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めも・らんだむ

1dingbats:2003/06/29(日) 12:50 ID:yLVlMirI
おぼえがき用。読書メモ、日常雑記.etc

72ユリカモメ:2003/10/04(土) 20:38 ID:Ruwh33LE
「子どもを選ばないことを選ぶ」を読みました。
この本は著者の経験から、出生前診断で一番発見されやすいダウン症児だけを取り上げています。

生命は尊い、生きる以上の幸福は無いと、この本は語りかけます。
出生前診断を受けるのは「いのちの選別」なんだと著者は言い切ります。

ダウン症は21番目の染色体の異常で生まれるそうですが、ここに人間関係調整能力遺伝子があるのではないかと思われるほど、ダウン症の人は良い気質を持っているらしいですね。
著者の産院で生まれたダウン症児の春乃ちゃん。この子の成長の姿を見つめながら、ダウン症児でもこんなに幸福に育つことが出来るんだという著者の感動が、この本を書かせた原動力になったと書いてあります。
そして著者はこうも言います。出生前診断の普及は、春乃ちゃんたちダウン症児の存在を否定することに通じると。
こんな著者の懸念に触れた時、私はとても複雑な思いがしました。

出生前診断って、そんなに簡単な出来事なのでしょうか。
ここではダウン症児だけを取り上げていますが、世の中には数多くの遺伝性疾患があります。中には命に及ぶものもあります。その遺伝性疾患を持った親が出生前診断を受けることも、
命の選別なのでしょうか。
出生前診断で遺伝が確認された時、妊娠を継続しない選択は非難されるべき行為なのでしょうか。

出生前診断で中絶を選ぶ時、障害児を最初から拒否するという人もいるでしょう。だけど大半の親は、生まれてくる子どもの人生を考えているはずです。必ず待っている辛い人生に子どもを平気で送り出す人がいるでしょうか。どんな親でも子どもの幸福を考えない人はいません。
不幸を承知で生むのは、傍目から見ると、とても勇敢で感動的なお話かもしれませんが、子どもにとってはどうでしょうか。
障害を持っていることは不幸ではない、生き方の問題なんだと言われる人がいますが、障害は不幸ではないとどうして言えますか。無いに越したことはありません。

私は出生前診断に物申す人は、どんな立場からの発言なのかと思います。
親の立場、ましてや生まれてくる子どもの立場になったなら、そう簡単に言葉に出来る問題だとはとても思えません。

世の中には、一人目の子どもが障害児で二人目を諦める人もいます。自分が遺伝性疾患の持ち主だからと諦める人もいます。反対に、それでもいいからと作る人もいます。最初から子どもを生まないことを選択する人もいます。
これって、子どもを選ぶことを選んでいるのではないでしょうか。

73ユリカモメ:2003/10/04(土) 20:39 ID:Ruwh33LE
この本に出てくるダウン症児のご家庭は、とても恵まれた環境にあると思いました。
では、ダウン症の子どもたちは皆が皆、こうして恵まれた環境で幸福な人生を送れていますか。
ダウン症の症状も軽重があると聞きます。
私は幸せなサンプルだけを見て、ものごとの判断は出来ないと思うのです。

人にはいろんな人生がある、いろんな事情がある。
誰もがひとつの選択をしようとする時、それらを複雑に絡ませ合って、悩み苦しみ抜いた末に結論を出すのではありませんか。
こうして出した結論の選択は、個々における責任の問題だと思うし、そしてその選択自体は誰からも尊重されるべきだと考えます。

「子どもを選ばないことを選ぶ」とても耳障りのよい美しい言葉です。
だけど、世の中には選ばなければならない人間もいるのです。この本を読んだ人が、短絡的に感動する怖さを感じました。そして、この美しい響きの言葉だけが独り歩きし、子どもを選択する人間を非難するような困った風潮が出来なければいいけれどと、私は案じています。

生きることだけが幸せ、果たしてそうでしょうか。
人には生まれてこない幸せもあると、私は生きてきた経験からそう思います。

74kojikoji:2003/10/05(日) 06:21 ID:NldUrsN2
ユリカモメさんの読後感想文を読ませていただきました。
ご自身の経験に基づき発せられたお言葉は、大変重く私に問い掛けてきました。
私自身、「子どもを〜」は未読ですので、本の内容に言及する事は避けたいと
思います。但し、ネットで読める限りの著者の文章は全て読ませて頂きました。

しかし、「生命は尊い」という至極当たり前の事実が分かっていながら、それでも
尚且つ逡巡するこの気持ちは何なのか?
私は暫く答えの出ないこの問題に戸惑い続けていました。
丁度、野辺明子著「障害を持つ子を産むということー19人の体験」で親御さん達
の真摯な思いを受け止めたばかりであり、余計に何も書けない状態が続いていました。

「子どもを選ばない」というのは確かに耳障りの良い至極真っ当な言葉です。
しかし、これは医師・親sideからの視点であって、何よりも尊重されるべきは
障害を負ってしまった場合の子ども自身の気持なのではないでしょうか?
後天的な障害は別にしても、先天的な障害が出生前に発見された場合でさえ、
決して子どもには選択肢が無いのです。
私は、どうしてもここに割り切れなさを感じてしまいます。

75kojikoji:2003/10/05(日) 06:32 ID:NldUrsN2
非常に不条理な事ながら、障害は物理的な不自由さと、時として精神的な苦痛を
もたらします。
社会が整備され人心も理解度を深めていれば、苦痛も軽減されるのかもしれませんが、
私は今現在社会がそこまで成熟しているとは考えられないのです。
その意味でも、ユリカモメさんが仰る“出生前診断で遺伝性疾患が確認された時、
妊娠を継続しない選択を誰も非難できない”という言葉が重く響いてきます。

ネットで見た本の前書きに著者は、こう記しています。
“障害の可能性を告げられて不安を抱えている人達に「大丈夫ですよ」と伝えてあげたい”
障害の重さにもよりますが、障害のあるお子さんを持たれた場合に親御さんが何より心配
なさるのは、子どもさんの将来に対する先行き不安ではないでしょうか?
親は何時までも子どもの人生に付き添うわけにはいきません。
「大丈夫ですよ」という言葉は、社会の支援体制が整備されていてこそ初めて
告げることが出来る言葉ではないかと思うのです。

人生は、生まれてきたからこその幸せがある一方、生まれてこなかったからこその
幸せも存在していいのだと思います。
子どもが背負うであろう苦痛に思いを馳せ、苦悩に満ちた決断を親がしたのだとしたら、
それは誰も責める事は出来ないでしょう。
他人が踏み込んではいけない領域というものもあります。


「子どもを選ばない事を選ぶ」 主体は一体誰なのでしょうか?

76dingbats:2003/10/05(日) 21:08 ID:gjkRkYa.
「子どもを選ばないことを選ぶ」と「分娩台よさようなら」を読みました。
お産に対する自覚の重要さ、出産にまつわる医療の話など、分かりやすく
丁寧に書いた本だと思います。しかし、微かな違和感も感じました。

高い魂のレベルの持ち主だからこそ、肉体的ハンディキャップを持ちながら
生きる人生を与えられられたのでしょうと、言い切って良いものでしょうか。
また魂のレベル、気づきのレベルとは、一体何によって決まるのでしょうか。
そういった考え方は紙一重で「愛を伝える人となるために、障害を負って
生まれてきた」「障害者は無垢の聖者」となってしまいはしないでしょうか。

また、出生前診断について深く考えたり、実際に結果を知ることで、逆に
心の整理や親としての自覚が生まれる場合もあるだろうし、命を選別するため
だけのものという見方はどうかな…と感じました。誕生死がほぼ確実な
赤ちゃんを中絶せずに産んだというエピソードがあった分、余計に。

77<削除>:<削除>
<削除>

78kojikoji:2003/10/06(月) 13:36 ID:r6jGYLEk
「井深大が見た夢」元・ソニーESPER研究室室長 佐古曜一郎著(1998年)
「カルト資本主義」(オカルトが支配する日本の企業社会)斎藤貴男著(1997年)
読了しました。
このスレNo.64,65でdingさんがニューエイジ・代替医療・似非科学などについて
書いて下さいましたが、私も少しフォローさせていただきます。

2冊の本を読み驚いた事は、ニューエイジの世界が想像以上に各界に浸透している点と、
故・井深大氏がニューエイジ普及の為に果たした功績の大きさでした。

まず、ニューエイジの歴史を遡ってみたいと思いますが、1960〜70年代にアメリカで起こった
ニューエイジあるいはニューサイエンスと呼ばれる大きな運動は、やがてヨーロッパへ伝わり
理論的に深まった後、80年代前半に日本へ導入されました。

運動の根本理念は、近代西洋科学を見直し、心の世界へとパラダイムシフトする事。
往々にして東洋の人間観・自然観が重視される。全体性を尊ぶのも重大要素である。
マリリン・ファーガソン著『アクエリアン革命』に拠れば、
≪心の変革を成し遂げた個人があちこちに生まれ、互いに知り合うことがなくとも
目に見えない連帯となって拡がり、やがて世の中全体を変革していく事である≫
日本でも、ニューエイジは哲学・心理学・精神医学・宗教の分野に大きな影響を及ぼしていきました。

ソニーの井深氏は80年代後半から欧米のニューエイジの動きに関心を持つようになり、
幼児教育、西洋医学の否定、東洋医学への傾倒など様々にパラダイムシフトしていきます。
最終的には東洋医学の概念「気」に真正面から取り組むようになり、瞑想・0―リングテスト・
脈診・超能力などの研究をする為、ついに研究機関まで設立します。

