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【先物比較】世の中の先をよめる人は成功する?
日本の城郭
1
名前:
日帝極右保守反動分子
投稿日: 2003/09/08(月) 18:39
日本の城郭に関するスレッドです。
56
名前:
荷主研究者
投稿日: 2009/05/27(水) 00:20:59
http://www.nikkei.co.jp/news/retto/20090408c6c0801i08.html
2009年4月9日 日本経済新聞 九州・沖縄
08年度の熊本城入場者、城郭で全国首位の221万人
熊本市は8日、2008年度の熊本城入場者が過去最多の221万9517人だったと発表した。同市の聞き取り調査によると、首里城(那覇市)や二条城(京都市)などを抜き、全国の城郭で首位。昨年4月に復元公開した本丸御殿の集客効果などで、07年度(122万8268人)に比べ約8割増えた。
1月から募集を始めた寄付制度「一口城主」にも、すでに約2億1555万円(1万8029件)が集まった。今後、本丸御殿に続く施設の復元整備に活用する予定だ。
熊本市の幸山政史市長は8日の記者会見で、今年度の目標について「200万人を維持したい」と表明。「夜間開園など含め、できるPR活動から取り組みたい」と述べた。
57
名前:
とはずがたり
投稿日: 2009/06/01(月) 14:19:16
大地震で一夜に消えた帰雲城 調査20年、見つからぬ物証
http://www.chunichi.co.jp/article/gifu/20090601/CK2009060102000015.html?ref=rank
2009年6月1日
帰雲城をめぐる調査の流れ
1950年頃 白川村萩町の松古孝三さんが調査,研究を始める
1972年 松古さんの活動を基に帰雲城を追った「まぼろしの帰雲城」を出版。埋蔵金ブームに火が付く。
1981年 金沢大地質学部が現地調査。
1986年 白川郷埋蔵帰雲城調査会の前身,ひだ白川・帰雲城を考える会が発足。1993年に現在の調査会となる。
400年前の大地震で一夜にして姿を消し「日本のポンペイ」とも称される帰雲(かえりぐも)城(白川村保木脇(ほぎわき))。城はどこにあるのか。村外者主体の有志グループが調査を続けて20年以上になるが、城郭遺構の手がかりはつかめない。最近、村内からこの活動を支援する動きが出始め、歴史ロマンはまだまだ途絶えそうもない。
「地震でほとんどが土に埋まっているが、そこには間違いなく誰かが住んでいた。その物証を探し当てたい」。調査会事務局の野田秀佳さん(37)=羽島市=は力を込めた。地震で一瞬にしてのみこまれた幻の城。真の姿に少しでも近づきたいとの思いが粘り強い調査に駆り立てている。
会員は36人で、ほとんどは県内各地や名古屋市など白川村以外から参加。帰雲城に関するさまざまな資料を集め、年に1、2回は現地へ。保木脇地区の帰雲山やそのふもとにある庄川両岸を中心に、城郭の遺構を目視で探している。
今年も5月17日に現地調査を実施。「内ケ島氏が城の鬼門(北東)に白山神社を建てた」との記述がある資料を基に、神社があったとされる場所から城の位置を推定して訪れたが、強い雨のため中止を余儀なくされた。今秋に再び訪れる予定で、野田さんは「茶わんのかけらでもいい。人が生活していたことを示す証拠を見つけたい」と意気込む。
■ ■ ■
帰雲城の本格調査は50年以上前にさかのぼる。その先駆けは白川村荻町で旅館を営んでいた故・松古孝三さんだ。名古屋市の古書店に嫁いだ妹が城に関する資料を見つけたのを機に一人で調べ始めた。
1970年代に入ると、松古さんの活動を基に帰雲城を取り上げた本の出版をきっかけに全国から注目が集まった。根拠のない「埋蔵金」の話が一人歩きする騒ぎになり、松古さんは手を引いた。
80年代、村内で古い館の遺構が発見されたのを受け、村は81年に金沢大地質学部に帰雲城や地質の調査を依頼した。帰雲城と断定できる物証は出なかったが、地震で崩れた帰雲山の土砂が庄川対岸の山に堆積(たいせき)していることが判明した。
