェスパシアヌス」をクリックすると「ウェスパシアヌス」と変更されて表示される。
・「
>>579
順治帝」と「
>>583
道光帝」の間に投稿された「嘉慶帝」が未掲載。
重ね重ねご足労をおかけします。
5
:
<削除>
:<削除>
<削除>
6
:
さば缶
:2008/08/31(日) 00:31:45
↑レス番間違えたので削除
>>3
結構変遷がありまして……。
たとえば2chでやっていた最序盤のころは
フォーマットが現行と違っているものは基本的に載せていません。
今の基準はザビビでハンドルありが基本なので評者さんごとに
見るようにしています。
新規レビュアーの方で
・列伝(または総評的コメント)を書かない
・いきなり90台連発のレビュー
↑などは僭越ですが、ちょっと様子を見させていただいてます。
また、ネタ的レビューは後回しになることがおおいです
後は単純に記載漏れです。
そんなところです。
>>4
反映しました。
7
:
3
:2008/08/31(日) 01:23:06
>>6
了解です。自分もしばらくしたら人物評を載せる…かもしれません。
しかし…本当に評価したい人間の対比として書いてますが、暗澹とした気分になってきます…
8
:
さば缶
:2008/08/31(日) 22:30:42
評者別をthebbs2のレビューまで更新しました。
つかまだやってなかったのか、という感じですが……
>>7
そんな鬱な気分になるほどの人物……誰でしょう?
9
:
ハーン
:2008/09/21(日) 03:11:27
現行の数値化の状況が恐ろしいほど、爆発的に増えてるなあ……
更新頑張ってください
10
:
さば缶
:2008/09/28(日) 10:25:25
がんばりもす!
11
:
片田舎の偏屈士
:2008/09/29(月) 18:51:46
焼け石に水かも知れませんが、評者間で連携して手伝えませんかね?
ただ評している身としては申し訳なくて・・・・・
12
:
喝食
:2008/10/06(月) 02:35:30
急にやり過ぎてしまいました。ご苦労をおかけして本当に申し訳ありません・・・
自重します。
13
:
さば缶
:2008/10/15(水) 01:42:59
皆さん、歴史・ネタ問わず遠慮せずどんどんレビューを書きまくって下さい!
今月はちと忙しいので更新は難しそうですが、いずれ必ず追いつきますので。
ネタ系に関してですが、向こうだと遠慮もあって思いっきり書けない事も
ある感じですので、こちらにネタ専門スレを作ろうかと思うのですが
どうでしょうかね。
14
:
ガーリックトースト73%
:2008/11/15(土) 01:43:19
したらばの避難所に移転とのことですが、
今までの2chやTHEBBSと違い、新しい評価者の方が入りにくく閉鎖的になる恐れがあると思います。
歴史 BBS@10ch掲示板
http://www.10ch.tv/bbs/history/
国際情勢@3ch掲示板
http://news.3ch.jp/kokusai/
探してみると、他にも結構有望な掲示板ありますよ。
15
:
喝食
:2008/11/21(金) 04:38:58
スレ立てお疲れ様です。ありがとうございます。
以前の状態が継続できなくなった時にどう対応するのが適切か。
ある意味、歴史的と言えなくもないでしょうかうーむ・・。個人的には移転先は安心して数値化できますし、
投稿させていただきました。ガーリックトースト73%さんのおっしゃる通り、その分新規の方が入る際はど
うかということになりますがよくわかって入って来てもらえるとも言えますでしょうか。数値化するだけな
ら問題はないので臨安などというわけではないですが、したらばの移転先で投稿を継続させていただきたく
は思っていたのですが・・。どのような場所であれこのコーエー数値化スレが継続してよりおもしろく
なっていくのを願っております。
16
:
saba
:2008/11/21(金) 06:28:29
コテハン前提のところがいいですねー
17
:
片田舎の偏屈士
:2008/11/27(木) 21:05:25
さば缶さん、いつもお世話様です。
現在、リアルで忙しい毎日ですが、資料などの収集は行っています。
年末年始には複数の人物評を乗せたいものですね。
18
:
ガーリックトースト73%
:2009/01/06(火) 20:54:27
久々に来てみたら・・・めちゃくちゃ過疎ってるじゃないですか。(過疎どころか人いないし)
管理人さんはもう消えたんですか?THEBBS時代の更新がまるきりされてないですが。
まあ、何はともあれ評価してて楽しかったです。
どこかの掲示板で再開されることを心待ちにしております。ではそれまでゴキゲンヨウ。
19
:
片田舎の偏屈士
:2009/01/09(金) 21:02:03
年末年始で評価するといって、
私事で忙しく資料をまとめることも出来ませんでしたorz
一応、評価の対象はフランス革命前後を考えておりますが、
まとめるのが大変な時代です。
>>18
大御所の方々も行方知れずで大変な状況です。
日本では資料も揃いにくい、ネットでも記事の集めにくい過去の人物を評価するということは
大変なので、過疎るのも仕方がないでしょう。
Wikipediaに乗っている情報まんまで評価する人達ばかりならば人も増えるのでしょうが・・・
20
:
喝食
:2009/01/14(水) 12:52:29
評価人数が増えたこと。THEBBSがやりやすかったこと。最後であったこと。
初期にやっていた方がいらっしゃらなくなったこと。数値化自体が複雑化
したことなど理由は何個かあるのでしょうね。
時間の経過でやむを得ない面もあるでしょうが。これだけのものがもったい
ないですし、低調な時こそと思いますので個人的には細々とではありますが
数値化を継続させていただこうと思います。自分もそうでしたが見てくれて
いる人は多いと思いますので。やってない方も気軽にやっていただきたいも
のです。
21
:
あんこ
:2009/12/15(火) 20:10:52
管理人は管理する気ないなら誰かに編集権ゆずれよ
一体何年かかってんの?
22
:
ほーえんつぉれるん
:2009/12/18(金) 20:18:02
>>21
まったくだ
23
:
喝食
:2009/12/31(木) 15:01:43
このまとめサイトが無ければ数値化やってないです。
これまでの管理人さんのご努力には感謝してもしきれません。
ていうか更新はもう無理でもお考えだけでも知りたかったのですがもういらっしゃらないでしょうか…。哀しい…。
ガーリックトースト73%さんのおっしゃったことももっともでしたが代替が無いままここも消えてしまうのはさみしい気がするので勝手に続けさせていただいてます。
もし駄目だったらおっしゃって下さい。
「数値化は滅びぬ。何度でも甦るさ!」
24
:
名無し渡世人
:2010/02/17(水) 21:19:59
始めて見たが、まことに下らない企画だ。
既成、かつ現代の凡人の価値基準で過去の偉人は計れない。
早くや止めてくれ
25
:
喝食
:2010/02/17(水) 23:27:01
そう思われるのも無理ないと思います。
でも自分の好みが全てではないことには気がつかれるとよいかもしれません。
「私は〜が嫌いだ。下らない」というのは知らない他人との関係ではあまり意味がありません。
好きな者としては少し残念ではありますが。
あと誤解無きよう、個人的には「計れる」なんて夢にも思ってません。
コーエーゲームの数値と同じくどうか本気にされないよう切に願います。
まともな返事期待してなかったら申し訳ないです。
26
:
初見
:2010/03/11(木) 14:57:31
ここの能力をざっと見させてもらいましたが軍事実績を統率と武力に混同しての評価が多いような気がします。
コーエーゲーでは統率はあくまで軍事的な実績をどれだけあげたかが評価基準になっていて、
武力は個人の武勇がどれほど戦闘に影響させたかが基準になっているのではないでしょうか。
あと部下に裏切られたかで統率をマイナスする傾向もありますが、
相手の策略謀略や自らの失態で離反を招き軍が崩壊したなら統率がマイナスされるでしょうが、
自身のふるまいや言動から部下に恨みや不平を抱かせ殺されたというパターンだと魅力がマイナスされるものだと思います。
ここでは曹操の武力が92で呂布の武力が80となってるけど、この二人が一騎打ちをしたら負けるのは呂布でしょう?
武勇に優れていた人と腕っ節はそれほどでも無いけど用兵能力の高さで勝利を重ねた人物の区別が出来てないんじゃないですかね。
27
:
喝食
:2010/03/12(金) 20:28:27
華雄、顔良、夏候淵などのように三国志の時代ですら正史では一騎打ちはあんまりなく想像が多いです。
皆無に近い時代が多いかと。
個人的武勇で戦いが決まることははリアルでは少なく、組織が発達していない時代か極めて小規模な戦闘が多いと思います。
幅広い時代を扱っているので率いた軍や部隊の戦場での戦闘力、組織力、戦術、士気などをメインに考えてこれを武力で数値化してました。
カエサルに一対一でなら勝てるケルトの戦士は結構いたでしょうがカエサルの率いる軍・部隊は別だという感じでしょうか。
統率は行軍とか兵制とか戦闘以外の能力を表すのにしてましたが好みによるかもしれません。
暗殺はそうですねー、迷います。
でも魅力そんなでもないのに凄まじい恐怖でなかなか暗殺されないという独裁者も時々います。
寛容な統治で魅力抜群で政策も時代にあってるけど革新的なんで保守派に暗殺された人の魅力を下げるのもなんか違う気がします。
うまく答えられてないですが個人的にはこんな感じに思いました。
あまり現実的でも面白くないかもしれませんし別のやり方もあると思います。
28
:
うああうあ
:2010/05/23(日) 23:28:33
更新してください
イヤなら編集権を誰かに譲る
それもできない管理人はバカなの?視ぬの?
だから過疎るんだよ
29
:
りあ
:2010/07/05(月) 23:02:46
私は、小学3年です。
::私には、彼氏がいま
す。彼とわたしは、デー
トの時、どちらかの家に
行き、だれもいないとき
、部屋で横になって裸で
だきあいます。それがだ
んだんエスカレートして
いって、学校の体育倉庫
で服をぬがされ、まだ3
年生ですが学年で1番大
きいおっぱいを、つかむ
ように触られたり、しゃ
ぶったりされます。最初
は、苦手だったんだけど
だんだん気持ちよくなり
サイコーです。しかも、
わたしは、学年1美人で
もてます。彼も同じで、
美男美女でよくみんなに
うらやましく、思われま
す。
::このカキコ見たあな
たは4日後に不幸がおとづ
れ44日後に死にます。そ
れがイヤならコレをコピ
ぺして5ヶ所にカキコして
下さい。私の友達はこれ
を信じず4日後に親が死に
ました。44日後友達は行
30
:
かえる
:2010/07/06(火) 08:26:34
数値化スレ、面白いな、と感じていて好きでした。
このスレが停頓していることが寂しいです。
31
:
大和
:2010/07/06(火) 20:00:32
>>30
では、誰を数値化したいですか?
一緒に考えましょう。日本史・中国史ならある程度分かります。
32
:
かえる
:2010/07/08(木) 21:40:33
米内 光政(よない みつまさ)
政治 72
武 51
智謀 80
魅力 67
絶惨になったであろう本土決戦を阻止した男。
敗北の中にも確かに光るものを持ついぶし銀の魅力があります。
能力値は判官贔屓でインフレしないように気を付けました。
33
:
りんご
:2010/07/19(月) 22:37:01
李舜臣(イ・スンシン)
豊臣秀吉の軍隊が朝鮮へ侵略したとき、海戦においてこれを鮮やかに破った朝鮮の名将。
清廉な人物で、その統帥の才と言い、戦術能力と言い、あるいはその忠誠心と勇気においても、実在したことそのものが奇跡と思われるほどの理想的軍人であった。
英国のネルソン以前において海の名将というのは世界史上この李舜臣を除いて存在しない。
政 61
統率 82※
知 79
カリスマ 80
※海戦において+15加えられる。
34
:
ゴリラ
:2010/07/19(月) 23:02:58
鳩山由紀夫
過度のユートピア思想から国民の支持を失い、総理の座を降りる。
支持率急落の時は、「日本の悪夢」(塩野七生)、「憲政史上に残るほど愚劣な宰相」(産経新聞)と酷評される。
「日本列島は日本人だけの所有物じゃない」などの友愛に基づく発言が一部の日本人に反発される一方で、
韓国メディアからは好意的に評されている。
偏って誉めるとしたら、民族を超えた融和を夢想した、五胡十六国時代の前秦皇帝、苻堅(ふけん)の輩(ともがら)の器か。
いずれにせよ、鳩山氏の評価が定まるのは、暫く時間が経つのを待つ必要があるだろう。
政治 61
統率 52
知力 59
カリスマ 60
35
:
pinky blue
:2010/07/21(水) 08:48:15
織田 信忠
おだ のぶただ
統率 61
武力 55
知力 53
政治 57
魅力 62
かつては高柳光寿の説が一因で能力に乏しい人物と評されることもあった。
その反動で、現在は過褒に論じられる傾向がある。
(武田勝頼の評の変遷とやや似る)
評価が落ち着くにはまだ時間(議熱の冷却期間)を要すると思われる。
36
:
pinky blue
:2010/07/25(日) 23:31:13
ジョージ・W・ブッシュ
第43代アメリカ合衆国大統領。
知性を疑われるような発言は「ブッシズム」と呼ばれ、非難された。
側近の意見には耳を傾けると言われる。
戦死した兵士の家族に対して、ブッシュは直筆の手紙を出し続けた。
アフリカ諸国に対する支援に極めて熱心であり、評価する声が強い。
ブッシュが直面してきた状況は、第二次世界大戦後で最も厳しい時期だったとの見方もある。
激しいバッシングに対して良くも悪くも挫けなかったブッシュは、ある意味将器たる高貴なる愚鈍さを備えていたかも知れない。
政治 69
知力 61
統率 70
カリスマ 56
37
:
燕
:2010/08/02(月) 06:28:49
後漢の光武帝・劉秀
統率 98
武力 90
知力 96
政治 95
魅力 97
昆陽の戦いでは劉秀の奇策によって僅か1万の兵を率いて40万以上の新軍を撃退した事や、劉秀自ら出陣した時は殆どの戦いで勝利になっていた事から統率・知力は非常に高いと思います。
又、皇帝即位後も暫くは陣頭に立って積極的に戦っていた事から武力の高さが伺えます。
そして、政治についてもかなりの手腕があったと思います。特に軍縮や、罪人を匈奴との国境に兵として配置したりと国力の節約的な政治を行いました。
魅力に関しても、前漢の高祖・劉邦に引けを取らないぐらいに高いと言われています。
恐らく、中国史上でも能力で劉秀に並ぶのは唐の太宗・李世民や明の洪武帝・朱元璋ぐらいでは無いでしょうか?
