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肥料

1 名前:■とはずがたり 投稿日: 2002/11/07(木) 13:53
肥料情報リンク集http://sizai.agriworld.or.jp/link/h_link.html
旭化成工業(株) http://www.asahi-kasei.co.jp/asahi/bimain/kasejusi/
朝日工業(株) http://www.asahi-kg.co.jp/farm/index.html
アドケムコ(株) http://www.adcc.co.jp/text/prod04.htm#prod.3
アンデス貿易(株) http://www.andes-trading.co.jp
宇部興産(株) http://www.ube-ind.co.jp
開発肥料販売(株) http://www.nttl-net.ne.jp/khh/
信越化学工業(株) http://www.shinetsu.co.jp
住友商事(株) http://www.sumitomocorp.co.jp
全国農業協同組合連合会 http://www.zennoh.or.jp
セントラル硝子(株) http://www.cgco.co.jp
日液化学株式会社 http://www.ekihi.co.jp
日東エフシー(株) http://www.dir.co.jp/CIB/4033/nitto-fc.html
日本化成肥料協会 http://www.japca.gr.jp
日本苦土カルシウム肥料協会 http://www.kudokaru.com
日本重化学工業(株) http://www.jmc.co.jp
日本石灰窒素工業会 http://www18.u-page.so-net.ne.jp/sc5/sekititu/
日本たばこ産業(株) http://www.jtnet.ad.jp/WWW/Welcome_J.html
(株)日立製作所 http://www.hitachi.co.jp
北海道農材工業(株) http://www.haj.co.jp/plaza/nozai/
三井東圧肥料(株) http://web.infoweb.ne.jp/mhc-vege/
三井物産(株) http://www.mitsui.co.jp/tkabz/division/work13.htm
三菱化学(株) http://www.m-kagaku.co.jp/aboutmcc/division/carbon/index.htm
三菱商事(株) http://www.mitsubishi.co.jp

94 名前:荷主研究者 投稿日: 2009/10/31(土) 16:10:14
この部分を優先し肥料スレに貼付
>リンを肥料に再生

http://www.business-i.jp/news/ind-page/news/200910220092a.nwc
2009/10/22 Fuji Sankei Business i.
長野・諏訪 排水から鉱物回収 汚泥脚光 下水道は街の金脈

金の出る煙突を指さす長野県諏訪建設事務所の小松英雄さん=長野県諏訪市

 街が生み出す汚れを集める下水道。汚泥の中に含まれる金などの鉱物、そして生物に必須の元素、リンの回収に各地の自治体が力を入れている。天然資源の高騰や環境意識の高まりの中、下水道を流れる“富”がひそかに注目を集めている。

 ◆塊1トンに金6〜22キロ

 ワカサギ釣りで有名な長野県・諏訪湖の湖畔には、白い建物と卵形のタンクがずらりと並ぶ。諏訪市と周辺5市町村に住む18万8000人の生活排水を処理する豊田終末処理場だ。

 「この煙突にこびり付く灰に、金が大量に含まれているんです」。施設内は曲がりくねったパイプで埋め尽くされ、さながら工場。長野県諏訪建設事務所の小松英雄さん(40)が指さしたのは、汚泥を焼却、さらに高温で溶かす際に出る灰を通す直径数十センチの配管だ。灰には1トン当たり1890グラムの金が含まれ、灰を処理する配管にこびり付いた塊には1トン当たり6〜22キロもの金が含まれる。長野県は2008年度、回収した金で4000万円もの売却益を手にした。

 07年、有効利用ができないかと汚泥を分析した際、金が見つかったことが契機だった。「黒鉱ベルト」と呼ばれる貴金属を多く含む地層から金が下水道に溶け出したり、周辺に多い精密機械工場で基板などに使った金メッキの排水が流れ込んだとみられる。小松さんは「汚泥は地球からの贈り物ではないか。今後も売却益を施設の運営費に充てたい」とほくほく顔だ。

 諏訪市の下水道の金は一部の専門家には知られていた。日本下水道事業団の村上孝雄技術開発部長(56)は1988年秋、建設省土木研究所(茨城県)で主任研究員をしていた際、諏訪市の汚泥の金に注目、「事業化できるのでは」と奔走した。

 当時は金価格が1グラム1800円程度で採算割れする恐れがあったため、断念した経緯がある。その後、金価格は急騰し07年以降は1グラム3000円前後で、長野県は“一獲千金”にこぎ着けた。村上部長は、他の地域の下水道でも金などの貴金属が多量に見つかる可能性はあると指摘する。「汚泥に銀やプラチナが含まれていることもある。下水道は一種の都市鉱山だ」と夢を描く。