79kojikoji:2003/10/06(月) 13:55 ID:r6jGYLEk
オカルト研究室とも呼ばれた、ソニー関係の機関を挙げてみますと・・

*1989年、生命情報研究室から派生して脈診研究室の開設
(脈を通して“気”や“血”の生体信号を取り出す研究)
*1991年エスパー研究室設立(超能力の研究)
 http://ninjin.net/radica/HTML/980706.html
(これらの研究室には超能力者の他、多数の財界人が訪れていますが、当時は
 ソニーに限らず、超能力の研究を進めていた企業は他にも多数あった模様)

*更にソニーの取締役D氏は、任意団体マハーサマディ研究会を発足させ、
 天外伺朗というペンネームで主宰者になります。彼はアメリカ仕込みの
 ニューエイジャーでした。

マハーサマディとは、ヒンズー教の僧侶が自分の死期を知った後に瞑想に入り
肉体離脱して亡くなるという理想的な死を指すそうです。
http://www.mahasamadhi.jp/ (マハーサマディ研究会HP)

こちらは、研究会講師陣一覧です。
http://www.mahasamadhi.jp/pricon.htm 
(講師陣の中に大野明子氏のお名前もあります)

この理想的な死の探求という思想は、ホロトロピックという考えに繋がっていきます。
ホロトロピックという言葉は、トランスパーソナル心理学の中心人物の一人、
スタニスラフ・グロフ心理学博士が作った造語で、全体性へ向かうという意味です。

(1985年に日本に紹介されたトランスパーソナル心理学とは、個と他の生命体は、
その深層において一体であるとする考え方に基づく心理学および心理療法的実践。
ユングの集合的無意識の延長線上にある観念でもある(河合隼雄氏・解説)。

80kojikoji:2003/10/06(月) 14:04 ID:r6jGYLEk
天外伺朗氏の著作「こんな病院が欲しい」(第1章は大野明子氏記述)の解説にも、
ホロトロピックセンターの記述がありました。

「薬剤や検査に頼る病院でなく、人間が生まれてから死ぬまでの全てのケアーをする
“ホロトロピックセンター”の構想について語り、21世紀の病院のあるべき姿について考察するのが
この本のテーマである。人間の意識が進化して最終的には宇宙全体に溶け込んでいくことを目指す、
21世紀の病院に代わる施設がホロトロピックセンターの概要である」

この辺は、西洋医学を徹底的に否定するという風に変化していった井深氏と共通点が
あります。
後半生においての井深氏は、西洋科学への対立軸を打ち立てるのは社会的影響力を持つ
自分に出来るライフワークであると認識し、様々な方面へ向けての啓蒙活動に奔走します。
井深氏ほどの財界人であれば、及ぼす影響力もさぞかし多大なるものがあっただろうと
思われます。

1997年に井深氏が亡くなり、エスパー研究室はひっそりと閉鎖されました。
物体としての拠点は無くなりましたが、一貫してニューエイジを支え続けた
彼の精神は現在も脈々と生き続けているのではないかと思われます。

2003年現在、世の中には「癒し」「安らぎ」「宇宙との一体」「共生」などの
言葉が溢れており、人々は魂の救済を願って止みません。
生き難い時代と言われて久しい現状から鑑みて、精神の拠り所を求める人々の
心情そのものは理解できない訳ではありません。

81Radio Press:2003/10/06(月) 14:11 ID:/rc5vAhI
生きるってそんなに良いことですかね?
生きるって、良いことでも悪いことでもなくて、
ザッハリッヒな現実でしかないじゃなんですか?

82kojikoji:2003/10/06(月) 14:13 ID:r6jGYLEk
しかし、それでも尚且つ何らかの引っ掛かりを感じてしまうのは何故なのでしょうか?
私はニューエイジというものを正しく理解したいと思う故に、歴史から始まり
様々に調べてみましたが、その目指すところが未だに理解出来ないままです。

しかし、そのヒントは「カルト資本主義」の著者・斎藤貴男の言葉に在りました。

≪敢えて言う。“無我執”も“ポジティブ・シンキング”も個人の折々の生活心情の
範囲から断じて逸脱してはならない。共通の価値観にさせてしまってはならない。
そうした思考パターンに“上”から誘導され、現実の社会の中で、あたかも“普遍の真理”
のように扱われるようになった時、国家や大企業の指導層に属していない大多数の普通の
人間は、今以上に、人間として生きることが出来なくなる≫(380p引用)

ニューエイジが全体性重視の思想であっても、個人の理念はあくまで尊重されなければ
ならない。その理念は与えられた借り物ではなく、オリジナリティに富むものでありたい。
美しい言葉に酔い、共通の価値観の中に個人を埋没させるのは、何がしかの危険性を孕む。
度を過ぎればマインドコントロールにも繋がっていく。

私は、こんな時代だからこそ物事の本質を見極める目を鍛えたいと思う。
今現在生きているこの世界の、現実の中で。


■参照―「井深大が見た夢」「カルト資本主義」(この本は非常に興味深い本でした)
尚、参照した部分は、1997,1998年、出版当時の記述そのままです。

83kojikoji:2003/10/06(月) 14:27 ID:r6jGYLEk
Radio Pressさん、こんにちは〜

「生きる」というのが良いとか悪いとか言うよりも、
生きていれば、良い事も悪い事もあるさって感じじゃないでしょうかね?

「取り敢えず生きてみる」って感覚、結構好きですけどね〜

84motobora:2003/10/06(月) 18:30 ID:D1u2PlYA
こんにちは。
dingbats さん、度々のお誘いありがと。
拝見しつつも、なかなか書き込むことが出来ませんでした。
みなさま、どうぞよろしくお願いします。
ご挨拶ついでに近況です。

子供の総合学習のテーマが「いのち」です。
『私のいのちは誰のもの』という問いから始まり、命の尊厳にかかわる問題について
考えています。
・誕生について-出生前診断、着床前診断、不妊治療、人工妊娠中絶、クローン技術
・死について-脳死→臓器移植、安楽死、尊厳死
・その他-遺伝子組み替え食品、環境問題
などです。
子供は生命倫理という言葉と出会い、将来、自分が直面した時どうするかという視点で
これらの問題と向き合っております。私も子供と一緒に勉強中。
この掲示板、とっても参考になります。

先日、子供が「14歳からの哲学」という本を借りてきました。
机に置いてあったので、パラパラっと見たところ、この本の書きだしで、
著者は「生きていることは素晴らしいと思うか、つまらないと思うか」と問い掛けていました。
今日、皆さんの書き込みを読んで、ふと思い出しました。

85kojikoji:2003/10/07(火) 00:55 ID:H9C7ldRY
今日はスレを消費しまくってしまい、dingさん、すみません。

ホロトロピックについて触れているサイトを発見しましたので、
補足しておきます。
http://www.iweekly.co.jp/newage_biwa_2003_9.html

motoboraさん、こんばんは〜 どうぞ宜しくお願いします。
「14才の哲学」ですが、著者の文体に対して異議を唱えている人もいるようです。
本って、賛否両論あるのは珍しくありませんが、ご参考までに。
http://www.geocities.co.jp/Hollywood-Theater/4015/page024.html

86dingbats:2003/10/07(火) 01:18 ID:8ptHAhJA
kojikojiさん、リキの入った考察ありがとうございます〜。
Radio Pressさん、motoboraさん、こんにちは。ようこそ!

ニューエイジ思想の背景を辿ろうと思いつつ、放りっぱなしのまま、
カウンターカルチャー興隆の地カリフォリニアにも興味を惹かれて
越智道雄氏の著作を読みかけていたりします。確かマルクス兄弟の映画で
窓の半分は晴天、もう半分は大嵐で「カリフォルニア!」って叫ぶギャグがあったような。

以下、kojikojiさんが詳しく書いて下さったことの補足ですが、少しだけ。

カウンターカルチャーは「既成の価値観への異議」と定義して良いと思いますが、
その発祥はイギリスの階級制度や性差別等に起因する「怒りと反動」であり、他方
アメリカでは「物質的な豊かさだけを追及することへの忌避」の意義が大きく
取り上げられました。アメリカンカウンターカルチャーの影響は様々な分野に及ぼしつつ
(UNIXやMacもその申し子なわけですが)時代とともに終焉を迎えました。
その後ニューサイエンス、ニューエイジムーブメントが起こり、パラダイムシフト・
意識の変容・ホーリズム(全体性主義)といった考え方が提唱されるようになり、
また「平和と調和」を謳うニューエイジ思想と自然回帰を目的とするエコロジーや
代替医療(非西欧近代医療)は密接な相関関係を持ちつつ、神秘主義的な一面をも
深めていくことになります。

ニューエイジ運動が提起した命題は非常に重要ですが、反証可能性をハナから
無視した言説や商業主義に堕してしまっては本末転倒なのではないでしょうか。

ニューエイジャーの方によるニューエイジムーヴメントの総括がありましたので
リンクしておきます。
↓『TERRA STELLA』メールマガジン 見本誌
↓ニューエイジ運動の光と影 の項
http://ourworld.compuserve.com/homepages/yuiwang/mm.sample.html#ニューエイジ

87dingbats:2003/10/07(火) 01:56 ID:8ptHAhJA
寝る前にもうひと書き。

>kojikojiさん
そんな遠慮しないで、どんどん書いて下さい!
いつも投稿楽しみにしています(ってプレッシャーだったらスマソ)。

>Radio Pressさん
ザッハリッヒな現実に何かしら意味を見いだそうとしてしまうのが
人間てもんではないでしょうか? ちょっと大袈裟ですが、 
文学とか宗教の意義はその辺ではないかと思うのですが。。。

>motoboraさん
学校で生命倫理を考える時間があるのは、いいですね。
自分で考えたり大勢と意見を交換する経験はとってもエキサイティングです。
いつか、等掲示板にお子様ご本人や学友の方達も参加してくださると嬉しいです。