しかし、劉秀は粛清を行わなかったのでその点ではこの2名は若干劉秀に劣ると思います。
38
:
燕
:2010/08/02(月) 06:49:31
後漢の魏王・曹操
統率 82
武力 78
知力 84
政治 86
魅力 80
三国志の中で能力値合計が最高の人物を、世界史に引き出すとどうなるのかと思い評価してみました。
まずは統率ですが、曹操は少数で袁紹を破ったという評価は出来るのですが、重要な戦いでの負けが目立つので80台にさせて頂きました。
武力に関しても、少数精鋭と言う意味ではそこそこ高いのですが、大軍になるとそこまで強くないんじゃないか?と、思います。
知力ですが、後継者選びは孫権や劉備よりも優れていたと思うのでそこそこ高めです。
又、屯田制を実行するなど政治は他の能力よりも高いだろうと思います。
魅力は微妙な所です。容姿は優れていませんが、裏切った陳宮を再び登用しようとしたり手厚く葬るなど、人一倍優しさは有るようです。
39
:
かえる
:2010/08/27(金) 22:42:55
>>37
劉秀は世界史レベルでも傑出した人物ですよね。
「柔よく剛を制す」
2000年の時を経てなお光を放ち続ける名言です。
>>38
曹操の能力値、概ね賛同します。
多才で世界史レベルでも高い水準にある人物だと思います。
40
:
かえる
:2010/08/27(金) 23:33:13
前漢の簒奪者・王莽(おうもう)
統率 59
武力 41
知力 66
政治 76※
魅力 33*
[特殊能力]
※理想主義
身分が君主になると政治が半減する(76→38)。
*世論操作
魅力×2(33→66)。
身分が君主になると能力は失われ、再びこの能力を得ることは出来ない。
統率:遠征を繰り返しており、匈奴には30万人、西南の句町国には20万人の兵を派遣している。
自ら軍を率いての実績は無い。
武力:武を現すエピソードは史書に記されていない。身長7尺5寸(約173cm)は当時では高身長か。
知力:「礼経」を受け、学を広めた。
政治:簒奪するまでの手腕は奇術のように鮮やか過ぎる。
周を懐古する幼稚な乱政は大失策であった。
魅力:虚名のためなら、長男・次男を死に追い込むことも厭わない。
後世に悪名を残した。簒奪者と云えば、王莽。
「酒は百薬の長」は王莽の詔(みことのり)の一節。
乱政に対して各地で反乱の火の手が上がると、王莽は憂鬱で食事も進まず、アワビを食べてはもっぱら酒を飲んでいたと云う。
41
:
燕
:2010/09/03(金) 15:41:54
>>39
レス、有難う御座います。
>>40
王莽の評価は私も納得出来ます。
特に特殊能力。これは現代政治家にも似ている人が何人も居ますね。
皇帝(総理大臣)即位(就任)前は世論を味方に付け、即位(就任)直後は支持率が高かったものの、暫くするとボロが見え始め支持率が低下し反乱を招いて滅亡(辞任)。
決して、無能って訳では無いと思いますが、この人に初代皇帝の荷は重すぎたと思います。(大抵、初代皇帝は優秀な者が多い。)
42
:
ゴリラ
:2010/09/08(水) 23:32:11
>>41
>これは現代政治家にも似ている人が何人も居ますね。
>皇帝(総理大臣)即位(就任)前は世論を味方に付け、即位(就任)直後は支持率が高かったものの、暫くするとボロが見え始め支持率が低下し反乱を招いて滅亡(辞任)。
燕さん、味わい深い言葉ですね。
オフィスのパソコンからこの文を読んで、心の中で少し「むう」と呻らされました。
43
:
のんびり屋
:2010/10/06(水) 23:44:02
こんなところがあったのですか
もう一つのほうに書き込んでました
44
:
通りすがり
:2010/10/12(火) 20:14:31
日本人に対する評価が妙に高いのは仕方の無いこととは言え残念
日本人に対しては
〜〜では失敗したが〜〜で挽回したため
他は
〜〜では成功したが〜〜で失敗したため
と言うような記述が多く読んでいてちょっと萎えてしまった
45
:
パトリオット
:2010/10/14(木) 12:37:57
日本人だし全く贔屓目がないのも味気ないかと。
現実的な数値と心情的なの両方あればいいんですけどね。
46
:
のんびり屋
:2010/11/10(水) 15:17:28
>>40
乙です
理想主義者の簒奪者さんですね
彼の有能さと悪いところがアンバランスにとけあった能力配分が
特殊能力で見事に示されていて素晴らしいです
47
:
のんびり屋
:2010/11/10(水) 15:22:20
さて私も投下させていただきます
前回の法正に引き続き、今回も三国志から一人いきます
法正の立案を見事に実行してみせた遅咲きの勇将さんです
黄忠
?〜220年
統率 58
武力 82
知力 43
政治 43
魅力 76
48
:
のんびり屋
:2010/11/10(水) 15:26:30
統率
自分で一勢力を率いていたわけでもなく、彼の活躍はあくまで武将として一軍を率いる事にあった。
それ故に基本的に離反もなければ組織指導の手腕が示された事もない。
ただ常に全軍の先陣を切って戦い抜く勇猛な戦いぶりに部隊を付き合わせた事を評価して、並より多少上、というこの数値とする。
武力
比較的平和な荊州で過ごしていた事もあり、前半生はろくな活躍がなかったようだが、劉備に仕えてからは一気にその本領が発揮された。
常に先陣を切って敵陣を陥落させ、「武勇剛毅三軍に冠たり」と称えられ、漢中戦では一戦で精強な夏候淵軍を大敗させ、夏候淵自身も斬り倒すという大功をあげた。
諸葛亮の発言を見るに、勇猛な張飛や馬超ですらも、その活躍を近くで見たからには大昇進をしても納得してしまう程の武功の人であったようだ。
知力
正史で見る限り、基本的に知力が試されるような場面があったわけではない。
曹操が荊州を制覇したときはそれに従い、劉備が荊州を制覇した時はそれに従い、といった感じで、
その決断も大抵の場合彼の上には上司がいた事から、その上司がしていたと思われる。
趙雲関連の注釈には曹操軍の兵糧貯蔵庫に目を付け、趙雲を従えてこれを襲撃しに行ったのはいいが、
深入りしすぎてしまったのか刻限を越えても戻れず、趙雲に出迎えてもらった記述があるので、勇猛故に多少慎重さを欠くところがあるのかもしれない。
基本は知略より勇気と実行の人なのであろう。
49
:
のんびり屋
:2010/11/10(水) 15:29:35
政治
政治的な記述は特にない。ただ、前半生を比較的平和な荊州で過ごし、それなりの官職を得て活動していた以上、
軍隊や地域の管理などを行っていたと思われ、そこでの悪い評判もいい評判もないので、可もなく不可もない程度の政治性はあったと思われる。
文官が本業ではないのでこのくらいあれば十分か。
魅力
季漢輔臣賛では義に厚い壮士であったと評価されており、劉備からも大層気に入られていたようだ。
曹操に従った時もいきなり将軍代行に任じられている。自ら先陣を切り、難局にあっても怯まず進み、士卒を励まして
正史曰く「金鼓は天を震わせ、歓声は山を動かす程」という高揚状態を作り上げて戦いぬかせている事から、中々の魅力はあったと思われる。
50
:
のんびり屋
:2010/11/10(水) 15:31:06
保有スキル
仝殄餬穃
部隊を激励し、士気を盛り上げる事で極限まで力を発揮させる能力。
このスキルが発動すると彼が率いる部隊の士気、攻撃力、防御力が増大する。
∪莇遒影遊
自ら全軍の先頭に立って突撃し、敵軍を真っ先に陥落させる能力。
このスキルが発動すると彼が率いる部隊の機動力、攻撃力が増大する。
51
:
のんびり屋
:2010/11/10(水) 15:34:41
列伝
―――武勇剛毅三軍に冠たり―――
字は漢升。元は南陽の人だったらしい。荊州牧の劉表に使えて中朗将となり、劉表の従子と共に長沙の攸県の守りを命じられる。
曹操が荊州を平定すると裨將軍の代行となり、長沙太守韓玄に属した。
やがて赤壁以後に劉備が荊南を平定するとその臣下となり、蜀平定戦に従軍。
比較的平和な荊州にいた事もあり、これまでこれといった活躍の記録がなかった彼はここでその本領を発揮する事になる。
蜀平定戦においては常に全軍の先頭を切って突撃して敵陣を陥落させ、その武勇剛毅は三軍に冠たる者と称えられた。
その功績から蜀平定後に劉備から討慮将軍に任じられる。
劉備の漢中平定戦にも参加し、蜀軍本隊に属して進軍。
法正の進言を受けた劉備の命により、定軍山の戦いで夏候淵軍を攻撃した。
夏候淵は強襲を得意とする猛将で、彼とその配下は涼州平定戦に多大な武功を上げた精鋭であり、
黄忠の攻撃にも果敢に反撃し精強な戦いぶりを見せる。
しかし黄忠は怯まず鋒を押し進め、士卒を励まして激しく攻撃。
その金鼓は天を震わせ、歓声は山を動かす程であったという。
ついに一戦で夏候淵を斬り、その軍を大敗させた。
その功績で征西将軍となる。
漢中平定後、劉備が漢中王となり、黄忠は関羽や馬超らと同格の後将軍に任じられた。
この時諸葛亮は、黄忠の武功を間近で見ている張飛や馬超は納得するだろうが、関羽は遠くで聞いているだけなので快く思わないだろうから良くないのではないか、と進言する。
しかし劉備は関羽には自分で説明するといって聞かず、黄忠をそのまま後将軍に任じた。
その翌年に死去。剛候と追号される。
なお、黄忠は演義では老将として活躍するが、正史では生年が不明な事から享年も不明で、本当に老将だったかは定かではない。
黄忠=老将、というのはおそらく関羽が黄忠を「老兵」と揶揄した事が元になっていると思われる。
しかし当時は関羽もいい年だったはずなので、前半生にろくな活躍の場がないまま劉備配下になった黄忠を揶揄しただけにも思える。
陳寿は黄忠を趙雲と並べて評し、「二人は共に勇壮猛烈であり、並んで主君の爪牙となった。灌嬰・滕侯(どちらも前漢の名臣)の同類といえるだろうか」と評価している。
52
:
のんびり屋
:2010/11/10(水) 15:39:21
総評
典型的な突撃隊長です。
特殊能力もあわさって、その爆発力はすさまじく、先陣やここぞという場面で強敵にぶつけると頼りになる存在でしょう。
ただ独自に動かす場合は勇猛すぎるところもあるので、そこらへんは手綱をとってやる必要があります。
独自に動かす場合は知勇にバランスのいい副将をつけて、フォローさせてあげると良いでしょう。
総帥の手元やコントロール可能な位置に一部隊の将として置いておき、先陣を務めさせたり、ここぞという時の決戦戦力として使うと大きな成果をあげてくれそうです。
列伝にも書いたように、彼は生年が不明なため享年も不明で本当に老将だったのかはわかりません。ですが、関羽がわざわざ「老兵」と揶揄したくらいですから、
仮に老人ではなかったとしても若くはなかったのでしょう。
前半は比較的平穏な荊州にいて一地方の一軍人として可もなく不可もなく暮らし、それでありながらひとたび劉備に仕えて戦場に出れば、
三軍に冠たる武勇と剛毅を発揮して勇猛果敢に戦い、やがて関羽・馬超といった当時でも武名の高かった人物達と同格の位にまで上り詰めました。
その活躍期間は劉備の蜀攻めが本格化した212年から、漢中制圧戦が終結した219年までで、10年にも満たない短いものです。
そして220年にはもう死んでいるので、本当に人生の最後の10年足らずで華々しく強烈な輝きを放ち、そして消えていった人物でした。
人生の大半を特に目立つ事跡を揚げる事無く平穏に過ごし、それでいて最後の10年足らずで歴史にその武名を轟かせるに至った彼に対し、
後世の人間が老いてなお盛んな老豪傑のイメージを仮託するのも無理はないといえるかも知れません。
最後まで向上の意思を持ち続け、ひたむきに勇猛果敢に戦場を駆け抜けた彼の生き様には、
人間の情熱というものが生み出す凄まじい力を感じます。
53
:
パトリオット
:2010/11/13(土) 23:19:59
人それぞれ基準は違うと思いますが。
夏侯淵が討ち取られたのは兵力分散させてて更におびき出されて無謀にも四百の少数で出てきたところを襲われてのようなので別に他の将でもできたような。
本人が確実に討ち取ったようには書いてないですし。
弓の腕や関羽との一騎打ちはご存じのように創作だし正史の益州での活躍も世界史的にすごいかどうか。
他の四将と比較して正史の記述も多くないしどうしても一発屋のイメージです。
僭越ですが武力は70で他の数値は全く同意です。
どうしても三国志の人物はメジャーでもてはやされてるだけに辛口になってしまいます。
それでも法正の戦略はたいしたものですが。
54
:
かえる
:2010/11/14(日) 21:07:10
今日は世界糖尿病デーですね。
>>のんびり屋さん
>>黄忠
考察をとても興味深く拝読しました。
チープなインフレを抑えて、統率を58に定めるセンスの良さがたまらないです。
武力が82、魅力が76の設定からは、のんびり屋さんの黄忠(「こうちゅう」と入力したら、「甲虫」と変換されてしまいました)という人物に対する優しさ・温かさが心地良く伝わって来ます。
ごめんなさい、武力に関しては私はパトリオットさん寄りの意見で、ファンタジーの三国志物語ではなく、世界史レベルで判断すると、70台が妥当だと思います。
55
:
のんびり屋
:2010/11/19(金) 01:00:27
おおう、反響をいただきありがとうございます
>>53
黄忠の定軍山での活躍ですが、
夏候淵とその直属兵400を討ち取っただけではありませんよ
黄忠伝では「一戦にして夏候淵を斬り、その軍を大敗させた」とあります
先主(劉備)伝では「劉備は黄忠に命じて高い所から鼓を響かせながら攻撃させ、
夏候淵の軍を大破し、夏候淵および曹操が益州の刺史に任じていた趙顒等を討ち取った」
とあります。夏候淵が率いたという直属兵400の中に趙顒などまでがいたとは考えにくく、
またこの時の戦いでは、逆茂木補修に行った夏候淵とは別地点にいた夏候淵の息子達なども戦死しており、
夏候淵の本陣が文字通り全範囲にわたって陥落させられ、多くの将が討ち取られ、残軍が総崩れになった事が伺えます。
(実際それは郭淮伝や張郃伝を見ることでも伺い知ることが出来る)
黄忠は定軍山の戦いで夏候淵を討ち取っただけでなく、さらに踏み込んで本陣までなだれ込み、夏候淵の軍を大敗させ、
多くの魏将を討ち取り、敵を総崩れに追い込んだのですから、その功績は十分に評価に値すると思います。
と、まあここまで書いておいてなんですが、ご指摘なども考慮して武力に関しては10程下げて72とし、
後は特殊能力で表現する、という感じでもいいかな、と思ったりもしてますw
56
:
のんびり屋
:2010/11/19(金) 01:24:30
>>54
レスありがとうございます
黄忠の武力判定に関しては、
>>55
で書かせてもらった事以外にも
彼が短期間で関羽張飛に並ぶ地位を得た(張飛に関しては上回った?)、
そして諸葛亮の発言を見る限り、その武功ではそれだけの評価も問題がない、とみなされていた事があります。
清代の歴史学者が言っているように、漢代以降、同時代においても後世においても、
それこそお二人がいうような「ファンタジーとしての三国志物語」である三国志演義が明代に成立するはるか以前から、
勇者といえば関羽張飛の名があげられ、時の豪勇の将達を表現する代名詞になっていたものです。
同時代の三国時代でさえ、関羽・張飛の武名を称える記述は魏臣がいった「万人敵」をはじめとしてあちこちで見受けられます。
これほどの高い評価を受けるに至った関羽・張飛に対し、黄忠は馬超のような群雄として暴れていた時代に培われた武名も無しに、
短期間の武功で同格の位にまで昇進し、しかもその昇進は武功から見れば十分納得できるものだと
劉備や諸葛亮も認めていた、という事実が存在するのです。
そういった点を考慮し、在世中から既に天下に名を轟かす武名を持ち、
死後には名実供に伝説の勇士となった関羽張飛に短期間で比肩した、という事からの
相対評価であえて黄忠に武力82という数値を与えてみました。
まあ、上にも書いたとおり、お二人の指摘も考慮して武力を10程下げて72にして、
後は特殊能力で現すのもいいかな、と悩み中ですw
57
:
かえる
:2010/11/20(土) 00:36:31
のんびり屋さんの書き込みからは、熱情が気持ち良く伝わって来ます。
判官贔屓にならずに、冷徹なくらいに公平に人物を評価したいと戒めていますが、いけません、のんびり屋さんの熱い文章を読んでいる内に、「武力が80でも良いのかな?」とか思って来てしまいました。
これは冷却期間を置いて再評価しないといけませんね。
のんびり屋さんの評価は人に対する優しさが感じられて良いですね。
58
:
パトリオット
:2010/11/21(日) 00:29:40
どうしても一つの数値化があるとそれで全てと見る人もいるようなので。
三国志の人物ということでつい向きになってしまいました。
それでものんびり屋さんにちゃんと答えていただきありがたいです。
というか小うるさい感じですいません。
かえるさんのを見て私も80のような気が・・いやいや冷静にならねば。
定軍山の戦い全体としても機動戦が得意な夏侯淵が防御戦を強いられていて主導権は蜀軍にあり、戦力的に不利な状況を覆したわけではないというかむしろ有利と極めてマイナス思考な見解です。
諸葛亮に諫言されてもやった漢中王即位時の劉備の人事は結構不思議がられるところでもあり、実力であれ何であれ要害にして劉邦の封ぜられた地である漢中奪取の功績はもちろん大きいでしょうが、他に理由を勘ぐられるとこでもあるので抜擢をもって黄忠の評価とするのとは別の見方があってもよいだろうと思います。