 ◆リンを肥料に再生

 下水にあるのは貴金属だけではない。DNA成分として肥料に不可欠でありながら、鉱石の枯渇が危惧(きぐ)されているリンも注目を集めている。植物に吸収され、食品を通じて人間の体内に入り、下水に流れ込むリンは海や川、湖の水質汚濁を引き起こしている。回収は、リサイクルと環境保全の両面で有効だ。

 国土交通省は下水汚泥からリン回収を進めるため、今年1月に関係者の検討会を設置。岐阜市は今年度中に年間約500トンのリン酸塩を回収できるプラントを市内に建設、来春から生産を開始する。東京都もリンの回収実験に取り組む予定だ。

 国交省によると、全国の家庭やオフィスなどから出る汚泥の7割は建設資材原料などとして何らかの利用がなされているが、3割はそのまま埋め立てられている。

 大阪市立大の貫上佳則(かんじょうよしのり)教授(都市リサイクル工学)は汚泥の再利用について「資源回収だけでなく、都市環境の再生にもつながる」と期待している。

95 名前:とはずがたり 投稿日: 2009/10/31(土) 16:21:21

カキ殻肥料で松くい虫被害を予防へ 男鹿の防風林
http://www.sakigake.jp/p/akita/news.jsp?kc=20091031f

松くい虫被害の予防に向け、カキ殻肥料を散布する関係者


 三種町浜口土地改良区(牧野秀孝理事長)は30日、改良区が管理する男鹿市野石字五明光の土地で、松くい虫被害による立ち枯れを防ぐため、カキ殻肥料を使った実験を行った。

 実験は昨年に続き2回目。この日は改良区の関係者ら約20人が参加。松くい虫の被害を受けた木に、カキ殻の成分を吸収させて蘇生(そせい)力をつけさせるのが目的。クロマツの防風林(20アール)に、肥料30袋(1袋20キロ)を散布した。

 肥料は養殖カキの殻を活用したもので、仙台市の会社が開発、販売している。植物の成長を促すマグネシウムやリン酸、カリウムのほか、高い水溶性が特徴の「フルボ酸鉄」などを含有。立ち枯れの樹木の蘇生に効果があることが判明しているという。同社と同改良区の関係者が交流のあることから、肥料の無償提供を受け、クロマツで実験を続けている。

 改良区によると、この1年間で、カキ殻肥料を散布した松は、していない松に比べ、葉の変色が少ないなど被害の抑制傾向がみられるという。

 同地区の松くい虫被害は深刻で、砂防機能を失いつつあるのが現状。このままでは、特産のメロン栽培などにも影響が出ると予想されている。
(2009/10/31 10:40 更新)

96 名前:荷主研究者 投稿日: 2009/10/31(土) 19:19:56
>三居沢が電気化学工業発祥の地
仙台に居たのに行ったことがない。大学からも近かったのだが…。

http://www.the-miyanichi.co.jp/contents/index.php?itemid=14465&catid=350
2009年1月24日付 宮崎日日新聞
8…余剰電力
■カーバイド製造着目

 1906(明治39)年に野口遵によって設立された曽木発電所は当初、近くにある大口金山の電灯、動力用に送電し、近隣の民家などに配電しても発電量の半分ほどが余った。この余剰電力と、野口が大学卒業以来かかわってきたカーバイド製造がつながるのである。

 ちなみに余剰電気のカーバイド製造への利用という発想はこの時、初めて野口が生み出したものではない。仙台市三居沢に発電所を有し、同市内などに電力を供給していた宮城紡績電灯に技師として赴任していた野口の親友・藤山常一によって国内初のカーバイド製造が1901年に実現されていたのだ。

 電気による化学工業の起業という点で、三居沢が電気化学工業発祥の地と呼ばれるゆえんであり、今も東北電力三居沢発電所には藤山の銅像が立っている。その三居沢のプロジェクトに野口や、大学の同窓で後に女房役として影ながら支え続ける市川誠次が協力していたのである。

 石灰を原料とするカーバイドは、水に触れて燃焼させると強い光を安定的に発生する。三居沢で製造したカーバイドは当初、山三の商標で自転車のランプ用に売り出したが外国製品との競争で苦戦し、野口も金策に奔走した。