■ ■ ■
調査会は、地元の人とのつながりをもっと密にする必要があると3年前から、現地調査前日に開く総会に村関係者らを招いている。その一人、白川村商工会の山越一正会長(65)は、3年前に総会に出て初めて調査会の存在を知った。
「いずれは地元の人の記憶からも消えてしまうかもしれない。何とかして地元の宝物にしたい」と山越会長。世界遺産の合掌集落以外の地域の活性化につなげたいとの思いもあり「調査会を元気づけたい」と話す。
地元の関心を高めるため商工会として昨年6月、帰雲城などの歴史を学ぶ講座を開き、地元の21人を「語り部」に認定した。今後、宿泊者に地元の歴史を紹介していくことを目指している。
(白山泉)
【帰雲城】 白川村史や1600年以降に書かれた「飛騨鑑」によると、1465年ごろ、室町幕府8代将軍足利義政の命を受けた白川郷一帯を支配した内島為氏(うちがしま・ためうじ)が築城。天正年間の1585年、マグニチュード8.1の大地震で城と城主ら500人が土に埋まった。城の場所をめぐっては1985年、保木脇付近に「内藤城趾」と記した天保年間作製の地図が公表された。この地図で庄川西岸説が有力視されるようになったが、後世に書き足されたとする見方が出るなど、西岸か東岸か議論が絶えない。
【記者から】
「本当に城があったの?」。そう感じるほど現地は静まり返っている。しかし、そこに数百人もの人や牛馬がいた姿を思い描くと、興奮がわき上がってくる。大規模な発掘をしなければ、物証は見つかる可能性は薄いだろう。ただ、目先の利害にまみれた現代社会にあって、「分かるはずもないもの」にぶち当たろうとする調査会の人たちの姿は気持ちが良い。この熱が冷めないことを願う。
58
名前:
荷主研究者
投稿日: 2009/07/12(日) 20:43:22
http://www.chunichi.co.jp/article/shizuoka/20090610/CK2009061002000192.html
2009年6月10日 中日新聞
浜松城の天守門、富士見櫓復元へ 年内に発掘調査で確認
イメージ図・天守門
徳川家康の入城で知られる浜松城(浜松市中区元城町)で、天守門と富士見櫓(やぐら)の復元が2012年度にも始まる。残された資料に加え、発掘調査によって建築状況を確認し、往時の姿を史実に忠実に再建する方針。市が9日の市議会5月定例会で、柳川樹一郎氏(自民党浜松)の一般質問に答えた。
市は学識者の意見を聞き、浜松城公園の歴史ゾーンを整備する基本構想を策定。廃城令が出た1873(明治6)年ごろに存在した建造物の復元を目指し、資料が残る天守門や富士見櫓を優先することにした。
天守閣に対し、天守門は東側、富士見櫓はやや離れた北東に位置していた。市公園課によると、年内に発掘調査が始まり、10年度に基本計画の策定、11年度に実施設計を予定している。
イメージ図・富士見櫓
市の文化財担当者によると、天守門と富士見櫓は少なくとも17世紀後半(江戸時代前期)の「遠州浜松城絵図」に描かれており、それ以降の絵図にも記されている。
さらに、城内の本格的な発掘調査は初めてとみられ、城の成り立ちを知る上で注目されそうだ。発掘状況によっては着工時期が遅れる可能性もある。
一方、待望論のある天守閣の木造再建は現存する資料がなく、市は天守門などを復元後、機運の高まりをみて検討する考え。
浜松城 戦国時代の1570(元亀元)年、徳川家康が岡崎から本拠を移し、増築を重ねた。家康が江戸に移った後、豊臣秀吉配下の堀尾氏が天守閣を建造したとされるが、江戸時代の絵図に天守閣は描かれていない。幕府の要職に就いた城主が多く、出世城とも呼ばれた。現在の天守閣は1958(昭和33)年、鉄筋造りで建設された。
59
名前:
荷主研究者
投稿日: 2009/07/28(火) 00:02:40
http://www.hokkoku.co.jp/subpage/H20090706101.htm
2009年7月6日02時53分 北國新聞
三階櫓に再建計画 金沢城の「代用天守」 天保期の史料発見 金沢工大・増田教授ら