ご存知かと思いますが、saiさんがまとめられたページもリンクしておきます。
↓Yahoo!「日木流奈の謎」過去ログコーナー
↓《「異議あり!『奇跡の詩人』出版前夜の大激論」》「優生思想編」
http://members.at.infoseek.co.jp/saihikarunogo/yahoohikilunaeugenics2410.html

88名無しさん:2003/10/07(火) 01:59 ID:8ptHAhJA
等掲示板→当掲示板 に訂正。いつも誤字多くて恥ずいス(=_=;)

89Radio:2003/10/07(火) 23:29 ID:0JO/eM.I
>>87
そういう宗教・文学もあるし、逆にザッハリッヒな事実を突きつける種類の文学や宗教もあるでしょう。

90みづき:2003/10/08(水) 08:12 ID:2qrdztCg
もとボラさん、いらさぁーい。またお会いできてうれしいです。

91dingbats:2003/10/08(水) 11:57 ID:E9QY0w4c
以前話題に出たNewsweek記事「2003年6月25日号 間違いだらけの0歳教育 」ですが
バックナンバー検索で読むことが出来ます。検索には登録(無料)が必要です。

http://www.nwj.ne.jp/

92saihikarunogo:2003/10/10(金) 09:56 ID:i6qtgCiA
不法生命訴訟、不法出生訴訟、不法養子縁組訴訟というものがあります。

http://www.arsvi.com/0p/ql~wa.htm

93saihikarunogo:2003/10/10(金) 10:05 ID:i6qtgCiA
以前、海外のドキュメンタリー番組で、聴覚障害者同士の夫婦が、難聴の娘に、
人工内耳をつけるかどうかを考える話がありました。
健聴者の親や同じ難聴の友人、知人、こどもに人工内耳を入れる手術を
受けさせた難聴者同士の夫婦など、いろいろな人に会って、相談します。
結局、こどもに人工内耳を入れる手術はしないことに決めるのでした。

多くの難聴者が集まってバーベキューパーティーをする場面では、
皆、仕事や家庭を持ち、堂々としていました。

一方、せっかく、こども自身が人工内耳をつけてみたいといっているのに、
音楽の楽しみを一生奪うのはかわいそうだという人も、番組のなかにもいたし、
視聴者の感想にもありました。
人工内耳をつけると、その番組に出ていたUSAの現状では、手話を教えるのを
やめてしまうのです。
できるだけ、耳を使った会話に慣れさせるのです。
おとなになってから人工内耳をつけた人は、もはや健聴者のように聞いたり
話したりはできないのです。

しかしどちらにしろ、難聴の人々の気持ちがよく伝わってきた番組でした。

一方、これはまたまったく別の機会に、聴覚障害者同士のレズビアンの
夫婦がクローンで難聴のこどもをもつことは許されるか、という問題を
読みました。

94saihikarunogo:2003/10/10(金) 10:10 ID:i6qtgCiA
もし、自閉症になることが出生前診断できるようになったら、
多くの人々が自閉症になるとわかった胎児を中絶するようになるでしょうか。

自閉症になるかどうか出生前診断できるのに診断を受けなかった夫婦から
生まれたこどもが自閉症だとわかったとき、そのこどもは成長してから、
不法生命訴訟を起こすことがあるでしょうか。

自閉症がわかる出生前診断の方法を医師から告げられなかった夫婦が、
こどもに自閉症があるとわかってから、医師に不法出生訴訟を起こすことが
あるでしょうか。

「光とともに……」の連載中に、自閉症になるかどうかわかる出生前診断の
方法が開発されたら、漫画の内容はどう変わるでしょうか。
あるいは、変わらないでしょうか……

95saihikarunogo:2003/10/11(土) 10:26 ID:WSU9CXUE
--------------------------------------------------------------------
>私も胎児診断については総論賛成です。患者さんのDさんやCさんがいわれた、
>生まなければ自己否定につながるということですが、私はそれでもしかたが
>ないではないかという気持ちをもっています。
>というのは、障害者として生まれてきても自分は幸せだ、これでいいんだと
>いう考え方をする人ばかりではないからです。障害者として生まれてくれば、
>いろいろな面でつらい気持ち、悲しい気持ち、そういうものをずっともって
>生きていくわけです。(中略)そういう観点からみますと、障害者である
>ことがわかっていれば、その障害の程度がどんなものか、何歳になってどれ
>くらいの程度になるかということにもよりますが、できれば世には出さない
>ほうがいいのではないかと考えております。

この障害者は、自分自身のことを自己肯定できていないように見える。その
うえで、自分と同じような境遇の人間は、これ以上作り出さないほうがいい
と考えている。もちろん、彼が、そのような
理由で選択的中絶を選ぶ権利は、はっきりと保障されねばならない。しかし
ながら、自己否定でもしかたがないという彼の考え方については、私は疑問を
もつ。そして、<必然的な出会い>があり、かつ、適切な状況があるならば、
私は彼に向かって、どうして自己否定でもしかたがないとあなたは思うのかと、
尋ねてみるであろう。
--------------------------------------------------------------------
(森岡正博著「生命学に何ができるか」p.354)

--------------------------------------------------------------------
まず、本書のアプローチは、選択的中絶を選択しなくてもいいような道を
探すものであった。生まれてくる子どもに障害があっても、なくても、
どちらでもかまわないという態度をとれることを、最終的にはめざすもので
あった。そして個人の選択の自由は保障しながらも、この考え方を、絶えず
社会に訴えかけていくのであった。

しかしながら、そのような発言を社会に向かって行なうことは、やむを得ず
選択的中絶を選んでしまった人間や、悪いことだと思いつつもそれを選んだ
人間たちを、結果的に糾弾し、心理的に追い詰め、悪人呼ばわりし、彼等の
自尊心を破壊して地獄に突き落とす、このうえない暴力となるのではないか。
そして、妊娠出産を控えたカップルに、あたかも「選択的中絶を選んだら
それは君たちは人間失格だ」とでも言うような、不当な心理的圧力をかける
ことになるのではないか。それは、人間の心の負い目を利用した一種の全体
主義であり、個人の自由な選択の保障というこの社会の基本原理を破壊する
ものではないのか。このような反論が待ちかまえている。
--------------------------------------------------------------------
(森岡正博著「生命学に何ができるか」p.367-368)

--------------------------------------------------------------------
問題は、一般メディアの中で選択的中絶の負の面を強調したり、学問的な
著作の中や政治活動の中でそれを行なったときである。たとえば、雑誌の
論説の中で、「選択的中絶を行なうことは、現に生きている障害者を無力化
することになる」と強調したときに、それを読んだ人々が選択的中絶という
個人的な決定をあたかも非難されたかのように感じたり、苦しんだり、今後の
選択を束縛されたりするかもしれない。それは個人の自由への侵害では
ないのかという点である。
--------------------------------------------------------------------
(森岡正博著「生命学に何ができるか」p.368)

96saihikarunogo:2003/10/11(土) 10:30 ID:WSU9CXUE
「子どもを選ばないことを選ぶ」の問題は、
選択的中絶の負の面を強調するのでなく、
選択的中絶をしないことの明るい面を強調する場合も、
森岡正博が述べているような、
--------------------------------------------------------------------
それを読んだ人々が選択的中絶という個人的な決定をあたかも非難されたかの
ように感じたり、苦しんだり、今後の選択を束縛されたりするかもしれない。
それは個人の自由への侵害ではないのかという点である。
--------------------------------------------------------------------
という問題があるということだと思います。

97T:2003/10/11(土) 10:36 ID:7xKcSLDs
saiさん
当人によってなされる訴訟=不法生命訴訟
親からの訴訟=不法出生訴訟
ということですよね。うーん、日本ではそこまで先鋭化することは考えづらいような気もしますが。
特に子ども自身が自分が生まれたことに対して賠償を要求するというのは、
生きるのをやめるのではなく、これからも生きていくのだとして、
自分の誕生をロングフル=不法と定義するような訴えは、その人の中でどう肯定されるのだろう。
誕生は不法でも存在は不法ではない?
日本人は(私は)、こういうラジカル(根源的、過激の両方)な思考にどうも馴染めないですね。
なぜでしょうね。

少し前でしたか、上海発のニュースに度肝を抜かれました。
地方から出てきた若い夫婦がいて、夫は子どもを望んでいるのだけど、妻はもっと豊かになってからと思っていて、
夫に無断で子どもを中絶してしまった、怒った夫は妻に離婚を請求、妻はそれを不服として裁判を起こした、という話。
結局、この夫婦は来年だか再来年だかに子どもを持つことで合意したそうです。
いや、文化とか風土ってさまざまだなあと思いました。まあ海を越えて報じられるくらいだから向こうでも珍しい話なんでしょうが。
この話にしろ、不法生命・出生訴訟にしろ、なんだかついていけないなあと感じるのは、別に日本人が特に倫理的だからというわけではなくて、
「そういうことは、うちうちで解決すべきことであって、裁判に訴えて白黒つけてもらうことじゃないだろう」
という風潮が強いからだろうと思います(私にもそういう意識はあります)。
その代わりというか、うちうちで解決した結果については、他人はとやかく言わない。
出生前診断で胎児に障害があるとわかって中絶したとしても、それがその人のぎりぎりの選択なら何も言えない。
それはその通りなんだけど(私もそうだから)、考え詰める遥か手前で考えを手放すことにあまり頓着しないとも言える。

日本は無理心中に甘い国だとはよく言われることです。
子どもの将来を悲観して、経済的な困窮に耐えかねて、といった情状が酌量されがちである。
悲惨な「うちうちでの解決」を、「誰も責められない」と結論づけるのですね。
その一方で、「うちうちで解決」できないとなると、たとえば子どもが凶悪犯罪を犯すと、親は市中引き回しの目に遭って当然だ、
と言い出す大臣も出てくる。
子は親の所有物ではない、親と子は別の人格であるという建前をあまりにも軽んじているからだと思います。