関羽とかも個人的には低く数値化している方寄りの考えなのですがそればかりでは寂しい気もしていまして、結局どちらもあればいいと思います。
59
:
かえる
:2010/11/21(日) 23:26:18
>>58
>定軍山の戦い全体としても機動戦が得意な夏侯淵が防御戦を強いられていて主導権は蜀軍にあり、戦力的に不利な状況を覆したわけではないというかむしろ有利と極めてマイナス思考な見解です。
同意です。
諸条件は異なりますが、独ソ戦において伸び切った最前線で守勢に回り、電撃戦が出来ずに壊乱したドイツ軍をふと想起しました。
私は、歴史には必然性、人の力では如何ともし難い時の流れがあると思っています。
(僅かに時流に抗することが一時的にせよ出来たのは、韓信、ナポレオンなどの人類史に稀に現れる戦術の天才のみだと考えています)
曹劉の漢中戦は、おそらく誰が指揮を執っても、曹軍の漢中の失陥は避けられなかったでしょう。
ただし、夏候淵、趙顒を見事討ち取ったことは黄忠の大きな功だと思います。
(単純に黄忠に運があって、夏候淵が不運だっただけとも云えますが)
>抜擢をもって黄忠の評価とするのとは別の見方があってもよいだろうと思います。
これも同意です。
能ある指導者でも、好き嫌いや政治的な理由で、能力に疑問がある(もっと云えば無能な)者を抜擢する例は非常によくあります。
>関羽とかも個人的には低く数値化している方寄りの考えなのですが
またまた同意です。
私も関羽の能力値はあまり高くないと考えています。
>そればかりでは寂しい気もしていまして
このお気持ちはとても分かります。
過去の偉人を数値で評価することは、そもそも無礼でおこがましいことです。
俗に云えば「かえる、おまえは何様だ? 人のことを評価する資格があるのか?」となりますし、
先人の事績を調べることで学ばせて頂く、という謙虚な気持ちを忘れずにいたいです。
のんびり屋さんの先人に対する温かい眼差しを見習いたいです。
60
:
のんびり屋
:2010/12/01(水) 17:46:16
おおう、またも反響がきておりますな
ありがとうございます
お久しぶりです、のんびり屋でございます
>>58
なるほど、パトリオットさんの見解はそうなのですか
ただ諸葛亮の発言では「黄忠の働きを間近で見ている張飛や馬超は納得するだろうが、噂でしか知らない関羽は…」
というものであり、武功自体では問題ないと見られていた事が伺えると思うのです
関羽に関しては単に正史にある記述を追っていくだけだと、確かにそれほど高くならないかも知れません
(ただ顔良単騎斬りに関してはその後の中国史において長く伝えられ、後世から非常に高い評価を受けているので、
考慮の余地はあると思いますが)
ただ、清代の学者が中国史を総覧して論じているように、関羽張飛の武勇というのは
中国史歴代を通じて常に高い評価を受けたという事実があり、早くも晋代には猛将を関張になぞらえた記述が存在するのです。
しかもこの傾向はその後の中国史を通じて続いています。
同時代においても魏臣から万人敵と称されています。
郭嘉は魏略において、この発言を劉備が曹操のもとに入ってきた時にしており、
この時点ではまだ正史において記される関張の代表的武勇である顔良単騎斬りや長坂仁王立ちはおきていません。
おそらく正史には明記されてないだけで、劉備陣営が小さくて記録もろくに残らない時から、多くの武功を重ねていたと思われます。
陳寿からも万人敵・一世の虎臣と評価され、周喩に至っては「関羽張飛は豪勇の将であり、彼らを自分の配下にして戦闘させる事が出来るなら大事業が成せる」
とまで評価しています。
正直な話、これほどまでに高い評価を受けている関張を武勇について低く評価してしまうのは、
自分としてはちと釈然としない気持ちがするのです
まあ、これに関しては自身の「武力」という項目に対する評価で感じている違和感もあるので
次のかえるさん宛のレスの中で説明したいと思っております
61
:
のんびり屋
:2010/12/01(水) 18:47:48
>>59
こちらもレスをありがとうございます
その上で生意気にも私の歴史観も話させていただきたいのですが、
>私は、歴史には必然性、人の力では如何ともし難い時の流れがあると思っています。
>(僅かに時流に抗することが一時的にせよ出来たのは、韓信、ナポレオンなどの人類史に稀に現れる戦術の天才のみだと考えています)
この点に関しては私はいささか見解を異にします
たとえば同じ三国志で言えば官渡の戦いですが、この戦いの中では曹操軍は袁紹軍に数で劣り、そのくせ兵糧でも負けており
何度も何度も曹操は追い詰められ「もうだめだ、どうしようもない」と弱音を吐き、そこを謀臣に励まされ、戦いを継続した記述が見受けられます
そして曹操軍は結局勝利しますが、これも袁紹軍の中で献策を無視された許ユウが転がり込んできて決定的な情報をもらした事によるものです。
そして結局曹操はこの戦いで勝利して中原を制圧するに至ります
正直このような状況からは曹操の勝利が必然だったとは思えないのです
歴史とはかなり流動的に動いているものに思えます
もちろん、戦う前から勝敗が明確な戦いも数多くあり、そういう場合は順当に勝つべき側が勝ったりしているとは思いますが、
それだけではないと思えるのですね
あくまで私見なのですがw
曹劉の漢中攻防戦においても、当初は夏侯淵達は鉄壁の守りをしいており、蜀軍をうまく撃退しております
そのまま数ヶ月守りきれば曹操率いる主力も来援し、劉備達は撤退せざるを得なかったでしょう
これが崩れたのは、諸葛亮が文字通り蜀という国から戦力を総動員し、しかもそれを迅速に前線に送り届け、
パワーバランスを一気に蜀側に傾かせてしまった事、
そしてそれを活用して法正が蜀軍の主攻軸を大胆に転換する事で、夏侯淵達が防衛体制を変換せざるを得ない状況を作り上げ、
さらにそこから劉備が張コウを攻撃して夏侯淵の兵力が分散するように仕向け、
そして直接夏侯淵本陣を急襲して大破して見せた黄忠の奮戦、などの諸要素があってはじめて可能だったと思われます
この時、夏侯淵本陣は主だった将達が戦死しただけでなく、軍全体が総崩れになるほどに手痛く痛めつけられており、
それまでの防衛ラインを維持する事が不可能になっており、主要な地点を放棄して退却路近辺ににかろうじて張り付いている状態になっています
これによって劉備達は曹操率いる主力が来援するまでに主要な地点を押さえる事が可能になり、
曹操来援後に攻撃されてもびくともしない完璧な防御を築き上げる事に成功しました
黄忠が諸葛亮や劉備、さらには張飛や馬超から実績で言えば昇進も頷ける、と評価されたのもここら辺が評価されたと思われます
ただ、かえるさんのおっしゃりたい事もわかるような気はするのです
私は現状における「武力」という評価項目ではちと表現しにくいものがあるように感じています
それを次レスでちとまとめてみたいと思います(続く)
62
:
のんびり屋
:2010/12/01(水) 18:50:28
>>59
(続き)
私は現状における「武力」という評価項目ではちと表現しにくいものがあるように感じています
たとえば、「武力」とは「軍を率いて勝利する能力」と定義されていますが、
曹操がエン州で最初に呂布と戦った時、正面衝突で呂布軍に敗北し退却する事態になっています
この時に曹操軍は名高い青州兵を得たばかりでもあり、兵力的には優越していましたが、呂布軍の果敢な攻撃を前に
全軍壊乱し、曹操自身も火に包まれ命からがら逃げ出す、という羽目になっています
このように正面衝突で戦えば呂布のような猪突型の猛将でも曹操のような知略型の名将を撃破できます
しかし、曹操はそれ以後は策を使って呂布と戦うようになり、呂布相手にほぼ連戦連勝していきます
このようなケースの時、両者の能力をどう査定するべきでしょうか?
正面衝突で大軍を破られた事をもって、武力を呂布>曹操にして曹操の勝利を知略で表すべきか、
しかしこうなると韓信のように戦場の駆け引きや兵法には長けていても、
戦以外での処世術や知略などはどう見ても高いとは思えない人物の知略が凄い事になってしまいます
それとも、兵法を駆使して勝利していった事を武力に絡めて曹操>呂布にすべきか
しかしこうなると、他ならぬ曹操が正面から大軍でありながら呂布に大敗した事実はどう表せばいいのでしょうか?
仮にコーエーゲームで言うならば、この査定方法だと曹操の武力が呂布より大幅に高くなり
史実とは逆に曹操が策無しで正面衝突で呂布を撃破するという変な状況が生まれてしまいます
このように武勇の将と、兵法を駆使して戦う司令官タイプの将との違いをどのようにあらわし、
どのように評価したらよいのか?という疑問が私にはあります
今回私が取り上げました黄忠は武勇タイプの将に属し、彼らは司令官タイプの将と同兵力で策無しでぶつかれば
おそらく勝てるでしょう
ただし、司令官タイプが総大将として策を用いて戦えば大抵の武勇タイプの将は負けるでしょう
これは一体どう表現したらいいのでしょうか?どちらも同じ武力ではありますが、役割も発揮されるべき局面も違うのです
これについてはまだ自身で明確な解答がなく、今回は黄忠の正面衝突における武勇を武力項目で査定して
数値をつけさせていただいた次第です
もしよければ、この問題について賢明な諸氏の考えを聞かせていただければ幸いです
63
:
昔の某常連
:2010/12/05(日) 20:22:30
司令官タイプは統率力の高さで表し、戦場における知略は知力と武力の総合、政治における知略は知力と政治力の総合で表せば何も問題はないと思います。
「武力」は確かに「戦場で勝利を得る能力」ですが、根本的には「喧嘩から戦争まで、力で敵を倒す能力」です。戦場での勝利においてこういう力は非常に重要ですが、といってこれだけで全てが決定するわけではありません。
地理や気象の条件、兵士の士気や錬度、軍組織の完成度、時には単なる幸運、あるいはもちろん狭義の戦術・知略……様々な要素が戦の勝敗を左右します。
多様な軍人がいるからこそ、5つの能力をうまく使い分けて評価を定めていくことに醍醐味があると思います。
場合によっては、個人の数値評価を、本人の能力を超えたレベルまで視野に入れて行うことも可能です。
たとえば過去の評価で、モンゴル帝国のスブタイとチンギス・ハンはセットになっており、スブタイの解説に明言されているように、彼の戦績はスブタイ自身の統率・武力・知力に加え、上官であるバトゥの統率力、さらには軍組織全体の設計者であるチンギスの統率力(組織構成能力)、政治力などの総合作用のうえで成立していると考えられます。
このように、シンプルな能力区分と複雑な評価操作の組み合わせによって、それこそ一介の農民から世界の征服者まで多様な人物の能力を、リアリティーを伴って表現できるものだと思います。
64
:
かえる
:2010/12/05(日) 21:32:24
>>63
古(いにしえ)の賢者たちの一人が降臨されましたね。
非常に説得力のある文面です。
>たとえば過去の評価で、モンゴル帝国のスブタイとチンギス・ハンはセットになっており、スブタイの解説に明言されているように、彼の戦績はスブタイ自身の統率・武力・知力に加え、上官であるバトゥの統率力、さらには軍組織全体の設計者であるチンギスの統率力(組織構成能力)、政治力などの総合作用のうえで成立していると考えられます。
この発言は神レベルですね。
モニターの前で、むむむ、と唸らされました。
65
:
かえる
:2010/12/05(日) 22:23:53
>>のんびり屋さん
古の賢者の発言の後に私の意見を書き込むのが少し恥ずかしいです。
関張の武力は高いと私も思います。
傲岸な人柄は好きになれませんが(ごめんなさい、どうしてもヤクザ系の侠が浮かんで来てしまいます)、中国人の店に関羽像が祀られているのを目にすると、敬われているのだな、と実感します。
官渡の戦いの帰趨は流動的であった、運の要素があった、と私も感じています。
曹操が勝ちを収めることが出来ない帰結もあり得たと思います。
物質的な総合力は袁軍の方が上回っており、この決戦は私に日露戦争をふと想起させました。
統率や武力の概念、定義については古の賢者の発言が秀逸です。
賛同します。
以下、缶チューハイを片手に、気軽に楽しみながら評価してみました。
韓信 呂布 関羽 張飛 諸葛亮 菅直人 海老蔵 劉禅
統率 S B B B A C D C
武力 C A A A D D D E
知力 B D C C A C E E
政治 D E D E A C E D
魅力 B C B D A D D C
臆病 狼戻 剛胆 虎臣 冷静 消極 虚飾 無能
66
:
昔の人
:2011/01/12(水) 18:31:04
こんなところに、数値化スレがあったんですね。
かつてのコーエースレの生き残りとしては、過疎ぶりが寂しい限り。
腕慣らしに韓信を軽くやってみますね。
韓信
【統率】79 組織能力、統率能力、指導力の全てが漢楚戦争時代に置いては最高水準。
【武力】90 漢楚戦争時代に留まらず、中国史上有数の戦術指揮官。
【知力】83 情報分析能力と戦略立案にかけては、漢楚時代では張良に次ぐ。
【政治】54 内政手腕や外交手腕は悪くない。政略への弱さは、当代一の策謀家ばかり相手にした事が不運。
【魅力】37 人間的には器の狭い小人で、武名は高いが人格的魅力が欠如している。
武力だけでなく、統率と知力が一流の水準で完璧に近い人物。
漢楚時代に留まらず、中国史上有数の名将ですね。
67
:
かえる
:2011/01/15(土) 22:48:17
>>66
良い感じのご評価ですね。
楽しんで読まさせて頂きました。
魅力37がさ(3)みしいな(7)・・・
68
:
かえる
:2011/01/15(土) 23:01:37
皆さんは劉下の三傑の誰が一番好きですか?
(チープな質問でごめんなさい)
張良、韓信は華があって人気がありそうです。
学生の頃、私も好きでした(今も好きです)。
ところが不思議なことに、中間管理職になった今は、黒子役の蕭何が最も好きです。
私がマニアックなのでしょうか。
69
:
かえる
:2011/01/15(土) 23:35:18
10年後のストリートファイター
(原題:Street Fighter;the Later Years)
を観ていたらハートが熱くなって来ましたので、
私が好きなザンギエフを数値化します。
赤きサイクロン、ザンギエフ
【統率】D 実績はありません。
【武力】C 大地戦慄く吸引力。でも難し過ぎて私にはコマンド入力出来ません。ぶっちゃけ、弱いですよね。
【知力】B 世界最高峰のモスクワ大学の出身者。これは本当に凄いことです。
【政治】B 親しいゴルバチョフ(まだ存命です)の依頼を受け、ペレストロイカ(古い・・・)への理解を得るため、国際交流に努めました。
【魅力】A 旧ソ連の英雄。彼の地で英雄の称号を授かることは信じられないくらいに栄誉なことです。レインボー・ミカも憧れるわけです。
70
:
「ど」の字
:2011/01/17(月) 17:30:59
>>かえるさん
自分は、国家はちょっとした事で揺らぐ事を知って、蕭何に一番好意的になりました。
まだ国家経営論が確立していない時代、あそこまで出来たのですから天才と評して良いでしょう。
もちろん張良や韓信も天才ですし、人材を使いこなした劉邦も世界史上に残る名君ですが。
71
:
かえる
:2011/01/17(月) 21:41:25
>>「ど」の字さん
反応、有難う御座います。
(「ど」は「努力」の「ど」ですか?)
もしも仮に将来、私が独立して事業を立ち上げるとします。
一緒に起業するパートナーを贅沢にも選べるとしたら、誰が良いでしょう。
韓信:蒯通「なぜあなたほどの人物がかえるの下にいるのですか。」韓信「むむむ。」
陳平:私の妻と密通されそうです。唯才のみでは駄目です。
やはり蕭何です。
72
:
昔の人
:2011/01/18(火) 03:59:42
>>71
自分が事務屋なら、経営戦略に関して張良のアドバイスを受けたいし、
細々としたことは人に任せて、自分は経営に専念したいなら蕭何ですかね。
韓信は戦争以外の役に立たないし、性格的に信用できないから、組みたくないです。
何でもできてなおかつ信用できる人が欲しかったら、陳平ですね。
>陳平:私の妻と密通されそうです。唯才のみでは駄目です。
陳平は実は筋目を通す人で、二度主君のもとを出奔したのも不興を買って、
身が危なくなったからですが、二回とも与えられた金品や支給品を全部返してから出て行ってますし、
劉邦には忠節を尽くしてますよ。
昔、劉邦と三傑と項羽をやったことがありますが、
他の人物もやってみたいので、御希望でしたら名前を書き込んでいただければ、
列伝のある人物はだいたいできるかと思います。
73
:
かえる
:2011/01/18(火) 17:57:11
>>72
>自分が事務屋なら、経営戦略に関して張良のアドバイスを受けたい
とても同意です。私も張良先生のアドバイスを受けたいです。
>陳平は実は筋目を通す人
そうなんですね。目から鱗です。
>御希望でしたら名前を書き込んでいただければ
うわっ、昔の人さん、有難う御座います!
蕭何、季布、鍾離眜、呂雉、劉盈がぱっと浮かびました。
74
:
昔の人
:2011/01/20(木) 15:27:06
>>73
どもども、時間が無くてすいません。
蕭何と季布と呂雉と劉盈は難しくないと思うんですが、
鍾離眜の評価材料は、武力関連以外はほとんどなくて、
やるならかなり味気ない能力になると思うのですが、
それで良かったらやってみます。
75
:
かえる
:2011/01/20(木) 20:28:16
>>74
有難う御座います! ぜひお願いします!