三階櫓の再建計画を裏付ける史料図面を眺める増田氏(左)と正見氏=金沢市立玉川図書館近世史料館
17世紀初頭から金沢城の象徴として本丸にそびえ、宝暦の大火(1759年)で焼失した「三階櫓(やぐら)」に天保年間(1830〜44年)、再建計画があったことが確実になった。金沢工大環境・建築学部の増田達男教授と石川県金沢城調査研究所の正見泰調査研究専門員が5日までに三階櫓の新たな図面を見つけ、計画を裏付けるものと確認した。現存史料が少ない三階櫓は謎が多く、辰巳櫓と同時期の再建計画確認は金沢城史の新発見となる。
見つかったのは「中ノ重小屋指図(なかのじゅうこやさしず)」「上重(うえじゅう)小屋組図」「下重(しもじゅう)小屋妻小屋ノ図」などと題された建物構造図8枚。
財団法人北國総合研究所の金沢城辰巳櫓復元調査検討委員の増田、正見両氏が昨年5月、辰巳櫓模型製作のため金沢市立玉川図書館近世史料館で「清水文庫」の「辰巳御櫓建物図」を調べた際、増田氏が「中ノ重−」と書かれた図面を発見した。
正見氏が「2階建ての辰巳櫓に中ノ重があるはずがない」と気付き、「上重−」「下重−」と合わせた柱位置から一組の三重櫓を描いたものと分かった。
この三重櫓は、金沢城に三つあった三重櫓のうち三階櫓を除く菱(ひし)櫓、橋爪門続(つづき)櫓とは形が異なる。書かれていた寸法が2000年に同市内や東京の建設会社で見つかった三階櫓図の寸法と一致したため、三階櫓と判明した。
さらに、三階櫓図と同封の辰巳櫓図では文字の特徴が大部分で一致した。この辰巳櫓図は、天保年間に計画された再建のため加賀藩のお抱え大工を代々務めた清水又十郎家の人物が描いたもので、筆跡の一致はこの人物が同時期に三階櫓図の作製にも関与したことを示す。
今回の図面と00年に発見された三階櫓図から、両氏は天保年間に三階櫓の再建が検討されていたと断定した。
この発見は日本建築学会計画系論文集7月号で発表された。計画は結局、辰巳櫓と同じく藩財政の逼迫(ひっぱく)で断念されたと推測される。増田氏は「金沢城の天守閣に代わる象徴として本丸にそびえた三階櫓に、具体的な再建計画が存在したと証明できた点が最も重要」とし、正見氏は「計画は本丸の体裁を整えるためと考えられ、同時期に丑寅(うしとら)櫓などにも計画があった可能性が大きくなった」と述べた。
◆金沢城三階櫓 前田利家が天正年間(1580年代)に建てたとされる天守閣が慶長7(1602)年、落雷で炎上した後本丸に建てられ、宝暦の大火で焼失するまでの約150年間存在した天守代用の大型櫓。高さ約15・5メートルと推測される。江戸中期に建てられた石川門や菱櫓に見られる破風(はふ)屋根などの意匠がすでに見られ、後年の金沢城の基本デザインとなる象徴的建物だったとされる。
60
名前:
名無しさん
投稿日: 2009/08/03(月) 16:13:22
尾張名古屋は城で持つ,だからねぇ。
名古屋城:本丸復元で討論 「賛成7割、重い」河村市長
http://mainichi.jp/photo/archive/news/2009/06/15/20090615k0000e040069000c.html
公募により募集された多くの市民が参加して開かれた「河村市長の本丸御殿本音トーク」=名古屋市中区の名古屋市公館で2009年6月14日、大竹禎之撮影
名古屋市の名古屋城本丸御殿復元事業に対する市民の意見を聞く討論会「河村市長の本丸御殿本音トーク」が14日、同市中区の市公館で開かれた。賛否5人ずつが討論。参加した市民約150人に尋ねた結果、計画修正も含め事業継続を求める意見が多かった。河村たかし市長は終了後、記者団に対し「(参加者7割の)賛成は重い」としつつも「6月議会でも議論が出る。議会を終えていっぺん冷静に考えてみる」と述べるにとどめた。
討論会は「市民の意見を聞いて決める」との河村市長の考えで初めて開いた。まず市側が、復元事業の概要や名古屋城の入場者100万人増などで年間206億円の経済波及効果があること、事業中止の場合は違約金など12億円が必要で、中断でも現場維持費などに年間約1億円かかることを説明した。その後、河村市長が応募論文を読んで選んだ石田芳弘・元犬山市長、山口清明・名古屋市議(共産)ら賛否5人ずつの討論者が議論した。