建前は建前です。限界はあります。でもそれにしがみつくことは大事です。
その建前をもっと大事にするなら、虐待を通報されながらみすみす命を落とす子どもは減るでしょう。
行政は強い態度で親から親権を剥奪することができる。
障害を持った子を授かって、親だけが抱え込んでもうまくいかない、さまざまなサポートや受け皿が必要だ、
これだって「子は親の所有物ではない」という意識が根底になければその必要性を世に訴えることはできないはずです。
自分が産んだ子なんだから自分でなんとかしろ。これに対抗できる言葉って「この子はこの子であり私のモノではない」、そういうことでしょう。

で、不法生命・出生訴訟に話を戻すと、そのようなことは日本では起こりにくい代わりに、
出生前診断の技術そのものは着々と進んでいくような気がします。
それこそ、胎児がある程度育ってからの中絶は肉体的・精神的ダメージが大きいので、
受精卵の段階で痛みを伴わずに決断できるような方向で。
「決断」などという大袈裟な言葉を使わなくてもすむ選択として。
でも、指摘のようにすべての障害を出生前診断で見分けることはできないし、後天的に障害を得ることもある。
今のように建前では社会的サポートの重要性を説きながら、
本音のところではうちうちで処理すべきだという意識から抜け出せない限り(私が、人々が)、
裁判のように事が先鋭化することもない代わりに、
個々人の成育歴や環境、親によって人生のすべてが決まってしまう傾向はますます強まるでしょうね。
障害者・健常者の別なく。そんな気がします。

98T:2003/10/11(土) 10:47 ID:7xKcSLDs
saiさん、おはよう。
97はsaiさんの投稿を読む前に書きました。

99kojikoji:2003/10/15(水) 16:39 ID:C/Xh7GHM
「子どもを選ばないことを選ぶ」ようやく読み終えました。
著者の医療者として真摯に医療に取り組む姿勢がよく伝わってくる本だと思います。

それにしても、出生前診断の是非については本当に難しい問題だと改めて思います。
まず「命は何より重い」という言葉を錦の御旗にしてしまうと、この議論はその段階から
一歩も進めなくなってしまいます。命の重さを分かっていながら、それでも・・・という
土俵に立たなければ、この問題は語ることが出来ないでしょう。

世の中には様々な障害を持つ方が存在します。社会の理解度が少しずつ進歩してきている
とはいえ、旧態依然とした偏見が未だ存在する事も又事実です。
障害のある方々にとっては、例え自身が自己肯定したとしても、他者から受ける苦しみに
より又新たな自己否定の芽を植え付けられる可能性は常にある訳です。
障害を持つ方の心の悩み・葛藤は、生ある限り、その人に付いて回る現実そのものです。

人は他者の痛みを、なかなか我が事として実感出来ませんし、自分がその身になって
初めて分かることも多いと思います。それでも、痛みの渦中にある人の気持ちに少しでも
寄り添う為の努力は可能だと思うし、その気持ちは自分の中でも持ち続けていたいと思う。

私の知人は血友病の男性と結婚しました。
血友病は出血した場合に血が止まらなくなる病気です。外傷以外にも、関節内出血により
肘、膝、足首などの障害を起こしたりしますし、頭蓋出血、腎出血等が起きれば命にも
かかわります。
血液製剤が出来た事によりこの病気は減少していますが、皮肉な事に、この血液製剤に
よって薬害エイズ事件が起こされたのは、非常に心痛む出来事でした。

血友病は伴性劣勢遺伝(性別に関係する遺伝)の形態をとり、染色体が子どもに
引き継がれていきます。血友病の男性と健康体の女性が結婚した場合、男の子が
生まれたら発病しませんので、そこで子孫への遺伝は断ち切られます。
しかし、女の子が生まれた場合は、その子は血友病遺伝子保因者になるのです。
これは、女性が発病者で男性が健康体の場合は又違う遺伝形態になります。
(全ての血友病が遺伝性ではなく、稀に突然変異もあります)

100kojikoji:2003/10/15(水) 16:51 ID:C/Xh7GHM
妊娠した時、その夫婦は当然悩みました。胎児が女の子だと判別した時にも又悩みました。
将来その女の子が出産する時には、男の子が生まれても女の子が生まれても二分の一の確率で
発病する可能性があります。発病した子どもは、また遺伝子をその子どもに受け継いでいく
可能性もあります。

結局、当時その夫婦は未来の医学の進歩の可能性に賭けて、出産を決めました。
しかし、妊娠時に2人がどのような判断を下したとしても、やはり私は何も言えなかったと思います。
病気に伴う幼少時からの辛い経験の数々を聞けばこその私の気持ちでした。

「子どもを選ばないことを選ぶ」は、ダウン症のお子さんの例のみを取り上げています。
紹介されているのは、受容が出来ているご家族が多かったようです。
しかし、現実には未だ受容が出来ず葛藤しているご家族もいらっしゃるのではないでしょうか?
本では出来れば両方の例を取り上げて、様々な側面から考えられたら良かったのにとの
思いが残りました。

本を出版するという事は社会的に大きな影響力をもたらします。
子どもを選んではいけないと啓蒙する事は、子どもを諦めざるを得ないという人の
選択肢を否定し、個人の人格まで否定しかねない危惧は無いでしょうか?

この世界には人の数だけそれぞれの事情、それぞれが抱えた悩みがある事でしょう。
深く悩んだ末、血のにじむような決断を親がしたのだとしたら、私はもう何も言えない。
ここはやはり他人が踏み込んではいけない不可侵領域だと思う。
それは、法律の問題とか倫理の問題を超えた所にある、親の心情そのものだと思います。

結局、この問題に関して私は答えを出すことが出来ません。
敢えて言わせてもらえるなら、各個人の尊厳が失われる事なく、それぞれが尊重される
社会であってほしいと望むのみです。

「子どもを選ぶ」という言葉に何かしら重圧と戸惑いを感じながら、私はその本を閉じました。

101>>kojikoji:2003/10/15(水) 23:43 ID:9UBL5LBs
good job!!

102みづき:2003/10/16(木) 09:30 ID:08lWLfu6
おはようございます。

「子供を選ばないことを選ぶ」の本はまだ読んでいません。
いろいろ思うところありで。

自分が経験したこと苦しみを子供に味合わせたいのか、
出生前検査で障害があるとわかったら。

このことは、ダウン症に限らず、血友病もわかるようになりましたし、
これから、科学が進めばもしかするともっといろいろなことがわかるように
なるかもしれない。
そうなったときに、私たちはどういう選択をしていくのか。

私も娘の命の選択をこれまで、三度医師に求められました。
障害を持つとわかった最初は「延命処置はやめる」でした。
障害を持った後の二度の選択は「どんなことをしても助けて欲しい」
そう、心から思いました。

最初の選択のときに、夫が「どんなことをしても助ける」といって
譲らないでがんばってくれてよかったと思っています。

おなかの中の命と、生きていて選択を迫られる命と
どちらも同じ重さなのです。これを分けて考えることなどできない。

たとえ、元気に生まれても、娘のように途中で障害を持つかもしれない、
障害を持たなくても、生きることそのものを苦しむ人もいる。

親が子供のことを思って苦しむことと
子供が自分の人生をどう感じて生きるかは別なのだと
自分を律することのできる親になれたらなと思いますが
これが一番難しいのだと思います。

103みづき:2003/10/16(木) 09:54 ID:08lWLfu6
>「子どもを選ばないことを選ぶ」は、ダウン症のお子さんの例のみを取り上げています。
>紹介されているのは、受容が出来ているご家族が多かったようです。
>しかし、現実には未だ受容が出来ず葛藤しているご家族もいらっしゃるのではないでしょうか?
>本では出来れば両方の例を取り上げて、様々な側面から考えられたら良かったのにとの
>思いが残りました。

ダウン症のお子さんは、ほんとに素直で優しい子が多いです。
こだわりも強く、てこでも動かない頑固さもありますが、
思いやり深く、リズムを取るのが上手でそばにいると
心がほこほこするような感じです。

この特質はダウン症の子供たちが生来持っているものなのか、
もともとからだが弱く、ご両親の手厚い育児がなければ成長できないから
その愛情を受けたおかげなのかわかりません。
私が知っている6人の子供たちはみんなそうです。

こういう子供たちの成長した姿を見ていれば、出生前検査を「自分の病院ではやらない」
といいたくなっても不思議ではないかもしれません。


私、自分が妊娠したときに中絶のためのオペをするときの医者の気持ちつて
どんなだろうと考えたことがありました。
以前、テレビで得た情報ですが、そのオペのとき、赤ちゃんは逃げるのだそうです。
こんなリアルなことは書くべきではないかもしれないけれど。
そうなのだとしたら、たとえ仕事とはいえ、そういうことと日々
向き合わなければならない医師の気持ちはどうなんでしょうか。

そのことを拒否して、生む選択を助け、その後の人生に寄り添うほうが
いいという医師の選択もあるのかもしれません。

読まずにこんなレスしてすみません、そのうち、覚悟が決まれば読みます。

104ユリカモメ:2003/10/16(木) 14:54 ID:dAwsBs2c
人生の決断は、人それぞれなんだと思います。

障害児を産んで育てようと思う人、そうは出来ないと思う人、医者として出生前診断を奨める人、
奨めない人、そこには、個々の人生観が反映されることでしょう。
それでいいのだと思います。

例えば、私には出生前診断は福音に思えます。それが出来れば、私のような不幸な病気を子孫に伝えなくていい選択が出来るのですから。
ただ私の病気には該当しないと医者に言われていますので、私にはその選択肢さえありません。

反対に出生前診断と聞くだけで、悪魔の所業のように拒否反応を起こす人もいるでしょう。
出生前診断を受けずにどんな運命であっても受け入れる人は、それはそれでご立派な方だと思います。
だからと言って、その反対の結論を出した人を短絡的に批判するのはどうでしょうか。
私はここに一抹の不安を覚えるのです。