 しかし1904年に日露戦争が始まると、夜戦用など軍の需要が増え、新潟県や福島県にも工場を増設している。こうした経緯から曽木電気でも、余剰電力からカーバイド製造へと発想が広がってゆくのは当然と言えば当然なのであった。

   □   ■

 やや遠回りになったが、曽木電気の余剰電力の送電先の話に戻る。石灰岩の産地である天草諸島の八代海対岸にある鹿児島県の米ノ津(現・出水市)が立地先として最も有力であったが、熱心な誘致運動を繰り広げた熊本県水俣村(現・水俣市)に決まった。

 誘致のインセンティブ(報償)として、水俣港の改築が決め手の一つとなった。水俣から八代海を臨むと、天草諸島がすぐ対岸にあることを実感する。原料は船で、動力源は送電線でという構図だったのである。

 さらには藤山、市川のほか遊興仲間であった下谷銀行支配人の千沢平三郎を誘って日本カーバイド商会を設立。「起業の人・野口遵伝」(柴村羊五著)によると、曽木電気と日本カーバイド商会の関係は、余剰電力を無償で提供する代わり、カーバイド製造で生まれた利益を折半するというものだった。この2社が1908年に合併し、日本窒素肥料株式会社(現・チッソ)となるのである。

【写真】創業者・野口遵の肖像写真が掲げられたチッソ水俣製造所の幹部会議室。社内には野口研究所や旭化成が所有するものと同じ銅像も飾られている

97 名前:荷主研究者 投稿日: 2009/10/31(土) 19:20:31

http://www.the-miyanichi.co.jp/contents/index.php?itemid=14472&catid=350
2009年1月25日付 宮崎日日新聞
9…石灰窒素
■後ろ盾得て特許獲得

 曽木発電所が水俣でのカーバイド製造に広がった点は、既に触れた。さらに、このカーバイドに空気中の窒素を吸収化合させることで化学肥料の石灰窒素になるという世界的な発明を、野口遵は知ったのである。大学からの情報や新聞報道などの説があるが、どのようなルートによるものかを示す資料は残っていない。

 フランク・カロー方式と一般に呼ばれる石灰窒素の製造方法はドイツのアドルフ・フランク、ニコデム・カローが1906(明治39)年に発見した。野口が曽木電気を設立した同じ年である。

 その2年後の春、野口はイタリアの会社が取得していた製造特許を買い取るため、盟友の藤山常一とともに2回目の洋行へと旅立った。技術導入の意図について、本人は弟の駿とし尾おに「日露戦争の時に不自由したから、日本でこしらえる」と語っている。背景には当時の世界人口の爆発的な増加があった。

 特許権争奪戦は三井、古河両財閥が加わるし烈なものだったが、35歳の野口は手に入れることに成功する。大学卒業後に技師として勤めていたシーメンスの後ろ盾を得たことが大きかった。特許所有者であるイタリアの会社にシーメンスが深くかかわっていたし、曽木発電所の電気設備の納入にも便宜を図った元東京事務所長のへスラーが、今度はドイツ本社幹部として支援したからである。

   □   ■

 ところで、2回目の洋行の案内役となったのが、当時パリで絵の修業をしていた弟の駿尾であった。フランス南部のマルセイユまで2人を迎えに行き、イタリアまでの道中、パリで名所見物もしている。その際のベルサイユ宮殿でのエピソードがふるっている、余裕があるというか、ちゃめっ気があるというか、乾坤一擲(けんこんいってき)の勝負にかける男とは思えない野口の一面をのぞかせる。

 駿尾の回想談では次の通りである。宮殿内のルイ15世の王座の前で野口の姿が見えなくなって心配していると、現地の案内人が「あいつを引き下ろせ」と叫んでいる。気が付くと、結界の中にある王座に野口がどっしりと座っていた。慌てる案内人をしり目に「ああ、いい気持ちだった。王様になった気分を味わったよ」とにこにこしていたという。

 さらに、著名な庭園を散策していると「はらが痛い」と言い出して、トイレを借りるため近くの民家までかけっこをしながら急いだ。宮殿前のレストランで出たエビ料理を気に入って「うまい、うまい」と殻もむかずに3人前も平らげたためだった。

【写真】カーバイド製造を始めた当時のレンガ造りの工場が今も熊本県水俣市に残っている。野口は事業をカーバイドから化学肥料へと多角化するため2回目の洋行に出た

98 名前:荷主研究者 投稿日: 2009/10/31(土) 19:21:14

http://www.the-miyanichi.co.jp/contents/index.php?itemid=14525&catid=350
2009年1月28日付 宮崎日日新聞
10…三菱の支援
■石灰窒素製造を開始