私の描いている人物像は以下の通りです。
S・A・B・C・D・Eで格付けしています。
蕭何 統率C 武力D 知力B 政治A 魅力B
季布 統率B 武力B 知力C 政治C 魅力B
鍾離眜 統率B 武力B 知力C 政治C 魅力C
呂雉 統率D 武力E 知力C 政治B 魅力E
劉盈 統率D 武力E 知力D 政治C 魅力C
76
:
昔の人
:2011/01/21(金) 04:36:22
最初に蕭何を。
【統率】82 漢楚戦争や建国後の内乱においてずっと前線に出ている劉邦の代わりに実質上の漢全土の同地者として、どんな戦況でもまったく不穏な状況を見せなかった最高レベルの統率力。
【武力】35 一度も軍を指揮したことがないため未知数。
【知力】58 正しい意見を取捨選択する能力は高いが、思考能力にはやや疑問符が付く。
【政治】96 事務能力、後方支援、政治制度構築、大帝国の統治のすべてに最高級の実績を残した中国史上最高の政治家の一人。
【魅力】80 人望と人間的魅力はこの時代の中国で随一。民に負担を強いざるを得ない時代にありながら、恨まれるどころか尊敬され、苦境に陥るたびに助ける人がいた。
政治力は世界史上でも屈指。そして、この時代で最高水準の統率と魅力。
宰相としてこれだけの人物は稀でしょうね。
漢の建国と守成の両方に最大の功績を残して、400年続く帝国の基礎をほぼ一人で作った巨人です。
劉邦より蕭何の方が不世出の傑物と言えるかもしれません。
77
:
「ど」の字
:2011/01/21(金) 16:44:58
>>昔の人さん
>劉邦より蕭何の方が不世出の傑物と言えるかもしれません。
スペック的に言うなら、劉邦は漢の三傑どころか当時の君主・将星の誰よりも下でしょう。
劉邦は、人を心地良く存分に働かせる環境整備能力と、他人の忠告を受け入れる自己の無謬性否定能力持っていただけの凡人です。
こんな人間は人類史上他に例が無く、まさに君主となるように生まれ付いた人と言えます。
近い時代を生きたカエサルとはまた別の意味で、どんな時代のどんな社会に生まれても成功し指導者になったであろう人物です。
>>かえるさん
「ど」は「土壇場の魔術師」の「土」です。
「ドレミファソラシド」の「ド(つまりαでありΩ)」でもあります。
最近は避難所ではない方の数値化スレで、歴史を動かした人物の評価をしております。
皆様には、そちらの方の感想も聞かせていただければ幸いです。
78
:
昔の人
:2011/01/21(金) 18:41:55
>>77
お久しぶりです。何年ぶりか忘れてしまいました。お元気そうで何よりです。
さて、この時代の他国の英雄と言えば、匈奴の冒頓やシュンガ朝のプシャヤミトラ、
ローマの大スキピオとフラミニヌス、カルタゴのハンニバル、シリアのアンティオコスあたりでしょうか。
皆、政治と軍事に傑出した能力を示した一代の英傑ですね。
劉邦の政治能力と軍事能力は彼らには及びません。
軍事能力は勇敢で水準以上ではあるものの名将と言うにはほど遠く、
政治家としては実績が無く、カリスマもありません。
しかし、人を使う能力と、誰を信じて誰を信じないべきかという取捨選択能力と、
寝業のうまさにかけては、やはり傑出しているだろうなと思います。
そして、それさえあれば、人の上に立つ者としては、平凡な軍事能力や政治能力を補って余りありますね。
そういう点においては、漢の建国という古代世界における、
帝政ローマ成立に匹敵する偉業を成し遂げたのも無理はないと思うのです。
イメージとしては、劉邦の統率と韓信の武力と張良の知力と蕭何の政治力を結集して、
カエサルに匹敵すると言うところでしょうか。
君主たるものは、自分より優れた部下を使いこなせるなら、それでいいのだと思います。
79
:
かえる
:2011/01/22(土) 14:43:59
>>76
>最初に蕭何を。
有難う御座います。
>【知力】58
この抑えめな知力、たまりません。いい感じですね。
>【政治】96
・・・ッ! 96!!
凄いですね。蕭何の政治力は世界水準と云うことですね。
私は蕭何が好きですが、ここまで高いとドキドキしてしまいます。
80
:
かえる
:2011/01/22(土) 14:55:38
>>77
>人を心地良く存分に働かせる環境整備能力
>他人の忠告を受け入れる自己の無謬性否定能力
これって非常に大切な能力ですよね。
人は独りではなく、人間関係で成り立っていると云うことを考えますと、最も必要とされる要素だと思います。
怪物の項羽ではなく、劉邦が最終的な勝利者となったのも頷けます。
>どんな時代のどんな社会に生まれても成功し指導者になったであろう人物です。
「ど」の字さんのお言葉は味わい深いです。
そうだな、と素直に感じました。
>「ど」は「土壇場の魔術師」の「土」です。
名前の由来を教えて下さって、有難う御座いました。
81
:
かえる
:2011/01/22(土) 19:46:00
蕭何の話の余談です。
世界史上で特に優れた政治家って誰なのでしょうね。
ヒトラーや毛沢東はとても優秀ですが、人類史に悪い影響を及ぼしています。
私はゴルバチョフが優れた政治家ではないか、と考えています。
旧ソ連を恐ろしい戦争を起こすことなくソフトランディングさせた彼の業績は、数十年後に評価されると思っています。
今は超大国ソ連を解体した人物として、ナショナリズムの観点からロシアでの評価は今一つの彼ですが、
後世、人類史の観点から、冷戦を終わらせた人物として評価されそうです。
82
:
昔の人
:2011/01/22(土) 22:04:03
>>81
時間が無いのでちょっとだけ。
ゴルバチョフは無いです。
ソ連の経済は悪化してましたが、それに止めを差して、
プーチン時代まで長い不況の時代にソ連を叩き込んだのも、
秩序と市民生活が崩壊した90年代の暗黒時代を招いたのも、
ブレジネフ時代からの停滞を、転落に転じたゴルバチョフの政治手腕によるものですし。
西側の評価よりは、かつてゴルバチョフが統治したソ連の人々の評価の方が正しいでしょうね。
本当にゴルバチョフが世界史上最高の政治家だったら、ソ連の民主化と市場経済への脱皮を成功させ、
さらにアメリカに迫らんばかりの経済繁栄を築かないと無理ですね。
政治100候補は、ざっと思い付くあたりでビスマルクや康熙帝あたりでしょうかね。
時間かけたら、もう少し名前挙げれそうですが。
83
:
かえる
:2011/01/23(日) 17:46:52
>>82
回答、有難う御座います。
>政治100候補は、ざっと思い付くあたりでビスマルクや康熙帝あたりでしょうかね。
なるほど、と唸らされました。
(2ちゃんねるの「最高の政治家は誰か?」のスレッドでは、ビスマルクが一番推されていました。次点はヒトラーでした。)
昔の人さんは知識が豊富で、書き込みを読むのがとても楽しいです。
84
:
世界@名無史さん
:2011/01/23(日) 19:55:19
一人で古代世界から現代までのほぼ全時代を比較できるようなのは、
世界史板にあった頃のコーエースレでも5人もいないから、
簡単に特定できるんじゃないかと予想するテスト。
85
:
「ど」の字
:2011/01/23(日) 20:26:05
>>かえるさん
>世界史上で特に優れた政治家って誰なのでしょうね。
ローマを安定した繁栄に導いたオクタヴィアヌス(アウグストゥス)を挙げたいですね。
ローマの寛容な精神を壊すことなく社会改革を完成させ、世界史的影響力も髄一です。
自分はこの人の【政治】数値に99を付けています。
>>昔の人さん
>政治100候補は、ざっと思い付くあたりでビスマルクや康熙帝あたり
ビスマルクは確かにプロイセンを繁栄に導いています。
しかし、国家を世界史上卓越した存在にしたとは言いがたいと思います。
(世界史上のエポックメイキングを達成していないので、自分は【政治】94と判定いたします)
康熙帝は三藩の乱を始めとする中国内部の抗争や周辺の動乱を上手く捌いており、まず力量が卓越しています。
清王朝を世界史上特筆の国家にする端緒を拓いたので、エポックメイキング達成とも看做せます。
(ただ当代のうちに清の絶頂期を構築したわけではないので【政治】98が適切でしょう)
ちなみに日本の徳川家康は、日本の影響力を海外に広めず欧州の一神教勢力排斥を成し遂げたので【政治】95。
伊藤博文は日本独立と先進国としての実力を白人至上主義の世界に認知させたので【政治】98が適切でしょう。
86
:
かえる
:2011/01/24(月) 00:20:14
>>85
>オクタヴィアヌス(アウグストゥス)を挙げたい
ああ、いいですね。
>ビスマルクは(略)世界史上のエポックメイキングを達成していない
なるほど、そういう見方もあるのですね。
勉強になります。
それでも政治94は非常に評価していますね。
>康熙帝は(略)エポックメイキング達成とも看做せます。
政治98! 凄い高評価ですね。
>徳川家康は(略)【政治】95
>伊藤博文は(略)【政治】98
伊藤博文のことを随分と高く評価しているのですね。
>日本独立と先進国としての実力を白人至上主義の世界に認知させた
その視点が興味深いです。
87
:
「ど」の字
:2011/01/24(月) 02:13:49
>>かえるさん
ビスマルクは、非常に厳しい状況から国家を先進国として建てた英雄です。
当時一気に揉み潰されてもおかしくない小国を欧州の大国の一翼であるドイツに仕上げました。
常識ではありえない奇跡の力量です。
が、ドイツは(ポジティブに)世界史に残る国かというと、大変残念ながら違うと考えてしまうのです。
伊藤博文に与えられた条件は、ビスマルクはもとより世界史に残るほとんどの政治家より厳しいものでした。
自己の出自(幕府に睨まれていた藩の、しかも三両一人扶持の足軽。文字通りのどサンピン)からも。
日本国家の立ち位置(西洋の工場制機械工業を知らない、統一も為されていない僻地の文化的(西洋が言うところの)後進国)からも。
日本が非キリスト教国でありながら先進国として(嫌々ながらも)西洋諸国に認知されたのは、伊藤博文の力量無くしてありえませんでした。
自分は、伊藤博文にはアウグストゥス並みの数字(【政治】99)が与えられてもおかしくないと思っています。
その後の日本は世界史上欠くべからざるファクターとなったのですから、世界史教科書に特筆大書されて然るべきでしょう。
(なお、戦後日本の繁栄も世界史上空前の奇跡です。成し遂げたのはマッカーサー元帥と昭和天皇。
世界史上最強のコンビは紛れも無くこの二人だと思います。
ベルトラン・デュ・ゲグランとシャルル五世、張良と劉邦、魏徴と李世民、いずれも及ばないでしょう
この二人は
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/9685/1226207176/
にて渾身の筆で評価しております。)
88
:
昔の人
:2011/01/24(月) 02:36:54
>>85
ああ、アウグストゥスを失念してましたね。
業績から考えて、アウグストゥスはトップの中の一人ですね。
ビスマルクに関しては、政治家が必要な能力を全て最高レベルで兼ね備えた巨人として、
他に類が無いので100候補として挙げました。
内政・外交・調整のどれか一つだけをとりあげても、政治90を越えてしかるべき能力を備えているのですが、
それが3つ揃ったら、やはり100候補として推さざるを得ないと思います。
あの時代のヨーロッパで、ほぼ万能に等しく状況を支配したのは、超越者の領域であろうと思いますので。
近代社会保障制度の建設者であると言う現代社会にまで残る不滅の功績もありますし、
ビスマルクの作った国家像は、近代社会において一つの模範とされて、国を超えて多くの政治家が追従しましたし、
ドイツ帝国の国家そのものより、ビスマルクの作った数多くの政治的モデルが、
後世に影響を与えて後の歴史を作り、今の世界に到っていると言う点で、
ドイツ一国の英雄に留まらない世界史上に燦然と輝く巨人であると。
そんな理由ですね。
89
:
昔の人
:2011/01/24(月) 03:00:58
>>85
続きです。
康熙帝はビスマルクと同じく政治的力量がほぼ万能に等しいという点で、
世界史上に匹敵する人間を探すのは困難ではないかということと、
独立国と言うべき三藩と、鄭氏台湾を平らげて中国統一を完成させて、
一つ成し遂げただけですら偉大と言われるような制度改革や各分野の飛躍的成長を成功させ、
自分の代の間に統一を盤石なものにしたことは、
アウグストゥスがローマをレンガの街から大理石の街にしたことに匹敵する偉業でしょう。
強大な中華帝国を政治的に建設したと言うのは、アジア全域に巨大な影響を与える世界史的業績です。
しかも、その61年間の在位期間で倦むことなく清を発展させ続けた持続力も奇跡的ですね。
清の絶頂期を作ったのは乾隆帝ですが、この人は漢の武帝のような人で、
傑物ではあるし、業績も偉大なのですが、盛大に康熙帝と雍正帝の遺産をばらまいて、
政治的貯金を激しく減らした観があります。
政治家としての力量は、康熙帝と雍正帝には及ばないでしょう。
大征服者である漢の太陽王武帝が、政治家としての力量において、
文帝と景帝に及ばないのと同じです。
90
:
昔の人
:2011/01/24(月) 04:16:00
>>85
へのレス最後です。
ちょっと、意見が違うところについて。
まず、家康は統一を成し遂げてそれを盤石にしたものの、
他の世界史上の偉大な政治家のように、世界帝国の興隆や中興、
もしくは一国を治めながら、世界帝国を興隆・中興させるほどの絶大な影響を、
世界帝国が支配する領域並びに、その影響を受ける周辺領域に、歴史的な影響を与え続けた人物ではありません。
元和偃武以降の江戸日本の250年の平和の基礎を築いたことは確かに世界史上稀な偉大な業績なのですが、
その影響圏は日本周辺に留まってますし、長年にわたって周辺地域の歴史を支配するスーパーパワーを築いたわけでも、
あるいは自分自身で日本という国や時代の枠を超えたものを作り出したわけでもありません。
影響度において、他の世界史的巨人には劣ると言うのが一点。
そして、次は能力と実績の中身ですが、まず江戸幕府の高度な政治体制の構築においては、
家康はまったく功績がありません。家康は権力の強化に全力を注ぎ、その半ばで一生を終えてしまいました。
幕府の中央権力が盤石になり、武家諸法度や禁中並公家諸法度や寺社諸法度による統制を確立し、
朝廷や諸侯や寺社が幕府の権力の前に手も足も出なくなったのは、秀忠の時代です。
秀忠の作り上げた絶大な幕府の支配力と統制力が、250年の平和を可能にした最大の要因です。
そして、江戸幕府の高度な政治制度を確立したのが家光。家光の代に作られた政治制度が、
秀忠の築いた幕府の支配力と統制力を補強します。しかし、秀忠も家光も自分の際立った力量で部下を手足として、
その巨大な政治的成果を得たわけではなく、秀忠は土井利勝、家光は阿部忠秋と松平信綱という傑出した政治家の力量にその政治的業績の多くを負っています。
最後に海外勢力の駆逐に関しては、家康はキリスト教を弾圧してはいるのですが、
これはスペインやポルトガルが起こした日本の体面を損なう行為や、
キリシタンである幕府官僚の岡本大八と諸侯の有馬晴信が起こし、
政界に大きな影響を与えた一大スキャンダルなどに対する報復措置であり、
遠大な展望があってのことではありません。
また、家康はキリスト教を禁止しつつも、スペインやポルトガルなどのキリスト教国との貿易を続けたので、
多数の処刑者を出してもなお、スペインやポルトガルが日本に影響を及ぼす橋頭堡は残ったままでした。
その後の禁教令の強化と、入港制限による貿易統制と、国交断絶による諸外国の影響排除と「安全な国」の選別は、
秀忠の時代に推進され、家光の時代で完成します。
以上、三つの理由において、家康は政治的影響力においては日本国内に限定されるし、
250年の平和の構築と、海外の影響力の排除によって、江戸日本の国体を定めた功績は秀忠と家光の方が圧倒的に大なので、
政治98どころか90も怪しいだろうと言うのが私の意見です。
要するに江戸幕府の偉大さにあまり家康の仕事は関与してないってことですね。
家康の後世に対する最大の政治的業績は江戸幕府を作り、元和偃武で平和をもたらしたことで、
これから中央権力の確立と政治体制の構築に本格的に乗り出せる状況ができたところで寿命が尽きたと。
そんなとこです。
91
:
昔の人
:2011/01/24(月) 10:14:22
>>87