生命は大切なものだから(そうです、当然)絶対に生かす道を選ばなければならないという考え方に嫌なこわばりを感じます。

生まれてきて絶対の幸せを誰が保証出来るでしょうか。
生まれてこない幸せを誰が保証出来るでしょうか。

ここにギリギリの選択があるのではないでしょうか。親となる人達の人生観に立った選択は、
どんな選択であっても、どこの誰が口を挟めるのでしょう。

誰人にも侵せない不可侵領域であってほしいと思います。

千人の出生前診断を受けた人がいたら、そこには二千人の思いがあり、千の選択が生まれるのだと思います。

それぞれの選択肢があります、そして、それぞれが選んだ選択を尊重出来る社会であってほしいと思います。

#それぞれが生きてきた人生観での意見交換は、中々面白いものですね。
#人生観って口をきくんだと実感しましたです。

105ユリカモメ:2003/10/20(月) 10:31 ID:i1helT4U
人の生命を考える時、私は次の映画を思い出します。

ガタカ …極端な優生思想に人類の末恐ろしさを憂い、それでも残る一抹の希望
http://home.att.ne.jp/yellow/karuna/filmography/gatta.htm

エレファントマン…ジョンの決断と満ち足りた顔のラストシーン
http://www5d.biglobe.ne.jp/~soze/elephant_newpage34.html

ダンサー・イン・ザ・ダーク…セルマの哀しく切ない女ごころ
http://www.ascii.co.jp/yakusha/topics/movie/2000/12/11/619406-000.html


どれも人の命とは、を考えさせてくれた良い映画だったと思います。

106みづき:2003/10/20(月) 14:53 ID:fedZ1TOg
ユリカモメさんの映画に追加して
私から推薦

「八日目」
http://www.eiga-kawaraban.com/97/97053101.html

ダウン症の男優が演じています。障害のある人たちがみんな本物というところも
見所です。この映画を見た後しばらく落ち込んだのでここをご紹介します。

ロレンツォのオイル
http://www.ece141.com/video/lorenzosoil.html

スーザンサランドンが大好きになった映画です。
両親が苦しみ悩みながら、子供の難病の治療法を科学者たちと
探していく実話です。

介護の苦しみ、母親が孤立していく様子、夫の助けなどまさにそのものだと
思いました。母親が苦しむロレンツォに「もう、イエス様のところに
いってもいいのよ。パパとママは大丈夫だから」という姿が
当時の娘の姿と重なって泣けるなんてもんじゃなかったです。
疲れたらこれ見て、元気出してます。

白質ジストロフィー関連のサイト

http://www.jura.jp/mld6/links.htm#白質ジストロフィー

ここから、ロレンツォのミエリン再生計画のサイトへいけます。

オドーネ婦人はがんで亡くなったそうです。
今は、ご主人が中心になって失われたミエリンを再生させるための
プロジェクトを続けておられます。

107<削除>:<削除>
<削除>

108Radio:2003/10/30(木) 05:11 ID:6X0Qhzjk

優生学、優生思想という言葉を使うとき、ひとはナチスのエスニッククレンジングを
連想します。選択的妊娠中絶を選ぶ人が「優生思想に加担している」とい
うとき、そういう残酷さ、「お前はナチスに匹敵する悪だ」というレッテル
張りをする結果になるわけですが、自覚しているのかな。

そもそも優生学や優生思想が悪であるということから疑わなければならないと
もちろんわたしは思うわけですけどね。


出生前診断に基づく、選択的妊娠中絶が新しい問題であり、「倫理的に悪」で
あるかのように語られるわけですが、それってホントに新しい問題なんですかね?
妊娠中絶が「悪」であるとして(これも吟味されるべきだとわたしは思うわけ
ですが)、一般の経済的理由による妊娠中絶と、出生前診断に基づく選択的
妊娠中絶は、「倫理的悪」の度合いは何ら変わらないと思いますが。なぜなら
どちらも胎児を殺しているという点ではまったく同じだから。

健常者と障害者を無差別に殺すことと、障害者をより分けて殺すことでは、
障害者をよりわけて殺すことの方が「悪い」のでしょうか。それを優生思想と
言っているのでしょうが。そうであるならそれは論証しないといけない
ことでしょうね。

109<削除>:<削除>
<削除>

110T:2003/10/30(木) 10:40 ID:oarpaDUA
>Radio Pressさん
あらゆる倫理は疑われ、吟味されるべきである、
人を殺すな、物を盗むなといったごく基本的なレベルのことも含めて、
とおっしゃる。
そしててるてるさんには、前提となる倫理観を再検討すべきだ、と。

「なぜ人を殺してはいけないか」
こう問うとき、問いの芽はすでに発する側にあるわけです。
「人を殺したっていいじゃないか」
そう思うなら、そう言うでしょう。
そうではなくて、「なぜ」と問うのは、「なぜ」か自分でわからないからです。
で、自分にわからないことは、たいてい人にもわかりません。
でも、わからなくても「願い」はある。
その願いはどこから来るかと言えば、多くは個的な事情、
生い立ちとか家庭環境とか、これまでの人生で出会った出来事とか、
そうしたことから来るのだと思います。
てるてるさんが、これ以上あなたの問いに答えようとするなら、
そうした個的な事情について実感的な言葉で語るほかないと思いますが、
公開の掲示板でそうすることにためらいを感じたとしてもそれは普通のことだと思うし、
個人情報うんぬん以前に、そんなことはよほど親しい友でもなければ話さないでしょう。
誰かの「願い」について、その人がそう願うことがサッパリわからない、
それだけなら、別に放っておけばよいことです。
そうではなくて、あなたが、どうしてもてるてるさんの言動が気になるんだということなら、
なぜ自分は気になるのか、それこそ実感的な言葉で語ってみたらいかがですか。
不可知論で自己完結しながら、人に論争を挑むカタチを借りて、中身はやはり不可知論では、
「いったい何がしたいんですか?」と言うほかありません。

小倉昌男(ヤマト福祉財団理事長)が書いた「福祉を変える経営」に触発されました。
(「無痛文明論」はまだ感想が書けるほど考えがまとまっていません)。
どんなふうに触発されたかは、また今度。

111saihikarunogo:2003/10/30(木) 12:15 ID:V5y7o.Bc
>Radioさんへ

きのう、私は、

>私は、もし私自身が、この年齢で、妊娠することがあったら、
出生前診断を受けるかもしれないし、それで障害があると解ったら、
中絶するかもしれない。
>そういう人は、私と同じ年頃の人には、多いだろう。
>そういうことから、いろいろ類推して、多かれ少なかれ、
優生思想に加担していない人は、ほとんどいないだろう、と思いました。

このように書いたわけですが、それはおもにダウン症などの
染色体異常のことを頭に置いていました。

しかし、きのう、私が言ったことの大部分は、
たとえば進行性筋ジストロフィーの発症の確率を受精卵段階で診断して、
確率が高ければ廃棄する、というような場合には、あてはまらないだろうと
思います。
それも治療法が確立すればまた状況が変わるとは思いますが。

>そもそも優生思想は悪なのか、ということですが、生まれてくる子を選ぶ、
という点に関しては、悪だと思います。
>そういう選ぶ権利がどうしてあるのか、と思います。
>
>しかし、多かれ少なかれ、優生思想に加担していないような人は、
ほとんどいないと思います。

この部分について、UKで二分脊椎の出生前診断が普及して、
その出生数が激減したが、それによって、
今現在生きている二分脊椎の人にとって必要な手術のできるお医者さんも
減ってしまって困っている人もいること、日本では、
「不幸なこどもが生まれないようにするために」というスローガンで、
中絶とセットになって、ダウン症の出生前診断を普及させようとする政策が
起こされたのをきっかけに、障害者や障害児の親から、
出生前診断に反対する運動が生まれ、その歴史的な経緯の中から
「子供を選ばない」という言説も生まれてきたこと、を想定しておりました。

今は、政策としてあからさまに中絶とセットになった出生前診断を
普及させようとする動きはありませんが、ダウン症その他の障害のことを
よく知らないままに、なんとなく出生前診断を受けてしまい、あとから、
発症の確率が高いというようなことを聞いて、とまどい、恐れ、
中絶してしまう人も多く、それに対して、もっと出生前診断の確率のことも、
実際に障害のある人の暮らしのことも知ってほしい、
必要以上に大きく恐れないでほしい、という立場から
「子供を選ばない」という人々がいます。
また外国の場合は、ダウン症などの障害のあるこどもを養子にする人々も
いることを、出生前診断の前のカウンセリングで話すべき、
というところもあります。

112saihikarunogo:2003/10/30(木) 12:17 ID:V5y7o.Bc
今、優生思想について考えるとき、ナチスの政策のようなもののことだけを
念頭において考えるのはまちがっている、ということは、
既にその関連の書物で述べられています。
たとえば講談社現代新書の「優生学と人間社会」
(市野川容孝、ぬで島次郎など)には、
優生学、優生政策というときに、ナチスの政策を思い浮かべるのは
実は狭い限られた例であって、もっといろいろな例があること、
また平和や人権を守るといった立場の人が優生学、優生思想を
進めたり後押しした例もあったことが、多数、挙げられています。

そういう知識、言説は、立岩真也、森岡正博も共有しています。

また、経済的な理由で中絶することと区別して障害を理由に
中絶することだけを問題にすることに、充分な根拠があるのか、
という問いも、彼等の言説の中からも、出ています。

第二次世界大戦前、日本で産児制限を勧めようとした人は、
障害を理由に中絶することを当然と考えていました。
そもそもは貧しくて子沢山の家庭に、計画的な妊娠や避妊の知識や技術を
広めようとした人が、その当時は、それが非常な悪であるとして
抵抗や弾圧を受けながらも広めていった.
戦後、経済的な理由による中絶も避妊も、自由になったとき、
障害を理由に中絶することが問題とされるようになった。