 石灰窒素特許の獲得に成功した野口遵は、事業化の資金調達面で三井財閥の協力を取り付けた。しかし、その条件は「発行株式の半分と取締役の選任権を三井が所有する」というもので、交渉は決裂する。代わって野口を資金面で支えたのが三菱合資会社銀行部部長の豊川良平であった。豊川は土佐出身で、三菱グループ創始者である岩崎彌太郎のいとこに当たる。

 まるで劇画のような話だが、もともと豊川は小野春彌と言った。ある時、一念奮起して姓は豊臣秀吉、徳川家康、名前は中国前漢時代の英雄である張良と陳平から一字ずつとり、豊川良平と改名してしまったのである。

 後年、明治維新の元勲で、やはり土佐出身の後藤象二郎が名前のいわれを聞き「まるで酒と水と酢と醤油を一緒にしたようなものではないか」と語ったという逸話も残る。

 三菱グループ広報委員会の「三菱人物伝」によると、豊川の人を見る目には定評があり、若き日の加藤高明(後の首相)、山本達雄(後の日銀総裁)を見いだして三菱に就職させた。後に「三菱の大蔵大臣兼外務大臣」とも呼ばれたが、野口もそのお眼鏡にかなったのである。

 資金面で三菱財閥の支援を得た野口は1908(明治41)年8月、曽木電気と日本カーバイド商会を合併して社名を日本窒素肥料に改め、本社を大阪市に置いた。翌年1月には石灰窒素の水俣工場が完成、豊川の紹介を受けた大阪商船社長の中橋徳五郎が会長になり、野口は専務に就いた。

   □   ■

 「太っ腹で押しの強い、なかなか偉い男だ。あの男の頑張りには実際感心している。どんな時でも実に平気な顔をしているよ。その場その場でベストを尽くし、明日のことは考えないひどい現実派でな、面白い男だ」。これが当時の中橋の野口評である。その野口らしさが創業当初の危機を乗り切る原動力となる。

 水俣で製造し始めた石灰窒素の窒素含有量は、予想していた18%にほど遠い10%しかなく、生産量も計画通りにいかなかった。さらに土壌改良薬である石灰窒素は、直接作物に与えると枯れてしまうなど扱いが難しく、販売面でも苦戦。そこで、石灰窒素を水蒸気で分解したアンモニアと硫酸を化合した化学肥料・硫化アンモニウムを製造することになった。

 水俣で製造工程一新の陣頭指揮をとるため大阪駅を出発した野口は、女房役の市川誠次に「生命をかけてやってみる。もし駄目だったらアメリカに行って皿洗いでもして再起を図ろう」と決意を語った。

【写真】築90年を超える日本窒素肥料の宿泊・厚生施設「陣内クラブ」。野口も水俣に出張した折には宿泊や宴会で利用した

99 名前:荷主研究者 投稿日: 2009/10/31(土) 19:22:03

http://www.the-miyanichi.co.jp/contents/index.php?itemid=14590&catid=350
2009年1月30日付 宮崎日日新聞
11…石灰窒素改善に奔走
■経営危機

 野口遵が三菱の資金援助を得て1908(明治41)年8月に設立した日本窒素肥料は、創業当初からいきなり経営危機に陥る。熊本県水俣市に工場を建設したものの、肝心の製品である石灰窒素の質が悪く、生産さえままならなくなったからだ。

 製造方法をめぐって、宮城県でカーバイド製造に着手して以来の盟友である常務の藤山常一と対立、技術者肌で野口に負けないほど強情な藤山はついに退社してしまう。代わって、専務の野口が水俣に乗り込んで製造方法を根本からやり直すことになったのであった。

 「今から思えば悲惨を通り越して、むしろこっけいだが、全生命を打ち込んで文字通り寝食を忘れてやった。念力岩をも通すと言うが、まったくそうだったよ」。約30年後に本人が語ったように石灰窒素製造にはめどをつけた。

 さらには新潟県に電源を開発し、売れ行きの悪い石灰窒素のほかに、やはり化学肥料である硫酸アンモニウムの製造を手掛ける工場を建設しようとした。しかし、洪水による発電所の決壊などで1911(明治44)年の下半期には会社は無配に転落。この年の大みそかには社員の月給も支払えなくなるほどだった。