賛成意見は「名古屋市民の誇りになる」「街づくりの軸になる」など。財源に「寄付金を主体にすべきだ」と注文もついた。反対はしないものの「財政も厳しく、市民の機運もない」と一時凍結を求める意見もあった。
反対意見は「寄付金を出したのは1万人余り。市民が本当に必要と思っているか疑問」「古い建物に興味はあるがコピーでは行く気にならない」など。
最後に河村市長が会場に賛否を尋ねたところ「このまま続行」72人、「修正して続行」32人、「一時中断」37人、「中止」5人−−だった。【丸山進、岡崎大輔】
【関連記事】
日本の城
毎日新聞 2009年6月15日 14時10分(最終更新 6月15日 15時21分)
61
名前:
荷主研究者
投稿日: 2009/08/09(日) 22:58:16
http://kumanichi.com/news/local/main/20090717009.shtml
2009年07月17日 熊本日日新聞
熊本城の入園者、3年連続100万人を突破
1月からの入園者が100万人を超えた熊本城。本丸御殿の落成効果は次第に薄れつつあり、新たな仕掛けが課題だ=熊本市
今年の熊本城の入園者(有料区域)が17日、100万人を超えたことが熊本市熊本城総合事務所のまとめで分かった。3年連続の「大台」突破だが、本丸御殿の落成に沸いた昨年より11日遅い。
同事務所によると、1月1日から7月17日までの入園者は100万2518人で、前年同時期と比べて5・2%減。
昨年は4月20日に本丸御殿が一般公開されて入園者が急増。今年はその反動で4、5、6月がいずれも前年同月の7割にとどまった。以前の低迷期に比べると高水準とはいえ、「昨年度のような状況にはないようだ」と幸山政史市長。
昨年1年間の入園者は203万人を突破し、年度集計では222万人と全国の城郭で入園者トップとなり、本年度の目標は200万人台の維持。本丸御殿の落成効果が薄れつつあるのに加えて、ウォン安の影響で韓国人旅行客が一時期より減る中、落ち込み幅をどれだけ小さくするかが問われている。
「観光客に新たな魅力を感じてもらえるような仕掛けが必要」と財団法人熊本国際観光コンベンション協会の齊藤寛専務理事。幸山市長は17日の定例会見で「本丸御膳」の夜間提供という試みを発表したが、「お城のにぎわいを一過性に終わらせない」(同市長)という懸案への本格的な対応はこれからという段階だ。(前田克)
62
名前:
荷主研究者
投稿日: 2009/08/12(水) 17:50:28
http://www.sanin-chuo.co.jp/news/modules/news/article.php?storyid=514068004
'09/08/05 山陰中央新報
「松江城を国宝にする市民の会」設立
松江城を国宝にする市民の会の設立発起人会で意見を交わす出席者=松江市母衣町、松江商工会議所
国の重要文化財・松江城の国宝指定を目指す「松江城を国宝にする市民の会」は5日、松江市内で設立発起人会を開き、9月に各種団体を集めて総会を開くことなどを決めた。今後、運動の機運を盛り上げ、国宝の実現を目指す。
松江城天守閣は1935年に国宝指定されたが、50年の文化財保護法制定に伴い、重文に「格下げ」になった。
再度の国宝を目指す同会は、学識経験者や観光関係者ら9人で結成。国宝の実現には幅広い市民の理解と協力が必要と判断し、今回の動きになった。
発起人会で、会長に選出された島根県立大短期大学部の藤岡大拙名誉教授が「幅広い方々の支援をいただき、国宝化に結びつけていきたい」とあいさつ。22日に市内で開催のシンポジウムや10月の「お城サミット」など関連事業への市民参加を呼び掛け、支援の輪を広げていく活動計画を確認した。
63
名前:
荷主研究者
投稿日: 2009/10/10(土) 18:36:58
http://www.business-i.jp/news/ind-page/news/200910100069a.nwc
2009/10/10 Fuji Sankei Business i.