最後に伊藤博文の評価についてですが、まず明治日本の評価について申し上げますと、
日清戦争から第二次世界大戦終結までが世界史上において日本が及ぼした政治的影響がもっとも大きかった時代でしょう。
この当時、文句なしに世界史を動かした主要プレイヤーだったと言えるのは、
アメリカ、ロシア(ソビエト)、イギリス、ドイツ、日本、フランス、イタリア、オーストリア=ハンガリーの八大国ですが、
この中で世界帝国に匹敵する範囲に影響力を及ぼしたのは、アメリカ、ロシア(ソビエト)、イギリス、ドイツ、日本、フランスの六カ国です。
明治政府の建設者たちは、世界帝国の建国に相当する業績があると言ってよいでしょう。
次に伊藤博文の業績についてです。
当時の日本において、伊藤博文の力量が他を隔絶していて、
日本の興隆の功績を伊藤に帰する事が出来るなら、確かに世界史上でも屈指の英雄でしょう。
しかしながら、そうでは無いと私は考えます。
明治政府が創業期に行った世界史上屈指の多数の大改革の成功と、高度な体制構築の時期に、、
伊藤が中島信行、田中光顕、何礼之、陸奥宗光らとともにこの時期に作成した国是綱目は、
明治日本の進むべき姿を指し示し、その三十年後に日本が世界史を動かす力を得た時には、国是綱目に書かれた通りの国が実現していたと言う、
伊藤の卓越した慧眼を示すものではあるのですが、実のところ、大久保利通や木戸孝允など、
当時の政府首脳の中で最も政治能力に優れた人々は同じ構想を抱いていて、
伊藤の提言とは無関係にその構想を推進し、成功に導いています。
伊藤はこの時期に日本の近代産業建設に多大な功績を残していますが、
その活躍は財政分野と産業分野に限定され、偉大な建設者・改革者である大久保利通の功績の一端を担うにすぎません。
要するに、明治政府の最初の偉大な実績に関しては、当時の伊藤と同等かより優れた功績をあげた人物は何人もいるのですが、
それはまあしょうがないですね。伊藤が本領を発揮するのは大久保の後任の内務卿になって、
日本の財政と司法と教育を除く内政の全分野を統括する政府首班の一人になってからですから。
92
:
昔の人
:2011/01/24(月) 10:15:20
では、伊藤の名高い功績とされる事について検証してみますと、まずドイツ式立憲体制の建設です。
立憲論議が盛り上がり、政府内部がイギリス式議会民主主義派と、ドイツ式君主主義派に別れていました。
伊藤はどっちでも無かったので、自ら海外に行って憲法を研究して、ドイツのビスマルク体制が、
日本の状況に適してると判断し、ドイツ式君主主義に沿った憲法を作成。
近代的な立憲体制と政党政治はここより始まります。これによって日本はドイツのビスマルク政府のように、
君主の名のもとに国民が一致して、権力を政府に集中して強力な指導力を発揮するという日本の興隆を支える体制を築きます。
これに関しては完全に伊藤が主導しており、伊藤の国体建設に関する業績は不朽です。
もう一つの大きな功績は日清戦争。朝鮮半島における主導権をめぐる戦争です。
戦前の伊藤は朝鮮半島を中立化し、清と共同してロシアの南進を防ぐと言う山県有朋の路線を踏襲していました。
そして、朝鮮の内乱に清とともに介入しましたが、その時に清と対立が生じます。
当時、議会の多数派と条約改正や財政路線を巡って激しく対立しており、
議会との妥協と、解散総選挙で議会の勢力を一時的に削ぐと言う綱渡りでなんとか政権を運営してました。
そんな折に条約改正交渉の中止と清との開戦を唱える対外強硬派の反政府勢力が徹底的に条約改正交渉や朝鮮政策の足を引っ張り、
世論も清との開戦に傾き、苦境に陥った伊藤は成算が無いまま清との対立を選ばざるを得なくなります。
伊藤の政治基盤の脆弱さや政局への弱さと言う、政治家としての致命的な欠点は、
しばしば伊藤の指導力発揮を妨げました。日清戦争開戦までに日本が行った列強の中立化工作と、懸案であった条約改正交渉の解決は、
外交の手本と言っていいぐらい手際が良いのですが、これは陸奥宗光の功績です。
そして戦争が始まると、大本営に政府代表として参加して、政府の立場からの政治的要求と、
軍部の立場からの軍事的要求を調整することに努力して、政府主導で戦争を進め、
軍事的成果を政治的成功につなげる事に成功します。軍事と政治が相乗効果を生んだ好例です。
これが伊藤の日清戦争における最大の功績です。
伊藤と陸奥が全権となった講和交渉では、主に陸奥が交渉にあたったので、これは陸奥の実績です。
この勝利は、日本は列強への道を歩み始める転機となりました。
朝鮮統監としては、親日派と協力して朝鮮への影響力を強めていき、
ハーグ密使事件を機に皇帝を廃立して、条約によって韓国の行政権と官吏の人事権と司法権と警察権と軍事権を掌握しました。
ここまでが伊藤の名を不朽ならしめたとされる功績の検証です。
93
:
昔の人
:2011/01/24(月) 10:16:00
最後に日本の興隆において、伊藤の役割の占める比重はどれくらいか?
まず、外交ではあまり活躍がありません。井上馨や陸奥宗光の活躍が大きいです。
内政では軍制・行政制度の山県有朋、財政の松方正義、法制の山田顕義などの元老級の人物を初めとして、
各分野で歴史に刻まれるような人物が目白押しで、政策面での伊藤の顕著な業績と言うのはあまり大きくありません。
政権運営に関しては、伊藤は政府首班の一人ですが、それに加えて三条実美や岩倉具視や山県有朋や井上馨や黒田清隆や松方正義や山田顕義などが、
最高権力者として日本の政治を主導していました。役職に就いていても就いていなくても、彼らの影響力は大きくて、
実質的には明治政府の興隆は、これらの人々の活躍の積み重ねによるもので、
一人の強力な政治家の力で成し遂げたものではありません。
政略や調整能力などに関しては、私党を作らない性格から支持基盤が弱く、
政局にも強くないため、政権運営に苦労しており、思うようにいかないまま職を退かざるを得ないことが何度もありました。
政友会を作って自らの勢力基盤にしようとしましたが、運営に行き詰まって総裁を退いています。
最後に首相を辞めてからは、半ば失脚状態で発言力を失ってました。
以上のように、政治家としては外交と政略・調整において見るべきものは無く、
内政と政権運営に関しては功労者の一人ですが、優れた人物の一人と言うだけで、偉大な巨人と言うほどではありません。
伊藤の歴史に残る政治家としての不滅の功績は、国体をドイツ式立憲体制に定めて日本を強大ならしめたことと、
日清戦争の戦略を高度な政治的センスで方向づけた事でしょう。
単純な政治的力量なら、日本国内で一流といったところでしょうが、
二つの偉大な功績で日本を六大国の一つに押し上げた歴史的功績を鑑みて、
この時代の世界有数の政治家の一人ということで80台でしょうね。
90を超えるには、手を付けた事の多くが偉大な功績として歴史に残るか、
あるいは内政・外交・調整のうち、2つでこの時代で並ぶ者がいないといえる力量の高さを見せないと難しいです。
94
:
昔の人
:2011/01/24(月) 10:58:58
えーと、文句ばかり付けるのもなんなので私の評価基準を申し上げますと、まずは影響度。
一番大きいのは、世界帝国の創業、建設、中興に携わったことですね。
世界帝国と言うのは、最低でも北アジア(草原世界)か中央アジアか中東かインド亜大陸か東アジアか東南アジアか、
北アメリカか南アメリカか、西ヨーロッパか東ヨーロッパか北ヨーロッパか南ヨーロッパか、
北アフリカか西アフリカか中部アフリカか東アフリカか南部アフリカのどれか一つで他を圧するほど強大で、
敵対するにせよ友好を結ぶにせよ、同じ地域の他の国はその国の影響を強く受ける国であるか、
もしくは二つ以上の地域にまたがる大国で、周辺の諸国は皆強い影響を受けずにはいられない国。
あるいは世界の半分ぐらいに主体的に影響を及ぼせる国です。
その次が地域大国の創業、建設、中興に携わったこと。
地域大国というのは、その地域の中では強いけど、世界大国とは言えない国です。
最後に一国の創業、建設、中興に携わったこと。
しかし、特例としてその人物の業績の影響が所属した国よりも大きい場合。
所属した国は大きくない国なのに、業績による影響が周辺諸国を強く左右した場合は地域大国級の業績に匹敵するとみなしますし、
その強い影響が周辺諸国を超えたら、世界帝国級の業績に匹敵するとみなします。
次は純粋な力量ですね。順位としては、
世界史を通じて屈指>その当時の世界レベルで屈指>その当時の世界レベルで際立って優れてる
>その当時の世界の水準より優れている>その当時の世界の水準>その当時の世界の水準より劣る>
>その当時の世界の水準で際立って劣る=経験がない>その当時の世界の基準で屈指のひどさ>世界史を通じて有数のひどさ
こんな感じです。その能力が適用されるいくつかの分野で評価して、総合的に判断します。
95
:
昔の人
:2011/01/24(月) 11:15:46
最後にその業績は誰の力である割合が大きいか。
たとえば、アウグストゥスの偉業だけとりあげて評価すれば、おそらく全能力が90超えますね。
しかし、武力に関してはすべてアグリッパやティベリウ・ドルスス兄弟を初めとする優れた将軍の業績ですので、
軍事的業績は彼らの武力に分配します。自分より優れた人物に任せきりでその業績をあげたのと、
優れた人物の力を借りて成し遂げたのと、同等の人物と協力して成し遂げたのと、
自分より劣る人物を手足として計画や手段を自分考えて成し遂げたのでは、業績の大きさの度合いが違います。
自分より優れた人物の力で成し遂げた業績のおかげで高評価になったらおかしいですし。
何人もの同等の人物と協力して成し遂げた業績が、他の人物の努力を考慮に入れずに「○○をやったから凄い」でもおかしいですしね。
この三つの乗数ですね。しかし、全世界の歴史を通じて千年に一人ぐらいしかいないような破格の業績があったら、
それは基準を超えた特例と言うことで他の要素は全部すっ飛ばして評価する事になりますが。
重要なのは、評価要素について聞かれたら、基準に照らして相手を納得させられる程度の答えができることですね。
私はそんな感じでやってます。
96
:
昔の人
:2011/01/24(月) 12:53:04
えーと、休みなのでヒマにまかせてすさまじい長文を書いてしまいましたが、
うざいと思ったら頭の中で死ねって思うぐらいにしといてください。
日本の話があったので、最後に影響力、能力の水準、誰の力で成し遂げたかの三つの点に置いて、
日本史上最高と思われる人物を軽く紹介して終わりにしたいと思います。
池田隼人しかいないでしょうね。
内政面では所得倍増計画によって6年で日本の国民総生産を倍増させ、
世界第二位の経済大国に押し上げました。また、安保騒動に端を発する国内の混乱を、
経済成長と国民感情に配慮することで収めました。
外交面では世界中の首脳と会談して、多くの条約を締結し、さまざまな国際条約に批准して、
経済力だけでなく国際的地位も押しも押されぬ先進国に引き上げました。
調整面では高い調整能力と敵対勢力の扱いの巧みさで、政争や選挙において勝ち続け、
病気で倒れて引退するまで揺るぎない政治基盤を築きました。
影響度=所得倍増計画を成功させて、日本を世界第二位の経済大国に引き上げた最大の功労者。
日本の経済的影響力は全世界に及んでいるので、世界帝国の建設を行ったのと同等である。
能力=同時代で政治力がトップクラスなのは、ド・ゴール、朴正煕、アデナウアー、エアハルト、周恩来、
タナラットあたりだと思いますが、内政・外交・調整のすべてにおいて優れてるのは、ド・ゴールぐらいでしょうか。
池田は内政は言うまでも業績でなくド・ゴールをしのぎ、外交能力も調整能力もド・ゴールにひけをとりません。
関係者=大平正芳、水田三喜男、下村治といった優れた人物がいましたが、いずれも一流の専門家レベルに留まり、
池田と同等、もしくは池田より優れてるというレベルには達していません。
池田の能力は抜きんでており、池田の業績は、池田の政治力と評価して問題ないでしょう。
おそらくは日本史上で唯一、世界史の偉大な政治家と肩を並べうる可能性を持った人物と思います。
業績の巨大さと、能力の高さにおいては日本史では空前絶後の人物です。
97
:
かえる
:2011/01/24(月) 19:14:01
>>87
「ど」の字さん、興味深く読ませて頂きました。
>ビスマルクは(略)当時一気に揉み潰されてもおかしくない小国を欧州の大国の一翼であるドイツに仕上げました。
ビスマルクの偉業を分かり易く簡潔に表現していますね。
>が、ドイツは(ポジティブに)世界史に残る国かというと、大変残念ながら違うと考えてしまうのです。
うーん、そういう考え方もあるのですね。
私はドイツは人類史に大きな影響を及ぼした(及ぼしている)大国だと思っていますが、確かにネガティブな面もありますよね。
>日本が非キリスト教国でありながら先進国として(嫌々ながらも)西洋諸国に認知された
これは世界史に特筆されてしかるべき出来事ですよね。
日本って、なんだかんだ言ってもやっぱり凄いですよね。
>マッカーサー元帥と昭和天皇。世界史上最強のコンビは紛れも無くこの二人だと思います。
リンク先を感嘆しながら目を通させて頂きました。
「ど」の字さん独自の視点は私にとって興味深いです。
98
:
かえる
:2011/01/24(月) 19:33:53
>>88
>ビスマルクの作った国家像は(略)国を超えて多くの政治家が追従しました
>ビスマルクの作った数多くの政治的モデルが、後世に影響を与えて後の歴史を作り、今の世界に到っている
>>89
>アウグストゥスがローマをレンガの街から大理石の街にした
>康熙帝は(略)61年間の在位期間で倦むことなく清を発展させ続けた
「昔の人」さんの情熱が伝わって来ます。
心がカッと熱くなる文章です。
線香花火のようにパッと目立つだけの人物よりも、康熙帝のように継続して結果を残し続ける人物に、私は激しく魅かれるものを感じます。
「ど」の字さんの評
『エポックメイキング達成とも看做せます。』
『【政治】98』
昔の人さんの評
『持続力も奇跡的』
優れた両評者の異なる表現での康熙帝の業績の表現、とても味わい深いです。
99
:
かえる
:2011/01/24(月) 19:40:06
>>96
>日本史上最高と思われる人物を軽く紹介して終わりにしたいと思います。
>池田隼人しかいないでしょうね。
面白い! 面白いです。
ちょうど私もおそるおそる「日本で最高の政治家は誰でしょうか?」と質問したくなっていました。
昔の人さん、笑わないで下さいね、私は大久保利通が、最高とまでは言えないものの、日本史で有数の政治家の一人だと思っています。
(メジャーネームしか知らない私が恥ずかしいです。)
100
:
971
:2011/01/25(火) 03:21:27
というか、大久保は最高とか傑物とかそういうカテゴリでなく怪物だと思うw
101
:
パトリオット
:2011/01/28(金) 16:51:08
昔の人さんの基準はバランスがとれ秀逸だと思います。
同意することしきりです。
どこまでその人自身の能力とするかは難しいです・・・。
日本的リーダーは特に難しく感じます。
徳川家康なんですが江戸の開発の代表者として世界的評価になりませんかね。
後ですが極東ながら江戸は世界最大級ないし最大の都市になってますし、江戸時代後の日本は世界帝国と同等とは言いませんが島国にしてはスケールが結構大きくなってるように思います。
家康がやってなかったらここまでなってたかどうか怪しいですし、内政でこれ以上の結果と影響となると日本史上では厳しいので。
見当違いだったらすいません。
世界史トップ候補はベタにダレイオス1世を推します。
102
:
971
:2011/01/28(金) 19:11:09
世界最高についてはみんな重視するポイントやら評価が加算制か減点制なのかやらで、
結局のところ結論は一致しないだろうと思う。うん。
日本最強の政治家は大久保だと思うけど。
あの時期に数年間とはいえ、司法以外ほとんどの内政を一人で切り回してたとかマジありえん。
103
:
かえる
:2011/01/28(金) 21:29:47
>>101
パクストクガワは評価されていますよね。
>>102
>結局のところ結論は一致しないだろうと思う。
そうでしょうね。
色々な方の意見を伺い、議論するのが面白いです。
104
:
かえる
:2011/01/29(土) 17:27:33
>>101
>世界史トップ候補はベタにダレイオス1世を推します。
いいですね!