 ところで、退社した藤山は帝国大同窓のつてで三井財閥の支援を受けることになり、12(大正元)年からは三井系の王子製紙苫小牧工場の余剰電力を使ったカーバイド、石灰窒素製造に乗り出し、野口の強力なライバルとなる。しかし業績は伸びず28(昭和3)年には苫小牧を去り、その後の肥料事業も失敗するなど晩年は不遇に終わり、36年1月に死去した。

 後に朝鮮半島での一大事業を基軸に日窒コンツェルンを築く野口の生涯と比べると、勝者と敗者の明暗がくっきりと浮かび上がってくる。

   □   ■

 やや脱線しかけたが、創業当初の苦戦の話に戻る。金策に走った野口は、一高の同窓である愛知銀行頭取・渡辺義郎のあっせんにより勧業銀行から50万円の融資取り付けに成功。硫酸アンモニウムへの事業進出もあきらめなかった。

 硫酸アンモニウムは石灰窒素から水蒸気で分離したアンモニアと硫酸とを化合させると出来上がる。ちなみに延岡で採用されたカザレー式と比べると、野口の表現を用いれば、蒸気船と飛行船の速さの差ほど製造工程に手間がかかった。

 とは言え、カーバイドから空中窒素の固定による石灰窒素、硫酸アンモニウムまでの一貫製造工程は当時、国内では前人未到の事業であった。野口はその最新鋭工場を、熊本県八代市鏡町に建設することを決心する。

【写真】旭化成の愛宕地区工場群の玄関前広場に展示されているカザレー式アンモニア合成塔。野口の事業はカーバイド、石灰窒素を経て硫酸アンモニウムの製造へと多角化した

100 名前:荷主研究者 投稿日: 2009/10/31(土) 19:24:39
>時代遅れになった鏡工場の石灰窒素製造設備は26(昭和元)年、信濃電気とともに設立した信越窒素肥料(現・信越化学)の生産拠点・新潟県直江津市に移設
ほほぉ

http://www.the-miyanichi.co.jp/contents/index.php?itemid=14651&catid=350
2009年1月31日付 宮崎日日新聞
12…大戦時の利益が原資
■延岡進出

 旭化成が延岡に進出した際もそうだが、野口遵が新工場を構えるパターンは山中に発電所、海沿いには化学工業の生産拠点を造る―と決まっていた。

 出発点の曽木発電所と水俣工場もそうだったし、完成当時の1914(大正3)年時点では国内最新鋭であるカーバイドから硫酸アンモニウムまでの一貫製造工場も、水力発電所を熊本県大津町に建設し、生産拠点は港が近い熊本県八代市鏡町に立地した。

 この工場が操業を始めたのは、第一次世界大戦が始まった年でもある。鏡工場での硫酸アンモニウムの生産コストは1トン70円ほどで、市場価格は130円だった。それが大戦開始後、日本市場を支配していた英国産硫酸アンモニウムの輸入が途絶えたために急騰し17年には400円台の大台に乗り、高値は翌年まで続いた。

 野口の日本窒素肥料は、原料である石灰石を地元で調達し、さらには自家発電を利用していたために生産費が上昇することはなかった。硫酸アンモニウムの年生産能力が2万トンだった鏡工場は18年には5万トンにまで拡充。しかも製品は飛ぶように売れた。

 大戦で野口が手に入れた膨大な利益が後に、カザレー式合成アンモニア法の特許を獲得し、延岡に進出する原資となるのである。

   □   ■

 野口は23年にアンモニア合成工場を延岡市に建設。時代遅れになった鏡工場の石灰窒素製造設備は26(昭和元)年、信濃電気とともに設立した信越窒素肥料(現・信越化学)の生産拠点・新潟県直江津市に移設させ、なぜかあっさりと手放してしまう。

 鏡では労働争議や排水問題で苦情が絶えず、賠償金でもめることが多かった。熊本産業遺産研究会(熊本県)によると、地元の郷土誌には「会社に難題ばかり申し込んで、野口に嫌気を起こさせたためだと信じている」とつづられている。

 現在の八代市鏡町には、野口の足跡がわずかに残っている。野口が地元に寄付をして鏡川に架けられた小千代橋のことだ。小千代とは、大阪の待合で野口が特にひいきにしていた芸妓(げいこ)で、わざわざ鏡町に連れてきて住まわせていたが、17年に現地で急死。その供養のために翌年、野口は寄付を申し出ていた。

 現在はコンクリート製の橋を渡ると、周囲は古い木造2階建てが川沿いに張り付くように並んでいることに気付く。工場が稼働した大正期には人口1万人に迫った、往時の鏡のにぎわいを何となく実感することができるのだ。