一つには、先に挙げた「不幸な子が生まれないようにするために」
という政策に対する、障害者側からの抵抗があります。
障害児を育てている親が子供を殺して心中しようとして生き残り、
減刑嘆願がなされるということもいくつもありましたが、
殺さなくてもいいような、親だけに負担がかからないような、
社会にしていくほうがだいじだろう、と障害者側から声を挙げるときに、
それが「子供を選ぶな、殺すな」という声になっていったのは、
充分な理由のあることと思います。

それがしかし、堕胎罪の廃止を求め、経済的な理由などで中絶することの
「自由」を求める女性運動側と、激しい論争になり、
森岡正博の「生命学に何ができるか」でもそれが中心的なテーマに
なっています。
今でも、最終的な結論というものは、ないと思います。

113saihikarunogo:2003/10/30(木) 12:19 ID:V5y7o.Bc
きのう私は、失念しておりましたが、
今は、遺伝する病気があるとわかったときに、
中絶するのか、遺伝子治療をするのか、
また受精卵段階で診断して廃棄するのか、
ということも問題になっています。
遺伝病を子孫に伝えたくない、
今、この病気があるらしいとわかったこどもを産むことによって、
将来またこのこどもがこどもを産む年齢になったときに苦しむだろう、
この今のときに、それは断ち切りたい、という場合。
また、生まれてきても成人するまで生きられない、
それも病苦が続くことが予想される、そのような苦しみを味合わせたくない、
という場合。

そういう場合に、妊娠の段階に診断を受けて、こどもを中絶することを選ぶ、
または体外受精して受精卵を診断し、廃棄することを選ぶ、
というときに、それもまた優生学、優生思想に含まれるけど、
それは悪なのか、というと、それは、わからない、と思います。

遺伝病の場合も、遺伝子を操作して治療する、ということが、
可能になりそうな状況でもある。
それについてもまた、是非が問われていますが、
遺伝子を操作する技術が、難病の治療に使われるのはいいと思うけど、
親の好みの容貌や能力のこどもを生みたいという方向に使われていったら、
問題だし、中年以上まで生きてから発症する遺伝病の場合はどうなのか、
ハンチントン病やアルツハイマー病の場合はどうなのか、というと、
判断がむずかしい。

それにしても、きのうは、「子供を選ぶ権利がどうしてあるのか」と
書きましたが、そういう批判は、遺伝病を伝えたくない、
という場合に対しては、不当であったと思います。

114saihikarunogo:2003/10/30(木) 12:24 ID:V5y7o.Bc
さて、それで、私が森岡さんにした問いは、

>障害胎児を中絶する障害女性と、
>障害胎児を中絶しない障害女性と、
>両方を肯定できる、
>反優生思想、
>というものは、あるのでしょうか。

>「生命学に何ができるか」では、
>障害者が健常なこどもを生みたいという、内なる優生思想、のことは、
>たくさん、語られていましたが、そこでも「内なる優生思想」の克服が
>著者の考える価値基準として優位におかれていたと思います。
>「内なる優生思想」の克服に価値をおきつつも、
>もし障害のある女性が自分のおなかのなかの障害のあるこを
>中絶してしまったとしても、それでも生命学に何ができるかを
>考えていると思いましたが、何かできるのでしょうか?

というものでした。

このときも、遺伝病のことは念頭に置いていませんでした。

115saihikarunogo:2003/10/30(木) 12:26 ID:V5y7o.Bc
障害のある女性が、本人の意に添わない、
あるいはよくわからないうちに、
第二次世界大戦後の日本でも、
あるいは北欧などでも、
中絶手術や子宮の摘出の手術を施されてきた例がある。
今はあからさまな強制ということはない、しかし現状、
障害のある人が生きていくのに不便であったり困難であったりする、
社会的なサポートの態勢も整っていない、
それは本当に「任意」といえる状況でない。
だからこそ、中絶も選ぶのであり、
そのこと自体を非難することはできない。
そういう「本当に『任意』だとはいえない」状況をつくりだしているものは、
障害者が少ないほうが社会的なコストが少なくてすむ、という思想であり、
それは優生思想である、という前提に基づくと、優生思想に反対する、
という立場が出てきます。

それが、障害のある女性の場合もそうでない女性の場合も含めて、
以下の私の考えにつながっています。

>ほんとうの任意というのは、障害が先天的であれ後天的であれ
社会的サポートが受けられて、それも、障害そのものがこどもを
苦しめるからかわいそうだと親が思うような、重い障害であっても、
できるだけささえてあげようという態勢があって、
障害者が差別されない社会であって、初めて、
自分は子供を選びたいから選ぶ、といって中絶するときだと思いますが、
現状、そんな世の中ではないから、ほとんどの障害胎児の中絶は、
実質、強制されたようなものではないかと思います。
>
>この子が生まれてきたら差別されるから中絶する、というのは、
実質的に、強制されて結果的に優生思想に加担している、
ということだと思います。
>
>実質的には任意でない状況で、表面的、形式的に、
任意だよといわれて、中絶を選んだ人たちが、そのことで
感じる悲しみを語る場があるのかどうか。
>中絶というのは、肉親との死別であるとして、
その悲しみが語れる場を、出生前診断が普及したイギリスで
作ったということは、だいじなことだと思うのです。
>そういう悲しみを共有できる場がふえたほうが、
障害がある赤ちゃんを中絶しなくてもよいように、
社会全体で支えようと思う人がふえるのではないかな、と思います。

116saihikarunogo:2003/10/30(木) 12:29 ID:V5y7o.Bc
それではもしも「本当に『任意』だといえる」状況が出現したとき、
あるいは、ある人にとっては「本当に『任意』だといえる」状況に
なったとして、その状況で、中絶する、というほうを選んだときに、
どうなのか。

経済的理由であれ中絶することを認めている限り、
障害を理由に中絶する、という、その個人の選択を止めることはできない。
それはまず一つ、前提とした上で、この場合に、

>もしほんとうの任意の状態で、子供を選びたいから選ぶ、
といって中絶するときに、それはもう結果的に優生思想に
加担するのでなくて、本心から優生思想そのものだと思いますが、
母体も傷つけてはいるわけで、そのことによって悲しみが後から
湧いてくることもあると思います。体外受精で受精卵診断だったら、
そういうこともないのかもしれないけど、よくわかりません。
選ぶことの悲しみが湧いてくるかもしれません。

ということになります。

117saihikarunogo:2003/10/30(木) 12:31 ID:V5y7o.Bc
もし私自身が、こどもを産む可能性が生じたら、どうするのか。
それは状況次第で、出生前診断を受けて、中絶もするかもしれない。

あるいは出生前診断も受けずに、中絶を選ぶかもしれない。

障害とは関係なく、自分と同じような人間が生まれてくるのは、
当の本人にとってかわいそうだから、
あるいは、世の中の迷惑だから、中絶する、かもしれません。
自分のような人間に育てられるのはかわいそうだ、
と思って中絶するかもしれません。

単にこどもを育てる経済的余裕がないから、
社会的に不都合な立場になるから、
中絶するかもしれません。

もし中絶をするなら、それが自分の都合を優先したものであり、
悪であると自覚して、それを実行すると思います。

118dingbats (yu.nNHK.):2003/10/30(木) 17:37 ID:vlGmHs6I
管理人より一言。

この掲示板では、今のところ特にテーマの限定をするつもりもはありません。
元々の開設意図も、ある話題について、ただひとつの結論や正解を求めることを
目的とするのではなく、各自気が済むまで語りあいましょうという程度です。

個人的には、掲示板上で予めこんなことを言ってはいけないとガチガチに制限するより、
個々人の考え方・感じ方の違いがあらわになった末に、お互いの差異を認めあったり、
誤謬や思い違いがあればその都度ただしていければ良いのではないかと考えています。
ただし、個人の行為思想などへの決め付けは避けて下さいますよう、各自ご留意願います。
なお、当掲示板より話題を移行する際には一言かけて下されば幸いです。
話題の性質上、メンバー限定・非公開の掲示板が欲しいと思われる方がおられましたら、
善処したいと思いますので、お手数ですが管理人までご一報お願いいたします。

119dingbats:2003/10/30(木) 17:38 ID:vlGmHs6I
>>77で 優生保護法と書いてしまいましたが、母体保護法の間違いでした。すみません。
優生保護法は昭和23年に制定されましたが、平成8年より母体保護法と改題されています。

生命倫理 bioethicsについて立岩真也氏のサイトから数多くの参考リンクが張られているので
紹介しておきます。
http://www.arsvi.com/0p/be.htm

120ユリカモメ:2003/10/30(木) 19:07 ID:9oCCkWug
管理人さん

提案があります。

今回の議論は、この板での議論を他の板に持ち出し、反証をされようと試みたことから始まります。
他の板で反証された私としては、自分の書かれたことが、曲解されていたことで仕方なく、他の板まで出かけていって、抗議したという経緯があります。
抗議したあとに、続いた議論を他板の管理人から中止・追放を言い渡されて、また、議論の始まったこの板に戻ってきたのですが、最初からの経緯が分からないと、全容を理解せず、レスをつけられる人も出てくるやもしれません。

新しいスレッドを建てられて、議論の全容を明らかにし、いまいちど根本からそれぞれが考えていくという機会を与えては頂けませんでしょうか。

Radio Press さんが問われている「優生思想は“どうして”悪なのか」ということは、非常に大切な問題であろうかと思います。この“どうして”を問わなくて、優生思想は語れるでしょうか。