平成19年に大阪歴史博物館でペルシャ文明展が開かれました。
ダレイオス1世の時代のシグロス銀貨が展示されましたが、
黒く煤(すす)んだ銀の小さな塊は、ロマンをかき立てられます。
銀貨に刻まれた『左手に弓を持ち右方向に向かう王侯風人物』
のデザイン(と考古学者のネーミングセンス)はとてもいい感じです。
105
:
パトリオット
:2011/01/31(月) 23:17:14
流石貨幣の元祖リディアを征したペルシア帝国ですね。
金属の塊に過ぎないものから権力やその誇示とか豊かさといったものが伝わってくるようです。
デザインもかっこいい。
今のリディアから繋がる貨幣もそうですがペルシア系祭司のマギが三博士の由来になり英語のマジックやメイジに繋がるみたいに勝手にですが歴史に関して色々とああここから繋ってるのかなって思える時が個人的に何か感慨深いものがあって好きです。
武力はアレクサンドロス、魅力はカエサル、統率はスターリンとかチンギスハーンとか異論あるにしても結構決まりやすいと思うんですが政治はなかでも難しそうですね。
知力もややこしい。
106
:
971
:2011/02/01(火) 02:51:28
知力は古代・中世・現代の代表としてそれぞれ孫武・デカルト・ノイマンを挙げようと思ったが、
このスレの対象は孫武しかいないことに気付いたw
それに知力というより知性かこれは。
107
:
かえる
:2011/02/01(火) 20:50:57
>>105
>統率はスターリンとかチンギスハーン
面白いですね。
スターリンの名前を挙げる感覚が好きです。
チンギスハーンの能力ってどのくらいなのでしょうね。
業績は偉大過ぎますが、伝記を読むと超人ではないような気もします。
(アレクサンドロスやカエサルのような超人性をあまり感じません)
気楽にチンギスハーンの能力を考えて見ました。
S・A・B・C・D・Eで評価しています。
統率A
武力A
知力B
政治B
魅力A
こうして見ると、総合力はSの人物ですね。
108
:
かえる
:2011/02/01(火) 20:57:07
>>106
>ノイマン
ジョン・フォン・ノイマン!
いい! 971(飛び道具の苦無ですか?)さん、そのセンス、いいです!
109
:
971
:2011/02/02(水) 00:45:56
や、見たまんまの元数字コテですがな。
トリップなくしたけどw
110
:
昔の人
:2011/02/02(水) 03:36:10
>>107
時間が無いので大ざっぱにやると、
統率S武力B知力A政治C魅力Aってところでしょうかね。
チンギスハンの最大の偉大さは、その高い組織能力ですので。
彼が無敵だったのは、戦場で強いからじゃなくて、
武勇を誇るだけの遊牧民を進んだ軍制によって世界最強の軍隊に作り変えたのと、
多方面に優れた将軍を派遣して、世界史上でも屈指の広域作戦の司令官だったからですね。
将の将たる能力ですね。
111
:
かえる
:2011/02/02(水) 23:35:31
>>110
>武力B知力A
流石ですね。この評価、たまらないです。
>多方面に優れた将軍を派遣
>世界史上でも屈指の広域作戦の司令官
的を得た素晴らしい評です。
112
:
昔の人
:2011/02/11(金) 11:29:54
呂后
【統率】80 劉邦亡き後の多難な時代において、諸侯や大臣の反抗を許さず、異民族にも隙を見せなかった。優れた独裁者である。
【武力】18 経験なし。どのレベルにおいても軍事に関する見識はない。
【知力】72 激怒して誤った判断を下しても、諫言を聞けばすぐ改める。政戦においてほぼ誤りなく。実に賢明。
【政治】75 強力な諸侯や大臣を凌駕する権力を、政治手腕によって築いた。また、前代の政治を踏襲したとはいえ内乱の時代の後に、
法を用いなくても治安が安定し、経済や民衆の生活を大いに向上させたのは一流の政治家と言える。
【魅力】34 人望に欠け、自分の子や自ら立てた皇帝にさえ嫌悪され、親族と旧知の人間以外に信頼できる部下を持てなかった。
どんな国でも、時代と体制を問わず、長期政権を築けるか否かは、
創業者の器量より、その次の代の政権運営を担う人物の器量にかかっています。
創業者は国を作ったというと言う実績と実力を誰もが認めているので、
建国後に醜態が多くても国の運営はどうにかなります。しかし、次の代の権力者には、
創業者のような並ぶ者が無い権威がなく、同等かそれ以上の実力者が内外に大勢いますので、
少しでも舵取りを誤ると、自身の権力どころか、国の存続すら困難になります。
創業者の次世代に、優れた指導者を得られなかった国は、ほぼ短期政権で終わっています。
漢を長期政権たらしめたのは、呂后の優れた力量によるところが大きいです。
簫何に次ぐ賢相と評判高い曹参は、行政面での限定された権力しか持っておらず、
歴史的功績は呂后よりだいぶ劣ります。呂后は司馬遷が呂后本紀を作ったのは、実に的を得たことと言うべきでしょう。
呂后の評価を低めている残虐行為と専横については、
それで国を弱めたなら減点材料ですが、弱めるどころか盛んにしたので、
考慮する必要はないでしょう。
何億人虐殺しても、臣下や民衆からその人物を怨嗟する声が無ければ、
臣下や民衆からの人気や敬愛の度合いなどを加味すると、高魅力になる場合もありますね。
113
:
かえる
:2011/02/11(金) 22:40:21
>>112
昔の人さん、有難う御座います。
ところどころ心の中で唸りながら、とても楽しく読ませて頂きました。
>呂后
>長期政権を築けるか否かは(略)次の代の政権運営を担う人物の器量にかかっています
>創業者は国を作ったというと言う実績と実力を誰もが認めているので、建国後に醜態が多くても国の運営はどうにかなります
>司馬遷が呂后本紀を作ったのは、実に的を得たことと言うべき
>呂后の評価を低めている残虐行為と専横については(略)考慮する必要はない
>何億人虐殺しても、臣下や民衆からその人物を怨嗟する声が無ければ(略)高魅力になる場合もあります
↑
私の唸りポイントです。
114
:
パトリオット
:2011/02/11(金) 23:16:13
興味深いです。
逆にその虐殺・悪行がでっちあげだったり誇張だったり、本当はいいことしている場合でも結果的に臣下や民衆や知識人や宗教信徒からの怨嗟の声が大きい場合には低魅力になり得るということでしょうか。
なかなか難しいものですね。
115
:
かえる
:2011/02/12(土) 00:49:14
>>114
>低魅力になり得る
人によって様々な評価があることも、数値化の楽しみですよね。
同じ評者でも年をとると、評価が変わるのも面白いです。
例えば私の秀吉に対する評は、
太閤立志伝の太陽のようなイメージ
↓
晩年を知って評価が下がる
↓
しかしやはり英雄だと再評価する
と私が年をとるにつれて変わっています。
116
:
かえる
:2011/02/12(土) 00:56:12
>>112
みなさんは呂后のような女性を奥さんにもらいたいですか?
私はいやです。
心が安らがないです。
>実に賢明
>一流の政治家
>【魅力】34 人望に欠け、自分の子や自ら立てた皇帝にさえ嫌悪され
昔の人さんのご指摘のように、賢くても、人としての温かさを感じないです。
117
:
かえる
:2011/02/12(土) 01:22:33
>>110
>チンギスハンの最大の偉大さは、その高い組織能力です
昔から考えていたのですが、テムジンがいなければ、人類史で空前の大帝国は成立しなかったのでしょうか?
それとも指導者が誰であれ、民族のエネルギーの然らしめるところとして、大国を成していたのでしょうか?
有能なジャムカが指導者なら、モンゴル高原の遊牧民はどうなったでしょう?
トグリル(オン・カン)が指導者だったら?
荒唐無稽なことを承知で、源義経だったら、武田信玄だったら、武田勝頼がテムジンの立場だったら、と想像すると楽しいです。
118
:
昔の人
:2011/02/12(土) 05:00:13
>>114
その虐殺や悪行がでっちあげで、一般には知られてないけど、
実は多くの人に敬愛されていたという事実があったなら、魅力は高くなるでしょうね。
しかし、どんなに人格が高潔で、行いが非の打ちどころが無くても、
人望が得られない人ってのはそんなには珍しくありません。
そして、魅力やカリスマというのは、人格や行いの立派さを評価する能力ではありません。
地位や政治・軍事での名声に関係なく、多くの人の心をつかんだ人物の魅力が高くなるでしょうね。
どんなに人格が立派でも、人の心をつかめなかった人物が魅力高くなるのは不自然でしょう。
むしろ、人格低劣で生きてた当時においても隠しようが無いぐらい虐殺や悪行を重ねてたのに、
多くの人の心をつかんで、非難を押さえ付ける権力も無いのに、批判が無かった人物の方が魅力は高くなるでしょうね。
119
:
昔の人
:2011/02/12(土) 05:19:25
>>115
秀吉は日本では珍しい中華的暴君ですね。天下を手に入れるまでの手際を高く評価するか、
それとも晩年の暴君ぶりを低く評価するかは人それぞれでしょうね。
特に秀吉の晩年の行いは、ちゃんと検証したら必要悪だったってわけでもなく、
取り繕いようのない本当の愚行ですし。
しかし、それで臣下や民衆に嫌悪されたわけではなく、
生きている間は求心力が損なわれることも無かったし、
死後も家康ですら自分の正統性を主張するために秀吉の非を鳴らし、
秀吉に反感を持つ人々を結集するということはしてないので、魅力は差し引かなくていいでしょうね。
臣下に対する統制を失ったわけでもないから、統率も低くならない。
愚行のせいで政治が滞ったわけでもなく、秀吉生存中は高いレベルで機能していたので、
政治も差し引くべきではないでしょう。低くなるとしたら、知力でしょうね。
政権の未来に大きな禍根を数多く残した愚かな判断は、知力の低さ故と解釈できますから。
120
:
昔の人
:2011/02/12(土) 05:51:08
>>116
一代の英雄というべき器量があるかどうかと、仲良くできるかどうかは別ですしね。
その時代では並ぶ者が無い英雄で、誰もが慕ってたような人物でも、絶対に近寄りたくない類の人と言うのはいますし。
>>117
ジャムカは十三翼の戦いで勝ったのに、その後の行動によって人心を失って、
次々と味方が劣勢なチンギスに降っていったという点で、君主たる資格が無いですね。
チンギスをしのぐ大勢力を持っていて、決戦に勝ったにもかかわらず、
味方を失望させて忠誠心を失わせたのは、明らかな魅力の欠如ですし、
忠誠心を失った味方をうまく統率できずに、勢力が瓦解状態になったのは統率の欠如でしょう。
政治能力と軍事能力ならチンギスにひけを取らないとは思いますが、指導者の器では無いですね。
オン・ハンの勃興はチンギスが味方に付いてから始まり、敵となってから衰退した感がありますね。
チンギスと出会った時は二度目の亡命中でしたし。チンギスよりは格段に劣る人物ですね。
チンギス以下の人物でも、チンギスと同じことができてたとしたら、
唐末に回鶻が中国と中央アジアを手にしてたでしょうね。
121
:
パトリオット
:2011/02/12(土) 14:02:25
>>116
呂后みたいな・・・嘘や誇張があるとは思いますが常人には無理な気がします。
>>117
他の人物だったら騎馬民族にしてあれほど都市攻略で成功したり出てくる後継者が揃って優秀みたいなことにはならなかったんじゃないかと。
火器が十分に発達する前で時流もあったんでしょうが征服事業があれだけ継続し成功し得たのはチンギスハーンの構築したシステムや精神性による面が大きいのではないでしょうか。
スタートした人がカリスマがありつつ、貪欲で狡猾で冷徹だけど現実主義的でなければ分裂するか途中で終わるかしてたと。
アレクサンドロスほどロマン主義はないしカエサルのような寛容もないし創造よりは略奪。
狼の群れのリーダーのような人ですが。
彼とその後継者がイスラムの寛容性と創造性の一部をぶっこわしてなければ世界はもっとおもしろかったかもしれないというのは言い過ぎでしょうか。
破壊したのに魅力が高いのは敵をはっきりさせて敵対するものは完全に滅ぼしたからか。
英雄ですが好きになれません。
>>118
なるほど優等生が嫌われる感じでしょうか。
残虐で裏で特に何もしてないのになぜか人に好かれるといった場合は確かに魅力高くなりそうですね。
122
:
昔の某常連
:2011/02/13(日) 01:30:34
本田実信や杉山正明の論文を斜め読みした感じだと、チンギスの功績は遊牧社会ではじめて戸別支配(個別的人身支配まではいかない)を達成したことだと思います。
匈奴も鮮肥も柔然も突厥もウイグルもセルジュークも、所詮は部族長を介した間接支配です。だからいったん国家指導者と構成部族指導者の絆が絶ちきられると一瞬で帝国が崩壊する。
それをチンギスは1206年にトオリル政権を乗っ取ったあたりで既存の部族を一旦解体し、自分の都合がいいように氏族単位ぐらいの規模で鉢植えをやって、軍事コマンドに再編し、それを維持するために直ちに外征を開始し、常時国家を臨戦態勢に置くことで内なる結束を固めたんです。
モンゴル帝国以降の部族集団は、全部このときチンギスが再編したコマンドに由来しています。
タイプとしては家康型ですね。
この大再編に前例がないことと、モンゴル帝国の異常な粘り強さ&異常な軍事拡大の元になったことからすれば、統率95以上で良いと思います。
反面、武力なんて70代でもいいぐらいです。
123
:
昔の某常連
:2011/02/13(日) 01:54:03
チンギス以外の人間に同じことがやれたかという点ですが、私は基本的に世界史には流れがあると思っています。
イェスゲイの子テムジンという人物が存在しなくても、少なくとも草原は統一へ向かいつつありました。
12世紀、金の海陵王が南宋遠征のため内モンゴルの契丹族を強引に徴兵したことが契機となって草原への統制が弱まり、チンギスの祖父にあたるカブル・カンが一時草原東部を押さえかけました。
カブルは敗れたものの、金の対草原支配は一気に弱まり、タタルとケレイトの台頭を許すことになります。
チンギスが頭角を表わすきっかけとなるオンギンチンサン(王京丞相)のタタル討伐は久々に金が草原対策に本腰を入れようとした事件ですが、結局はケレイト王トオリルの躍進をまねき、金はトオリルに王号を与えて南モンゴルを間接コントロールしようとします。
この時点でトオリルの立場は17世紀のヌルハチに近いものでした。
金の内部は乱れていたし、西夏も西遼も衰退期に入っていました。
より広く見れば、唐とイスラーム帝国の解体以来の混乱の結果、ユーラシア大陸全域で大政権がほとんどない状況で、反転して一気に世界帝国が生まれる芽は十分にありました。また、気候の温暖化と先進的な製鉄技術の普及によって、遊牧民のポテンシャルも大きくなっていました。とくにアルタイ山脈とアンガラ流域のミヌシンスク盆地にある鉄産地を押さえれば、トオリルやジャムカでも、おそらく華北と中央アジアは征服できたでしょう。
124
:
昔の某常連
:2011/02/13(日) 02:09:46
ただし、ここから先はチンギスの独自性がものをいいます。それは先程書いた部族制解体と、優秀な後継者の存在です。
チンギスは所属部族がいったん壊滅したところ、ゼロから這い上がった人物だからこそ、自分個人に絶対服従を誓う四駿四狗らを獲得し、しがらみなしにタタルやメルキトを大虐殺し、有力部族に大鉈を振るえました。
一方トオリルはいわば守護大名です。そんな大鉈は振るえません。ということは、チンギスのような長期戦ができません。すると、西で壁にぶつかります。ホラズムです。
ホラズムのアッラー・アッディーンはアラル海北部のカンクリ族を使ってイラン高原から中央アジア、アフガニスタンまでを制圧しました。少なくともガズニのマフムードやセルジュークのトゥグリルに匹敵する偉業です。
いずれアッバース朝も屈伏したでしょうし、カンクリ族との繋がりを考えれば、史実でジョチ一族が押さえたキプチャク草原もホラズムの手に落ちたでしょう。
これを倒すのには高度に統制された国家戦略と、指導者の意のままになる軍団が必要です。
チンギスはこの両方でアッラー・アッディーンに優ったのでホラズムを征服し、世界帝国への扉を開き得ました。
チンギスのような成り上がりの天才でなければ、前提条件を満たせません。
もしホラズムを叩けなければ中央ユーラシア草原の東と西が分かれたままになるので、結局ウイグルか突厥レベル。
そのままズルズルと、13世紀後半の寒冷化で瓦解しただろうと思います。
もっともモンゴル帝国なくして火薬の普及は起こらないので、唐とアッバース朝のような世界帝国がもう一サイクル生まれて滅び、気候が変動する17世紀から19世紀あたりにまた遊牧民の世界帝国ができる……まぁそんな流れでしょうね。
なんだかえらく話が逸れていってしまいました。
125
:
971
:2011/02/13(日) 17:51:43
チンギス自身の資質と才能が最も大きな要因だけど、
複数の優秀な、しかもそれぞれが異なる才幹を持つ息子がいたというのがやっぱり決め手かな。
オゴタイもトゥルイも世界史レベルで優れた人物だけど、
ジョチやチャガタイがいなければ父親の築いた版図を維持するのが関の山だっただろうから。
つか、ジョチもオゴタイもトゥルイもこれまた優秀な息子をそれぞれ遺したし、この一族は存在そのものがチートだw
126
:
かえる
:2011/02/14(月) 18:29:25
>>119
>秀吉は日本では珍しい中華的暴君ですね。
中華的暴君、詩的な言葉ですね。
味わいました。
>秀吉の晩年の行いは(略)本当の愚行です
そうですよね。
くすっと苦笑しました。
>しかし、それで臣下や民衆に嫌悪されたわけではなく、
>生きている間は求心力が損なわれることも無かった
これって凄くないですか。
>臣下に対する統制を失ったわけでもない
す・凄い。
>愚行のせいで政治が滞ったわけでもなく、秀吉生存中は高いレベルで機能していた
!!!(絶句)
昔の人さん、秀吉に対する評、有難う御座いました。
127
:
かえる
:2011/02/14(月) 18:42:58
>>120
>ジャムカは(略)決戦に勝ったにもかかわらず、味方を失望させて忠誠心を失わせた
>忠誠心を失った味方をうまく統率できずに、勢力が瓦解状態になった
決戦で勝ったのに、最後は敗れた。
昔の人さん、人々が紡ぎ出す歴史って本当に味わい深いですね。
以前に読んだ本で、十三翼の戦いと小牧長久手の戦いの類似点を挙げている人がいました。
>オン・ハン(略) チンギスよりは格段に劣る人物ですね。
オン・カンさん・・・(´;ω;`)ブワッ
>チンギス以下の人物でも、チンギスと同じことができてたとしたら、
>唐末に回鶻が中国と中央アジアを手にしてたでしょうね。
ここ! とっても面白いです!