45年ぶり大修理、姫路城で始まる
世界文化遺産の国宝・姫路城(兵庫県姫路市)で9日、5年半かけて行う大規模な改修工事の一環として、城内の測量作業が始まった。
本格的な工事は「昭和の大修理」以来45年ぶりで「平成の大修理」とも呼ばれる。愛称「白鷺城」の由縁でもある白しっくい壁の修復や瓦のふき替え、耐震補強などを行う予定だ。
姫路市によると、今後は天守閣に資材を搬入するための足場作りなどの後、来年4月から天守閣を覆う工事用の巨大建屋の建設が始まるという。
2011年夏ごろからは建屋内でしっくいの塗り替えなどがスタート。市は「半世紀に一度のせっかくの機会」として建屋内にエレベーターを設置し、観覧客が修復作業の様子を見られるようにする。
工事は15年3月に終了する見通し。天守閣に登れるのは来年4月までという。
64
名前:
荷主研究者
投稿日: 2009/11/11(水) 22:51:15
http://www.chunichi.co.jp/article/shiga/20091101/CK2009110102000011.html
2009年11月1日 中日新聞
築城前の姿に近づく 彦根城一帯の植生
築城前の植生を取り戻しつつあり、照葉樹で覆われる彦根城=彦根市で
彦根市の彦根城一帯の植生が、江戸初期の築城前の姿に戻りつつある。当時人為的に植えられ、一帯を覆っていたアカマツなどは数を減らし、それ以前に群生していたタブノキやアラカシなどの照葉樹で占められている。湖東地域の環境保全などに取り組む彦根自然観察の会は「人の手を加えて植生を変えることなく、大切に守っていきたい」と話している。
会は、2004年10月〜05年9月の計16回、城山一帯を8区域に分けて調査し、ヤブツバキやサカキといった照葉樹など計661種の植物を確認。城を外部から守るため、築城に際して植えられた成長の早いアカマツは、西の丸三重櫓(やぐら)から天秤(てんびん)櫓までなど4区域内に点在していたという。
会の村長昭義会長(56)=彦根市=は「タブノキなど日陰でも成長する陰樹が育ち、日なたを好むアカマツの苗などが育たなくなった」と話す。城の防壁を固めるなどの理由で、以前から城守林に人の手が加えられず、自然に植生の遷移(移り変わり)が進んだことも関係しており、江戸後期には現在に近い状態だったとみられる。
市内を流れる犬上川の河川敷や荒神山などと比べても「(彦根城一帯の)植生は戻りつつある」と村長会長。海岸近くなど土壌が肥えた低地に育つタブノキが、両所でも見られるという。
県立大環境科学部の浜端悦治准教授(植物生態学)は「タブノキは遷移の過程でも後期の方に見られるため、(地域の環境条件に合った安定的な)極相の状態に近い」と話している。
ただ、彦根城一帯の植生などについて記した書物は多いとは言えない上、築城前の様子が分かる史料が見当たらないので「断定はできない」と、村長会長は慎重に受け止めている。
◆ ◆
会は、これまでに市内の佐和山や雨壺山、犬上川の中・下流域など湖東地域で、さまざまな植物を写真に記録したり、標本にして保管するなど地道な調査を実施。彦根城では、200近い樹木に名札を取り付け、会員の案内で、樹木ウオッチングを開いたり、環境省のレッドデータブックの絶滅危惧(きぐ)2類に指定されているオニバスの保全活動を進めるなど、城山の森を守る啓発活動も展開している。
村長会長は「彦根城の植生は、時間をかけて取り戻した貴重な文化遺産。観光目的で景観を保つために草木が切られる場合もあるが、できる限り手を加えないことが望ましい」と訴えている。
(古根村進然)
65
名前:
名無しさん
投稿日: 2009/11/23(月) 10:21:42
初めてのカキコ。
金沢城の丸の内駐車場の移転計画は具体的に進んでいるの?
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