私は、一概に優生思想は悪だから、どんな妊娠中絶も悪であるという考え方に、恐怖さえ覚えます。
この決め付けが、他のなにかを生まないだろうかと。

ただひとつの結論や正解はないかもしれません、だけど、そこに至る考え方の参考材料の吟味というのは必要不可欠なのではないでしょうか。
こちらの掲示板が、掲示板の役割のひとつである議論の場として存在して頂けたらと切に願います。

考えるということは、いろんな方の意見を拝聴しながら、そして、自分も意見を披見し、時には、自分の意見の間違いに気づく時もあるでしょう、他の方からご注意を受けるかもしれません。
そうしてその都度、軌道修正しながら、自分の考えを深めていくということが、ネットの掲示板での価値ではないかと思っております。

勝手ばかり申し上げましたが、どうぞ、よろしくお願い致します。

121T:2003/10/30(木) 20:38 ID:zkEE0zfk
私はユリカモメさんがそれこそ実感的な言葉で
saiさん(てるてるさん)の主張や手法に異を唱えることは
少しもおかしなこととは思いません。
議論を続けることにもまったく異論はありません。

122dingbats (yu.nNHK.):2003/10/31(金) 11:04 ID:Y/VOUnP2
おはようございます、dingbatsです。
私もユリカモメさんの提案なさった新スレでの続行に異存はありません。
saihikarunogoさん、Radio Pressさん、みづきさんからも同意頂きました。

新スレのタイトルはどうしましょう?
・優生思想を考える
・出生前診断について
・生命倫理とは何か
…といったタイトルを考えたのですが、どうも今ひとつな感があります。
どなたか良いタイトルを提案して頂けませんか? お願いします。


ところで、下記は>>118に私が書いたものですが、2箇所訂正させてください。
>この掲示板では、今のところ特にテーマの限定をするつもりもはありません。
>元々の開設意図も、ある話題について、ただひとつの結論や正解を求めることを
>目的とするのではなく、各自気が済むまで語りあいましょうという程度です。

つもりもは→つもりは
語りあいましょうという程度です。→語りあいましょうというのが主旨です。

したらば掲示板は一度送信してしまうと後から修正できない仕様なのですが
毎度誤字脱字悪文のオンパレードで申し訳ありません...m(_ _)m

123もとぼら:2003/10/31(金) 15:42 ID:wUAT2H5A
すみません。はやくも落ちこぼれています。(涙)
109以前の五月雨さんの意見ははどこで読めるのですか?
よろしかったら教えていただけませんでしょうか

*****************

>110 Tさん
こんにちは。おひさしぶりです。
曽野綾子さんのエッセイですが、小倉昌男氏とスワンベーカリーに触れています。
よかったら読んでみてください。
http://www.nippon-foundation.or.jp/org/moyo/2001222/20012221.html

>みづきさん
おひさしぶり。
こちらでもよろしくおねがいしますね。

>kojikojiさん
はじめまして。こちらこそ宜しくお願い致します。
「14歳の哲学」に関するサイトのご紹介有難うございました。
なるほど、なるほどと参考にさせていただきました。

124ユリカモメ:2003/10/31(金) 22:07 ID:rTON4JK.
管理人さん

新スレのタイトルですが、優生思想の文言は入れて頂きたいと思います。
そうでなければ、議論のテーマから外れてしまうように感じます。

そのものずばり「優生思想」もしくは「優生思想を考える」でいいのではないでしょうか。
ご検討のほどよろしくお願いします。


もとぼらさん、初めまして。

今回は掲示板を跨る議論をしていますので、分かりにくい部分もあるかもしれませんが、
管理人さんが新スレッドを立てて下されば、一挙解決いたします。
それまで、しばらくお待ちください。

125T:2003/11/01(土) 03:03 ID:Jqs4UVf2
もとぼらさん、お久しぶり。
実は私、「福祉を変える経営」に全面的に共感したわけじゃないんです。
ただ、この小倉さんを突き動かす原動力って何か、とても興味を覚えた。
何しろ日本の郵便事業を実質的に解体させた人ですからね。
何かの思想なり哲学がなければ、ただの効率主義ではやれない。

私が度肝を抜かれた一例。
障害者の作ったモノを、バザーで売る。安く売る。商品価値は問わない。
「それを、お涙ちょうだいと言うんです」
こんなこと、責任取る気でなければ言えません。
でも、効率だけを重視するならはじめから健常者を雇えばいいのです。
いったい、この人を支えているものは何か?
矛盾を一手に引き受けながら、現実に切り込もうとするその源は?

落ち着いたらもっとまとまった感想を書こうと思います。
もとぼらさんとまたお話できたので、ひとこと言いたくなりました。

126<削除>:<削除>
<削除>

127dingbats (yu.nNHK.):2003/11/11(火) 03:50 ID:aSX5dABI
生命倫理【優生思想を考える】のスレッドを立てましたので
一連の出生前診断についての討論はそちらへ移行お願いいたします。

http://jbbs.shitaraba.com/bbs/read.cgi/movie/2741/1068490076/

dialogue突然の閉鎖でご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした。
ご質問等ありましたらメールにてお願いいたします。

128kojikoji:2003/11/11(火) 19:07 ID:IR9Y/VII
掲示板再開おめでとうございます。

タイトルのように、又皆様と対話できる場を提供して下さり有難うございます。
管理人さんのdingbatsさんに感謝です。また、書かせて頂きますね。

129dingbats:2003/11/24(月) 14:58 ID:7/bSEFvo
奇跡の詩人リンクスレッド38は、めもスレに貼るつもりで、
間違えてあちらにに書き込みしてしまいました…。

ともかく、マルチポスト宣伝は見つけ次第削除しまっす。

130kojikoji:2003/12/12(金) 00:25 ID:rU66tzng
落馬事故の後ドーマン法リハビリに取り組んだ元競馬騎手・福永洋一氏を覚えていらっしゃるでしょうか?
事故が起きたのは1979年の春、当時から既に24年が経っています。
長い年月が経ち、資料も少なくなってきたようなので経緯をメモしておこうと思います。
私も当時の様子がよく分からない為、本・新聞などを読み改めて様々な事実を知りました。
初めに事故後の経過説明、後半はドーマン法との関わりについて纏めてあります。

―事故後の経過説明―

昭和54年3月4日、阪神競馬場では激しい雨の中、毎日杯のレースが行われていました。
出走馬12頭の中、唯一牝馬に乗っていたのが天才騎手と言われた福永洋一騎手です。
4コーナーを回った地点で彼は前走する馬のアクシデントに巻き込まれ、落馬事故に遭遇します。
落馬は騎手にとっての宿命のようなものですが、9年連続リーディングジョッキー(年間最多勝選手)
に輝いた彼の事故は、多くの人に多大な衝撃を与えました。
脳の損傷により危篤状態に陥った彼は、この日から長い闘病生活を送るようになります。
その闘いは又、後に始まる過酷なドーマン法リハビリとの闘いの序章でもありました。

事故後、福永氏は当時関西一のICU施設を持つと言われた関西労災病院に運ばれます。
瞳孔が開き、四肢は「除脳硬直」状態で昏睡が続き、命の保証は出来ない状態でした。
CTスキャンと脳血管撮影の結果、右側頭葉に脳挫傷、左側に脳血腫瘍が発見されます。
唯一の救いは自発呼吸がある事でしたが、意識を司る脳幹部の損傷は自力回復を待つしかありません。
どの病態を見ても非常に重篤で、命さえも危ぶまれていたのです。

直ちに医師団が今後の治療方針の協議をし、開頭手術が決定されます。
3/6に行われた手術後も福永氏の昏睡状態は続き、意識の回復は依然として有りません。
手術の成功により当面の危機は脱したものの、脳波は依然昏睡状態のままでした。
3/6の手術に続き、4/4には頭蓋骨欠損と正常圧水頭症の同時手術が行われています。

脳の損傷を受けた場合、関節の拘縮の阻止・良肢位の保持・床ずれの予防等の為、
障害を受けた後の早期リハビリ開始が重要であるとされています。
マッサージや関節を動かすリハビリは、福永氏の病室内でも既に始められていましたが、
手術による一時中断があった為、その後のリハビリは4/9から再開されたのでした。
この頃のリハビリは、一週間に3回、手足屈伸訓練を一日20分位ずつ行うというものです。
5月の初め頃左手の動きが活発になってきますが、依然瞳孔は散大し光反応がありません。

131kojikoji:2003/12/12(金) 00:32 ID:rU66tzng
7/10福永氏は車椅子で機能訓練室まで移動して、訓練室でのリハビリを始めました。
関西労災病院のリハビリテーション科は、当時関西一という評価を受けていました。
この時点での福永氏の状態は、意識レベル3、左側の肘、膝、手は自力で運動可能、
右上下肢は麻痺しているけれども柔らかい状態であるというものでした。
リハビリは寝返りから始められましたが、自ら体を動かす事は出来ない状態でした。
8月からはマット訓練、左右の上下肢を挙げる訓練、起立訓練が始められています。
8月半ば、彼は支持用具に支えられながらですが、5ヶ月振りに立つ事が出来たのです。
しかし、頭部は乳児のようにぐらつき、誰かが支えなければ不安定な状態での起立でした。

9月からリハビリはいよいよ本格化します。午前午後それぞれ2時間ずつの機能訓練、
作業療法が行われます。10月に入るとゆるやかな進歩が見られ、目の動きも良くなってきます。
左手の回復が良く、食事もチューブからではなく殆ど口から摂るようになっていきます。