ウイグルについて私は知らないのでウィキペディアを斜め読みしました。
なるほど、唐末のウイグルにも、中国と中央アジアを併せた大帝国を成すチャンスがあったとするお考えですね。
ロマンですね! いいですね!
128
:
かえる
:2011/02/14(月) 18:55:31
>>121
>彼とその後継者がイスラムの寛容性と創造性の一部をぶっこわしてなければ
>世界はもっとおもしろかったかもしれないというのは言い過ぎでしょうか。
なるほど、面白いお考えですね。
>英雄ですが好きになれません。
チンギス・カンのことを好きになれないお気持ちも分かります。
チンギス・カンと朱元璋の肖像画って、何だか雰囲気が似ていませんか。
129
:
かえる
:2011/02/15(火) 20:16:30
>>122
昔の人さんと同じく、古の諸賢のお一人ですね。
>チンギスの功績は(略)はじめて戸別支配(略)を達成したこと
>部族長を介した間接支配 (略) 国家指導者と構成部族指導者の絆が絶ちきられると一瞬で帝国が崩壊する
>チンギスは(略)既存の部族を一旦解体し、自分の都合がいいように氏族単位ぐらいの規模で鉢植えをやって、
>軍事コマンドに再編し、それを維持するために直ちに外征を開始し、常時国家を臨戦態勢に置くことで内なる結束を固めた
この見解、凄いですね。
歴史学会のプレゼンテーションみたいです。
>統率95以上で良い
昔の人さんも統率Sとご評価されていますよね。
テムジンの素晴らしい統率力について、学ばせてもらいました。
有難う御座いました。
>武力なんて70代でもいいぐらい
なるほど、とうなづきました。
130
:
かえる
:2011/02/15(火) 20:29:32
>>123
>チンギス以外の人間に同じことがやれたかという点ですが、
お答え、とても嬉しいです!
>私は基本的に世界史には流れがあると思っています。
私も同じ考えです。
>この時点でトオリルの立場は17世紀のヌルハチに近いものでした。
この例え、たまらないです。
>アルタイ山脈とアンガラ流域のミヌシンスク盆地にある鉄産地を押さえれば、
>トオリルやジャムカでも、おそらく華北と中央アジアは征服できたでしょう。
うわっ、面白い! 面白い!
間違っていたら申し訳ありませんが、
井上靖さんが(歴史学者ではなくて小説家ですが)、
「テムジンがいなかったら、あの大帝国は歴史に登場しなかった」
みたいなことを述べられていました。
私にはとてもインパクトのある見解でした。
131
:
かえる
:2011/02/15(火) 20:41:54
>>124
>ただし、ここから先はチンギスの独自性がものをいいます。
キタ━━━━ヽ(・∀・` )ノ━━━━!!!!
>チンギスは所属部族がいったん壊滅したところ、ゼロから這い上がった人物だからこそ、
>自分個人に絶対服従を誓う四駿四狗らを獲得し、しがらみなしにタタルやメルキトを大虐殺し、
>有力部族に大鉈を振るえました。
うおっ、凄い。
>トオリルはいわば守護大名です。そんな大鉈は振るえません。
>ということは、チンギスのような長期戦ができません。
なるほど、なるほど。
>すると、西で壁にぶつかります。ホラズムです。
キタ ━━━ヽ(´・ω・`)ノ ━━━!!
>ホラズムのアッラー・アッディーンはアラル海北部のカンクリ族を使ってイラン高原から中央アジア、アフガニスタンまでを制圧しました。
>少なくともガズニのマフムードやセルジュークのトゥグリルに匹敵する偉業です。
私も昔から、アラーウッディーンの業績は立派だと漠然と感じていました。
私は知識がなくて論じることができませんが、昔の某常連さんが偉業と評価して下さって、素直に嬉しいです。
>そのままズルズルと、13世紀後半の寒冷化で瓦解しただろうと思います。
>もっともモンゴル帝国なくして火薬の普及は起こらないので、唐とアッバース朝のような世界帝国がもう一サイクル生まれて滅び、
>気候が変動する17世紀から19世紀あたりにまた遊牧民の世界帝国ができる……まぁそんな流れでしょうね。
言葉がありません。
神の眼。
>なんだかえらく話が逸れていってしまいました
司馬遼太郎さんの余談みたいですね。
驚嘆しながら読ませてもらいました。
有難う御座いました。
132
:
かえる
:2011/02/15(火) 20:46:30
>>125
>この一族は存在そのものがチートだw
971さん、確かにそうですね!
ゼビウスを裏技を使ってプレイするようなものですね!
なんのこっちゃ。
133
:
通りすがり
:2011/02/15(火) 22:40:29
リクありかどうか分かりませんが
土方歳三の評価をどなたかお願いいたします
134
:
かえる
:2011/02/16(水) 00:29:37
>>133
燃えよ剣、心を震わせる名作ですよね。
S〜Eで評価しました。
統率B 新撰組を纏め上げた組織力
武力B 優れた戦術眼
知力C 情としてはBにしたい
政治D 明らかに榎本の方が上
魅力C(京都時代)→B(北地戦) 逆境の奥羽転戦時にも慈父と慕われる
135
:
昔の人
:2011/02/18(金) 09:40:15
季布に挑戦
【統率】53 楚の将軍や漢の河東太守を歴任。
【武力】71 しばしば敵を破り、旗を奪い、劉邦の憎悪を買うほど苦しめた猛将。
【知力】72 呂后を諫めて匈奴出兵を取りやめさせ、文帝に諫言し、政道を正した直言の士。
【政治】58 漢の河東太守を大過なく勤めた。
【魅力】80 誰もがその信義と侠気を慕い、名望は天下を覆い尽くした。
項羽配下で最も有能な将の一人。軍事能力だけでなく、
判断力と見識にも富み、人望も厚く、知勇と人格を兼ね備えた一流の人物。
136
:
昔の人
:2011/02/18(金) 09:57:01
鍾離眛に挑戦
【統率】60 別軍を率いることが多かったと思われる。特に過失もなく有能。
【武力】72 項羽配下で最も優れた将の一人で劉邦を苦しめて憎まれた。酈商と激闘を繰り広げる。
【知力】64 韓信の末路を予見した。
【政治】36 未経験。
【魅力】50 人並み。
137
:
かえる
:2011/02/18(金) 18:50:48
>>135
>季布に挑戦
有難う御座います。
>【統率】53
この控えめな評価、とてもいいですね。
>【魅力】80
かなり高評価ですね。
>判断力と見識にも富み、人望も厚く、知勇と人格を兼ね備えた一流の人物
昔の人さんは季布のことを高く評していますね。
昔の人さんの季布評を読んでいると、私の頭の中に、
無骨でいかつく、静かな目をした、実直そうな季布の顔が浮かんできました。
138
:
かえる
:2011/02/18(金) 19:07:16
>>136
>鍾離眛に挑戦
またまた、有難う御座います。
総合的に能力値を抑えめにしたいい評ですね。
(70〜80の連発ならおかしいな、と思っていました)
さすがは昔の人さん、と感心しました。
>>【統率】60
>別軍を率いることが多かったと思われる。特に過失もなく有能。
さりげなく書かれていますが、良い評です。
有能なのは認めつつ、統率値は60に抑える。
さすが昔の人さんです。
>【知力】64 韓信の末路を予見した。
確かに鍾離眛って、知力が高そうなイメージがあります。
>【政治】36 未経験。
かえる「み、未経験ですものね! しょうがないですよね、鍾離眛さん!」
鍾離眛「むむむ。」
かえる「子孫の鍾会さんのご活躍に期待しましょう!
それでは楚漢のみなさん、さよなら、さよなら、さよなら。」
139
:
139
:2011/02/27(日) 09:22:29
>>44
それは日本人だから当然でしょうが。
数値化というのは皆一定の数値ではなく、多少の主観が入っていてそれぞれ違うからこそ面白い。
文句を言うなら自分で数値化してはどうだ?
140
:
パトリオット
:2011/02/28(月) 21:37:15
ちょっと違うなと思ったら自分で数値化するのが一番わかりやすいですね。
しかし面と向かって同じ人物のかなり違う数値化をするのはそれなりに自信や説得力や勇気や手間がいるし多くはない。
折角数値化してくれてるのに気を悪くしてほしくないのもあります。
そうしなきゃ何も言えないってことでもないだろうしまあ指摘するだけでも大いに意味があると思うのですが単に文句だけに見えるとじゃあそれを自分なりに数値化して欲しいってなりますね。
日本人が高かったりフィクションで有名な歴史上の人物の数値が高い傾向にあるのは避けられないかと思いますがそれは本家にも見られることで、極端でなければ魅力ですらある思います。
ただそういう人物にこそ逆に厳しい見方をしたりマイナーな時代の人物でも能力を的確に数値化したりシビアな見方でリアルな数値化をしたりするのも醍醐味ではないかと思います。
そのような秀逸な数値化も多くあると思います。
141
:
昔の某常連
:2011/03/01(火) 03:43:15
日本の人物についてはひとによって本当に傾向が分かれますね。
自分は日本人である以前に地球人としての立場で評価するようにしています(笑)
日本人があまり知らないだけで、インドにもアフリカにも古代アメリカにも日本の偉人に匹敵する人物はいくらでもいるはずです。
情報が少ないと過小評価しがちだし、情報が多いと過大評価しがちなので、自分はむしろマイナーな国の英傑を甘めに査定し、日本人を厳しめに査定しがちです。
それ以前に日本人はあまり査定しませんが。
日本人が信長や竜馬を100点満点にするならば、ケニア人はジョモ・ケニヤッタを100点満点にし、タンザニア人はニエレレを100点にするでしょうけど、第三者から見れば、たぶんどれも過大評価でしょう。
142
:
厳選された大人の素人女性
:2011/04/15(金) 13:53:11
0^h5J-2=, www.iphonechat.biz, 厳選された大人の素人女性,
http://www.iphonechat.biz/livechat_info/147.html
143
:
第71回皐月賞
:2011/04/23(土) 15:00:55
!IONFyM+, www.infosale.biz, 第71回皐月賞,
http://www.infosale.biz/exp/112.html
144
:
初めて来た
:2011/06/15(水) 00:17:50
せっかく来たのですが…
145
:
ドーナツ
:2011/06/17(金) 13:59:35
菅直人
S・A・B・C・D・Eで評価してみました。
統率 C
武力 D
知力 C
政治 C
魅力 C
大きな欠点はなさそうにも思えますが、平凡な能力になりました。
146
:
過客
:2011/07/14(木) 23:20:05
夏草や兵どもが夢の跡
147
:
ドーナツ
:2011/09/12(月) 21:51:37
>>145
菅直人
結果を残せずに退陣してしまいましたね。
「菅直人」でググると「無能」と表示されてしまいます。
一般人の多くが抱いている本音の評価だと思います。
気の毒ですが(本当に気の毒なのは、日々を一生懸命生きている、我々庶民かも知れません)、後世、人は菅さんを評価しないでしょうね。
評価(S・A・B・C・D・E)を下方修正します。
統率 C ⇒ D↓ ここぞという時にリーダーシップを発揮できなかった。
武力 D ⇒ D or E↓ 実績なし。
知力 C ⇒ D↓ 総理の座にいる間、知的だと感じたことはなかった。
政治 C ⇒ D or E↓ 何をした? 政策に見るべきところなし。
魅力 C ⇒ E↓ 日本人の大多数は、菅さんに魅力を感じないと思います。
菅さん(鳩山さんも)、私たち一般市民はもう疲れているのです。
反論もあるでしょうが、私はルーズベルトのような政治家が日本の指導者になってくれることを望んでいます。
148
:
ドーナツ
:2011/09/12(月) 22:25:25
箸休めで天下統一前の司馬炎(白い炎さん)を評価してみます。
S・A・B・C・D・Eで評価しました。
司馬炎 ―――三国、悉く司馬氏に帰す―――
統率 B 有能な家臣である賈充・楊済らに大軍を預けて呉への侵攻を決し、中国を100年ぶりに統一した。
武力 D 自ら戦場で軍は率いない。ある意味君主の器。
知力 B 統一前は愚かな振る舞いなし。
政治 B 農政改革を行うなど、善政に努めた。泰始律令という新法も制定した。
魅力 B 反逆の濡れ衣を着せられた艾の名誉を回復したり、敵である呉の皇帝孫皓の命を助けるなど温和な対応をした。
149
:
ドーナツ
:2011/09/12(月) 23:11:14
石勒(せきろく)―――奴隷から皇帝になった男―――
統率 B 「劉家の千里の駒」劉曜を破り、華北を平定した。
武力 B 先鋒となって壺関を陥落させるなど、武功は枚挙に遑(いとま)がない。
知力 C 文盲であったが、他人に書物を読ませ聞くことを好んだ。二劉曹操司馬父子論で、曹操と司馬懿の行いを、欺き・狐のように媚びて天下を取ったと批判した。
政治 B 君子営を作って漢人の知識人を集めた。法律の施行・九品の決定・度量衡の統一・戸籍の作成・農業の奨励を行い、混乱した河北の秩序を回復させた。
魅力 B 子のときに父の代理を務め、部人から信頼された。覇業を支えた群盗仲間を、石勒十八騎と号した。生涯を通して大きな反乱は起こらなかった。
150
:
saorin
:2011/09/13(火) 06:38:54
不景気だと騒がれていますが・・・(#^^)b!
http://tinyurl.k2i.me/Afjh
151
:
ドーナツ
:2011/09/13(火) 22:39:47
李元昊(りげんこう)―――敦煌は燃えているか―――
西夏の名君です。S・A・B・C・D・Eで評価しました。
統率 A 吐蕃(チベット)を討ち、宋と戦い、遼を退けた。外征に大きな成功を収める。
武力 A or B 宋との戦い(宝元戦争)には何度となく大勝した。
知力 B 若い頃から智勇に優れ、教養も豊かな人物であったとされる。
政治 A 宋に倣った官位制度の整備、学校の創設による教育の普及、軍備増強など、国家の基盤固めに尽力した。多額の歳賜と引き換えに、臣を称して宋と和議を結び、大きな実利を得る。西夏文字の形成にも尽力し、西夏の文化向上に努めた。
魅力 B 大きな反逆もされずに西夏を治めていたが、最期は皇太子に殺された。井上靖は小説で、異民族である漢人の捕虜にさえ、「この人のために死んでもよい」と思わせる人物として李元昊を描いている。
152
:
ふらり立ち寄り
:2011/09/25(日) 12:45:19
>>44
なるほどそうですか
では減点方式で日本史の有名人物であるこの人を評価してみましょうか
織田信長
統率32(家臣にも民にも生涯そむかれ続けた。統治においても粛清や虐殺が頻発しており酷いの一言。)
武力37(勘違いと偶然が重なって桶狭間の勝利は得たが、とにかく敗戦が多い。生涯敗戦は数十に達する戦下手。)
知力48(包囲網をしかれまくり、過失で敵対勢力をつくりまくり。)
政治22(領国指示は追認主義で適当、征服して統治した国ですぐに離反反乱続発して虐殺、というパターンがお約束。)
魅力11(生涯にわたって家臣からも民からも背かれ続け、虐殺焼き討ちの嵐によって悪名は当時から既に高く、本能寺の後では恨みが噴出して領国崩壊。
江戸時代から明治において人格的評価では低い事が定番だった。死亡直前の肖像画では明らかに神経を病んだ顔つきをしており、猜疑心も深かった。
その悪行と悪名のとばっちりは孫にまで及んでいる。史実の彼は近年のゲームや漫画で作られた虚像とは明らかに別物。)
減点方式でいくとこんな評価になりましたがいかがでしょうか?