【写真】野口が芸妓の死を悼んで寄付をし、鏡川に架けられた小千代橋。八代市鏡町にわずかに残る野口の足跡の一つだ

101 名前:とはずがたり 投稿日: 2009/11/02(月) 11:41:52

三井物産、肥料を強化 中国のアジア最大手と提携
http://www.nikkei.co.jp/news/sangyo/20091102AT1D300BA01112009.html

 三井物産はアジア最大の肥料会社を傘下に持つ中国の雲天化集団(雲南省昆明市)と提携した。海外から中国への肥料原料を輸入する一方、同社のつくる化学肥料の輸出を手がける。中国では食料市場が拡大しており、取扱高の増加が見込めると判断した。肥料事業の強化で食ビジネスを拡大する狙いだ。

 肥料の原料となる硫黄の中東での調達、ベトナム、フィリピン、日本といったアジア圏への化学肥料輸出を三井物産が手掛ける。このほか大豆など食料原料や石炭の輸入、化学品・ガラス繊維の輸出、物流支援なども手掛ける。(07:00)

102 名前:荷主研究者 投稿日: 2009/11/14(土) 15:30:09

http://www.nikkei.co.jp/news/retto/20091111c3b1104911.html
2009年11月12日 日本経済新聞 甲信越
富樫技建、村上産カキ殻を肥料などに 本業厳しく新事業

 建設業の富樫技建(村上市、富樫節夫社長)は、カキ殻のリサイクル事業を始める。地元特産のカキの貝殻を粉砕し肥料や水を浄化するフィルターなどに加工する。12月に一部の製造を始め、来年春にも販売を始める。公共事業が低迷し本業の建設業の受注環境が厳しく、成長が見込める環境分野に力を入れて将来の事業の柱に育てる。

 村上市は天然岩ガキの産地として知られる。飲食店などで出るカキ殻はカルシウムなどを豊富に含んでいるが、通常は廃棄物として処分されているという。

 市内の飲食店からカキ殻を回収して乾燥する。その後、表面に付着した海藻などを削りとった後に洗って殻と分け、残った殻を細かく砕く。砕いた粉末で肥料や水槽などに使うフィルターに加工する。

103 名前:荷主研究者 投稿日: 2009/11/15(日) 23:33:35

『MONTHLYかもつ Vol.59 2009年10月号』社団法人鉄道貨物協会
会員企業紹介 エムシー・ファーティコム株式会社 いわき工場
〒972-8318 福島県いわき市常磐関船町宮下2番地の2 TEL 0246(43)4101

農業の活力ある発展、豊かで安心な食生活への貢献をめざして

大正8年(1919年)製造発売以来、90年の輝かしい伝統を誇る「トモエ化成肥料」の製造を目的とし、昭和41年(1966年)に「トモエ化学工業(株)」として福島県いわき市に誕生し、以後40年以上に亘り地域の皆様と共に歩んでまいりました。このトモエ化学が存続会社として平成20年(2008年)8月、三菱商事(株)グループの肥料メーカー4社と統合し、「エムシー・ファーティコム株式会社」として新たなスタートを切り、この統合によって肥料製品の生産量はもとより、付加価値の高い機能性肥料の品揃え・取り扱い量においては国内有数の肥料メーカーとなりました。

会社統合・力の結集により、これまで以上に「確かな商品力と技術力で社会の信頼にお応えし、お客様、農家の皆様に「安全・安心で環境にやさしい」優れた肥料をお届けすることを使命としております。

社名の由来でもあります“ファーティライザー(肥料)・コミュニケーション”とは農業、更には農業が対面する消費者に対し、肥料を媒介として双方向での発信・伝達を重ね呼応し合う事で相互に自身を高め合う事を意味します。

当いわき工場は全国の製造拠点の中でも中核的役割を担っており、化成肥料110,000トン、過燐酸石灰36,500トンの年間生産設備を有し、特に「環境保全型肥料」「肥効調節型肥料」「有機入り化成肥料」「液体肥料」に強みを発揮しております。又、独自の技術によって微生物を応用した日本初の「生物農薬」の開発にも成功しております。

いわき工場では平成19年(2007年)にISO-9001の認証を取得し、現在他の4工場と共にOHSAS-18001、ISO-14001の認証取得を目指し、これからも安全・安心の確保と環境に深く配慮し、地域に根ざし、共に発展する企業を目指し、歩み続けてまいります。

コンテナによる製品出荷作業



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