153
:
ドーナツ
:2011/09/26(月) 00:00:50
>>152
ふらり立ち寄りさんの書き込み、嬉しいです。
酷い能力値の信長ですね。返って新鮮です。
私の評価です。
織田信長―――覇王の夢―――
統率95(戦略眼は戦国時代ではトップクラス。運にも恵まれたが、善く逆境を撥ね退け、広大な領土を治めた。天下布武。)
武力80(戦術面は謙信、信玄といった一流には一歩譲るか。実戦指揮は秀でていたが、敗戦も多い。)
知力95(寡黙にして多くを語らないが、物事の本質を掴んでいたように思える。)
政治97(政策は斬新。外交ではプライドを殺し耐えることも出来る。政治というものを深く理解していた。)
魅力90(多彩な人傑が信長の元に集った。)
私は信長のことを日本史上第一等の人物だと思っています。
154
:
ふらり立ち寄り
:2011/09/26(月) 21:28:35
>>153
おやおやw
私は
>>44
さんのレスを受けて
減点方式だけで評価すると日本史の有名人物とされる信長はどうなるか?
という事を半ばネタ風味に表してみただけですよw
まじめに評価するならまた違った評価数値をつけますね
ただそれを差し引いても、ドーナツさんとは随分評価が異なる事になりそうです
信長の政策で一昔前は斬新とか革新的とかいわれていたものの多くは、ほかに先駆者がいて
信長はそれを追認や模倣していたケースが多い、というのは近年の史学ではだいぶ常識的になってますからね
近年のゲームや漫画だとやたらと爽やかで美男子なイメージをもたれているようですが、
実際の彼をリアルに描いたとされる狩野筆の肖像画では眼もとは落ち窪んでクマだらけ、
縦長の顔は不自然に頬が痩せこけ、眼つきはやたらと細くて虚ろな感じで、明らかに神経を病んでいると感じられます
実際に彼は生涯にわたって家臣や民に背かれ続け、それに対する粛清や虐殺を数多く行っており、
その強い猜疑心とあいまって神経を相当に病んでいた事が伺えます
私が信長のイメージを言葉で表すなら、魅力には欠けるが奸智と行動力に長け、多大な猜疑心と残虐性を持ったダーク・ヒーローといった感じですか
いずれ数値化にしてお見せする機会があればいいかもしれませんね
155
:
ドーナツ
:2011/09/27(火) 16:24:51
>>154
有難う御座います。
批判、否定的だからこそ、ご意見を頂けて素直にとても嬉しいです。
信長のイライラは糖尿病性神経障害の疼痛に因る、という珍説があります。
「信長が糖尿病でなければイライラして光秀に当たることはなく、本能寺の変は起こらなかったかも知れない。」
凄い想像力だな、と昔感心しました。
私はこういう夢想が好きです。
156
:
ドーナツ
:2011/10/01(土) 22:09:50
ダレイオス3世
―――アレクサンドロスよ、謙虚であれ―――
統率D 二大決戦(イッソスの戦い、ガウガメラの戦い)に敗れ、アケメネス朝ペルシアは滅亡した。
武力E 「戦争に関しては誰よりも臆病で思慮に欠ける」(アリアノス評)
政治C 実力者の宦官バゴアスを殺し、王権の確保に成功。
知力E 敗者の悲しさ、ギリシアローマ人は彼を無定見と評する。
魅力C 肯定的な伝承では、立派な背の高い人物で、高潔で温厚な人柄、親しみやすい、と伝わる。史料「王の予言」では、ダレイオスがバビロニアの神のご加護を得てバビロンへ帰還し、国土を平和に導く、と述べられているという。
157
:
ドーナツ
:2011/10/05(水) 18:36:18
明智光秀―――つがいのかごめよ、何を想う?―――
統率 B 「日向守、こたびの働き天下に面目を施し候」(丹波国平定について織田信長が感状の筆頭に挙げる)
武力 B 鉄砲の名手。飛ぶ鳥を撃ち落としたという逸話あり。「才知明敏、勇気あまりあり。」(ファンタジーだが毛利元就評)
山崎の戦いではランチェスターの法則を覆す驚異的な奮戦(犠牲者は大軍の秀吉軍の方が多いとも伝わる)。
政治 B 亀岡では善政を敷き、現在も光秀を遺徳を偲んで亀岡光秀まつりが行われている。何故か若い女性が光秀役に選ばれたりしている。
知力 B 「戦争においては謀略を得意とし、忍耐力に富み、計略と策謀の達人であった。」(フロイス日本史)
魅力 B 不利な情勢に陥った山崎の戦いでも、裏切り者は一人も出なかった。
158
:
ドーナツ
:2011/10/08(土) 22:04:50
上杉謙信―――霜滿軍營秋氣法宗宗
統率 B 越後国を統一し、西進して越中国・能登国・加賀国へ勢力を拡大した。関東経略は上手く立ち行かなかった。国人衆の連合盟主という地位から脱することができなかった。
武力 S 「日本無双之名大将」(武田信玄評)。個人的には、謙信と信玄の戦術能力は、世界史上でも最も高い水準にあると思う。
政治 C 「謙信の代になって越後の民衆の生活水準が劇的に向上しており、民を慈しむ優秀な領主である」(太田資正評)。
知力 C 情報を得ることを重視し、諜報組織(俗にいう軒猿)を擁したと伝わる。教養があり、文化人としての一面もある。
魅力 B 「謙信だけは請け合ったら骨になっても義理を通す人物だ」(北条氏康評)。謙信は義理がたい武将なので、人に頼られれば決して見捨てる事はない。自分の死後は謙信を頼れ」(武田信玄評)。
159
:
ドーナツ
:2011/10/08(土) 22:49:40
バイバルス―――勝利の隻眼王―――
(生没年:?〜1277年)
統率 A 常勝モンゴル軍や十字軍に対して勝利し、マムルーク朝200年の基礎を築いた。
武力 A 戦闘に生涯を捧げ、スルタン位にあって戦うこと30回以上、そのうち半分は自らが陣頭指揮を取ったという。戦いの決定的な瞬間には、しばしば一兵卒のように最前線に出て、身を危険に晒(さら)した。
政治 B キリスト圏である東ローマ帝国やシチリアとの交易路を開いた。キプチャク汗国との同盟によるイル汗国挟撃など、政治的手腕も優れていた。国家の大きな収入源となっていたにも関わらず、売春を厳しく禁じた
知力 C 常に注意深く計算したうえで行動を起こし、些細なことに関しても極めて慎重であった。享楽的なことを嫌った。歴史を好み、「歴史に耳を傾けることは体験に勝るものだ」と述べたという。
魅力 B 性格は禁欲的で信心深く、窮地に立たされても仲間を見捨てない強さに溢れていた。サラディンと並ぶ英雄。
160
:
ドーナツ
:2011/10/28(金) 01:02:38
神子田 正治
(生没年:?〜1587年)
統率 D 軍学に優れていた。戦歴は長い。美濃の斎藤氏攻め、三木城攻め、賤ヶ岳の戦いに参加した。小牧・長久手の戦いで織田信雄に敗れた。
武力 D 信長は「お前は敵の首だけ取っておれ。そうした器じゃ。」と言った。秀吉の黄母衣衆(親衛隊)に選ばれる。信雄に敗走、守拠を放棄するが、首を一つ取った。
政治 E 治績はない。
知力 C 子供の時はよく書物を買うということで少し名が知られた。竹中半兵衛が軍師の後継者に推した。
魅力 E 信雄に敗走した正治は、秀吉のことを暗将と直言する。功名心が強いのを秀吉に疎まれ、自害を命じられた。正治の最期の言葉「私がこのようになる上は、秀吉にはもう、心に引っかかる事はあるまいよ。」 首は晒された。「この者天下の大臆病者なり」の札と共に。
161
:
苺
:2011/11/12(土) 01:44:08
喪女とやってもねーw+.(・∀・).+※
http://gffz.biz/index.php
162
:
A
:2011/11/17(木) 10:47:17
ちなみに上の方で言われている信長の肖像画ですが、秀吉が「もっとショボく描き直すように」と命令して今のようになったそうです。
163
:
B
:2011/11/20(日) 22:22:17
>>162
それは違いますよ
秀吉が書き直すように命じたのは「服装」であって顔つきの事ではありません
顔つきに関してはあの肖像画が一番信長に近いとされています
164
:
ドーナツ
:2011/11/26(土) 13:44:26
耶律休哥〔やりつ きゅうか〕―――宋の地を奪う王―――
(生没年:?〜998年)
SABCDEで評価
統率 B 百戦以上を経て、戦う毎に必ず捷った。
武力 C 南京救援戦で宋の大軍を破り、三十里を追撃、身に三つの創を負う。創のため遁走した宋主・趙光義に追いつけず。
政治 D 輪林法を創設して農桑業を兵士に奨励、民の困窮を見て、大幅に賦役を減らし、孤児や独り者を援助、馬・牛を農務に還元した。辺境は大いに治まり、安寧をもたらす。
知力 C 「知略広遠であり、敵を謀ることは神の如し。」と評される。
魅力 C 諸将に功を譲った。兵士達は皆彼のために命を尽くした。無辜の民を害することは一度たりとなかった。死後、祠に祀られた。
165
:
ドーナツ
:2011/11/27(日) 00:47:36
>>164
ごめんなさい、訂正させて下さい。
統率 B ⇒ CまたはB
武力 C ⇒ B
に変更します。
(戦略と戦術の定義を間違えてしまいました。)
166
:
ドーナツ
:2011/12/26(月) 20:03:11
今日は神聖ローマ皇帝、フリードリヒ2世の誕生日です。
167
:
age
:2012/01/12(木) 04:38:21
挿入できるよ(人・ω・)☆
http://www.e29.mobi/
168
:
A
:2012/01/27(金) 03:52:44
>>163
いえ、顔つきも書き直されていますよ。
近いとされている説というのも存在しません。
169
:
A
:2012/01/27(金) 16:20:02
ちなみにもっとも似ていると伝えられている肖像画がこちら。
http://www.nicovideo.jp/watch/sm815858
170
:
b
:2012/01/27(金) 22:07:01
>>168
近いとする説はないですが、大徳寺本が最も出来が良い
とする意見はあります(宮島新一『肖像画の視線』)。
顔つきは裏彩色の方は、髭が上向きだったり、顎がやや細いですね。
>>169
正直眉唾くさい。宣教師が描いたにしては巧すぎるし、
全体の描写、特に面貌や服の襞の書き方が16世紀の油画っぽくない。
明治以後に作られた贋作だろう。
第一まともな歴史や美術の本で、これをまともに扱ってるのを
見たこと無い
171
:
B
:2012/01/30(月) 02:35:27
>>168
いえいえ
明らかに狩野が書いたものは生前の信長をリアルに描いてますよ
顔つき直されてるというのも聞いたことないですし
>>169
上の人もいってますが、あなた正気でこれが「もっとも似てる」とか
おっしゃるつもりですか?
明らかに絵の描き方からして明治以降の描き方ですよ
同時代の西洋美術の絵と比較してごらんなさい
信長と同時代に生きていた西洋の君主であるフェリペ2世とか
エリザベス女王とかの肖像画はちゃんと残っていますが、
あなたが挙げた肖像画とは絵の描き方がまるで別物ですよ
そんなにまでして信長を美男子だと思いたいのかと感心しますが、
同時代の絵と比較する事くらいはしてみたほうがいいかと
172
:
A
:2012/02/01(水) 12:21:39
>>170
油絵ではないので当然でしょう。
あと、描いたのはイエズス会の画家です。
>>171
>明らかに狩野が書いたものは生前の信長をリアルに描いてますよ
いったい何を根拠に?
上の方も「近いとする説はない」とおっしゃってます。
>顔つき直されてるというのも聞いたことないですし
ヒゲや顔色、顔かたちなどが手直しされています。
美術のために描かれたものではないので、描き方が違うのは当然です。
173
:
B
:2012/02/01(水) 15:42:48
>>172
一番出来がいいといわれてるはずですが?
直されているというのは何を根拠に?
服装を直したというのは聞いたことあっても
顔直したというのは聞いたことないですね
ソースはなんですか?
ちなみにいっておくと、あなたのいう「描き方が違う」というのはピントがずれています
絵画というのは時代が下っていくにつれて技法が変化していくんですよ
特に西洋絵画は西洋美術に現れる様々な天才たちが創意工夫を凝らしていき、
それが次のスタンダードになり、というのを繰り返しているので
過去と昔でまるで別物の描き方になっています
あなたが挙げた>169の絵は陰影のつけ方といい、描き方といい、明らかに明治時代以降の絵なんですよ
平たくいうなら現代から見て絵の技法が近すぎるんですよ
なんで16世紀の時代に王侯貴族相手に描くよりも高い技術(というか数百年も未来の技術)を、
それも同時代に描かれたどの西洋画にもないような未来技術が
出張先の君主である信長相手の色づけもされてないようなスケッチ画に使われてるんですか
それこそオーパーツですよ
そんなに信長が美男子でないと困るんですか、あなたは
174
:
B
:2012/02/01(水) 16:09:08
>>172
ついでにいうと、あなたの出してるスケッチ画の信長は月代すってないじゃないですか
日本画家による信長の肖像画ではいずれも信長は月代すってますよ
当時の武家としてはこれが自然な髪型ですし、日本画における全ての信長は月代すってます
あなたの出したスケッチ画の人物の髪型は後ろについてる怪しい尻尾みたいなもの(髷にみせたいのかもしれないが、髪の色がなぜかそこだけ違う)を
隠してみればどう見ても明治以降のザンギリ頭じゃないですか
さらにいうと、あなたの出したスケッチ画の人物は堂々たる口髭をたっぷりと蓄えてますよね
宣教師は信長の風貌については「髭が薄い」と書き残しており、
日本画における信長の肖像においても、すべてで薄い口髭という特徴は一致しています
記述からも他の日本画からも、あなたの出してるスケッチ画の人物だけ異常に浮いてるんですよ
どう見ても「月代をする習慣がなくなり」「西洋人にならって堂々たる髭をはやす事が威厳と考えられた」明治以降の人間に見えるんですが
175
:
b
:2012/02/01(水) 20:34:02
>>172
油画じゃなくて、イエスズ会の画家が日本の画材を用いて描いた
と言う事ですが、それはそれでオカシイでしょう。
イエスズ会の画家には確かにジュゼッペ・カスティリオーネのように
東洋の画材を完全に使いこなして名品を描いた画家もいますが
(今、東京国立博物館の故宮博物院展で見れます)、その宣教師の
教えで日本人が描いたという初期洋風画の遺品の数々と比べても
(これも先日サントリー美術館の南蛮美術展で見ました)、やはり
描き方が異なります。もちろん教えている宣教師のほうが
上手かったでしょうが、それにしても画風に落差がありすぎです。
個人的には明治時代の旧派の画法に近いと感じます。
おそらく明治20年代歴史画が流行しますが、その頃に画家が
習作で描いたものを、悪徳な画商が騙って遺族に売りつけたのでしょう。
>>173
自分は山本英男 「大徳寺所蔵の狩野永徳筆織田信長像について」、
『京都国立博物館學叢』33号所収、2011年を参考にしました。
と言うか、ぶっちゃけこれしか有りません。新聞記事でもいいですが
当然記者の改変が加わっているので。入手が面倒ですが・・・
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