ここまで回復した要因として挙げられるのは、
・事故が起きた際、競馬場に待機していた医師の的確な応急措置。
・入院後、近代医学の英知を結集した医師団の大きな力があったこと。
・結婚後、僅か3年で事故に遭遇してしまった夫人の事故後の献身的な介護。
・毎日規則正しく続けられたリハビリの成果。
などが挙げられます。しかし、現役時代によく訓練された福永氏の体が非常に
しなやかで、訓練によく耐えられた事も、実は大きな要因だったようです。
お正月に一時帰宅した福永氏は、まだ自ら言葉を発する事は出来ませんでしたが、
相手の言葉に肯いて応えるようになっていました。
この頃から笑顔がよく見られるようになります。自宅での束の間の休息の後、
彼は再び病院へ戻り、翌年11月の退院まで入院生活を続ける事になります。

132kojikoji:2003/12/12(金) 02:28 ID:rU66tzng
―ドーマン法との繋がり―

3月、今後の治療方法が医師と夫人の間で話し合われ、ここで夫人は初めてドーマン法の
リハビリを始めてみたいとの意志を医師に伝えます。これは夫人が入院中にずーと温めていた
考えで、“もう現役選手としては無理でも、せめて自ら歩き自分の言葉で話すようになってほしい”
との夫人の切なる願いでもありました。

労災病院に入院中のある日、日本人間能力開発センターから、ドーマン氏が来日するので会って
みないかという連絡が入ります。
夫人は申し出を受け、昭和55年7月ドーマン氏が入院中の福永氏の元を訪れました。
博士は、リハビリの様子を実際に観察し、病院の訓練士の人とも話し合っています。
ドーマン氏は「再び競馬界のチャンピオンになる事はあり得ないが、非常に理想的な
状態で訓練すれば、自分で生活するようになれる可能性は高い。ドーマン法によって
更に福永氏の病状は好転するだろう」という言葉を残していきます。

昭和55年11/21、福永氏は1年8ヶ月の入院生活を経て、関西労災病院を退院しました。
ご家族は、以後ドーマン法による自宅療法に回復の夢を託すようになります。
ドーマン法は一定数の人手を必要とするリハビリです。その協力の為に、
夫人の両親も住み慣れた土地を離れ、福永宅に移り住むという決断をしています。
「研究所が障害を治すのではなく家族が治す」というのがドーマン法の基本的な考えです。

133kojikoji:2003/12/12(金) 02:37 ID:rU66tzng
翌年2月、福永氏は初めてフィラデルフィアのチェスナットヒルにある「人間能力開発研究所」
を訪れますが、そこでドーマン氏から家族へ言い渡された言葉は厳しいものでした。
「もし、家族が自分達には出来ないと判断した場合は、遠慮なくここから退去してもらう。
そして今後一切、当研究所とは関わりを持つことが出来ないということを承知してもらいたい」。
この前提を了解した人間のみがドーマン法を続けられる仕組みになっているのです。

半年毎に組まれるプログラムは、「運動」「知性」「栄養」の三つの分野に分かれており、
一日の殆どを使って行う苛酷なプログラムの初回分が、まず福永家に渡されたのでした。

帰国後の昭和56年3/5午前7時から、いよいよドーマン法プログラムが開始されます。
家の中は家具が片付けられ、リハビリに必要な器具で溢れる訓練場と化しました。
リハビリ主導者は義父のK氏、他にパートの手伝いの方々数名、4月から専任要員
としてT青年が雇われています。
(彼は半年後に渡米し、人間能力開発研究所に勤務するようになります)
この頃の訓練時間は一日10〜13時間、毎週訓練の回数が増えていくように
組まれています。
リハビリが進むと、福永氏の肘の皮がむけ血が滲む、膝にはこぶが出来、頭上ばしごを
握り締める手のひらはマメがつぶれて血が滲む、という文字通りハードな訓練の連続でした。
昭和57年1/30に福永氏は、相手の話す言葉を反復する事が出来るようにまでなります。

134kojikoji:2003/12/12(金) 02:43 ID:rU66tzng
7月に来日したドーマン博士は福永氏の体の動きの進展に驚き、早速第二次のプログラムを
渡します。リハビリの量は二倍に増え、更に苛酷な訓練が待ち受けていました。
9月に入り福永氏は右足を1歩踏み出すのですが、それは2年5ヶ月振りの第一歩でした。

2回目の渡米は翌年の2月。この時ご家族はリハビリを実際に行ってきた経験から、
その方法等について研究所にある程度の提言をされたようです。
しかし研究所は全く取り合わず、強硬な姿勢で第3期・6ヶ月のプログラムを
渡しました。

今度のプログラムは長い距離が取れる訓練場が必要なものであり、自宅では手狭でした。
結局、中央競馬界トレーニングセンターの集会所を借り、そこで行う事になります。
この頃、リハビリ専任要員だったT青年は既に渡米しており、Aさんという女性が
代わりにリハビリ助手を勤めるようになっていました。
Aさんは、後にアメリカのドーマン研究所で研修をし、日本でドーマン法をアレンジした
施設を開設する女性です。

第三次のプログラムが終了した7月、研究所のジャネット・ドーマンが来日しました。
御一家に「リハビリを暫く休み2ヶ月の休暇を取るように」との言葉を言い渡します。
この休暇は、研究所で「ハネムーン」と呼ばれているもので、介護者の一時休暇と、
患者が家族と触れ合う暮らしを経験する事を狙いとし、設定されているのだそうです。
この頃福永氏の歩行距離は、ゆっくりながら145メートルの距離まで伸びていました。

135kojikoji:2003/12/12(金) 02:57 ID:rU66tzng
昭和58年5月、3回目の渡米で受け取った新プログラムには騎乗訓練が入っていました。
翌年の10月、栗東トレーニンゲセンターの乗馬園で、嘗ての仲間達に見守られながら
乗馬する福永氏の姿が見られました。それは事故以来、初めて馬に乗った氏の姿でした。
その現場に居た夫人の目には涙が光っていたそうです。

ドーマン法のリハビリを始めて3年、昭和58年暮れに遂に全プログラムが終了しました。
翌年1月には、研究所から福永洋一氏の生涯計画書も渡されます。
計画書に書かれている文は「この計画の目的は、予定通り子供がプログラムを達成し、
それによって同年代の者と一緒に大学を卒業し、人生の予定された軌道通り就職する。
または更に大学院に進む事が出来るようにすることである」末尾には「福永洋一は、
1987年1月のドーマン博士の再診のときをもって卒業する」とありました。
子供に向けた文章で書かれているのは、研究所が基本的に子供の為の教育機関であり、
今回の福永氏のような成人のケースは例外的であった為だと思われます。
しかし、卒業したとはいえ、まだ自分の力で歩く事が達成されていない限り福永家に
とってのリハビリは終わっていないのです。目標は、あくまで自力で歩くことなのです。

でも、その後、御一家はドーマンリハビリを止めざるを得なくなってしまいます。
福永家は研究所との意見の相違に直面し、続行することが不可能になってしまった
のです。実は、2回目の渡米の時にその芽が僅かに見えていた形跡があります。
リハビリが進んでくると、家族から「このような訓練も取り入れたらどうだろう」等と
意見が出される事があるようですが、研究所は自らのプログラム以外のものは一切
受け付けない主義です。プログラム通りにやらないのなら勝手にして下さいと、
以後の関わりを拒否し、リハビリ中止通達を出す方針を採っています。

異議を唱える者は研究所を去るしか為す術は無く、ご一家は結局それを受け入れたのです。
後は自分達のペースでゆっくりとリハビリに取り組んでいくという道を選択したのでした。
3年間続けられたドーマン法による苛酷な訓練は、ここで終わりを告げます。
3回の渡米費用を含め、ドーマンリハビリに掛けた総費用は、約5,500万円だったそうです。

136kojikoji:2003/12/12(金) 03:04 ID:rU66tzng
―その後の福永氏―

2002,9/23,北海道新聞に「天才騎手・福永洋一さん 1979年落馬しリハビリ生活」
という特集記事が載りました。
写真で見る福永氏は以前よりふっくらとし、例の福永スマイルで微笑んでいます。
この年は障害者インターナショナル世界会議が札幌で開かれた年だった為、
それにちなんで福永御一家へのインタヴューが行われたようでした。

記事の内容はリハビリ生活の記述が中心でしたがドーマンという文字は書かれていません。
現在の福永氏は、ご家族にトイレや食事などの意志を伝え、両腕を支えられて歩くという
生活を送っていられるそうです。
たまに、故郷である高知県の「南国土佐を後にして」を口ずさむ事もあるそうですが、
自ら言葉を出し相手に話し掛けるというのは、まだなかなか難しいようです。
相手が話し掛けた言葉を、部分的に反復して口に出すという対話形式になるようです。

事故当時2才3ヶ月だった長男は騎手になり、当時5ヶ月だった長女は理学療法士の
道に進んでいました。
ご家族は、事故以来いかなる時も福永氏を子供扱いしなかったそうです。
「常に一家の柱として接してきた」という義理のお父様の言葉に一家の姿勢が見て取れます。

その後のリハビリについてですが、マイペースで現在でも続けられているようです。
昨年増築したというトレーニング室には数々のマシーンと車椅子用のリフトが設置され、
そこでご自分達がベストと思う方法でリハビリに励んでいらっしゃるという事でした。
温かいご家族に囲まれて微笑む福永氏の表情は、現役時代の洋一スマイルそのままに
優しさに満ち溢れていました。

137kojikoji:2003/12/12(金) 03:12 ID:rU66tzng
―私見―

体に障害を負った場合、痛みに耐えながらリハビリを行い続けるのは本当に辛い事です。
福永氏は、苛酷なドーマンリハビリを3年間よく耐え忍んだものだと感心させられます。
又、ひたすらに献身的であった夫人とその御両親の協力的な姿勢にも胸を打たれました。
一時は植物人間状態になるのではないかと危ぶまれた福永氏ですが、ご家族の介助が必要な
状態とはいえ、何とか自宅で生活できるまでに回復なさったのは喜ばしいことです。

しかし、リハビリというものを考えてみた時、ドーマン法によって良くなったのか、
また違うリハビリ方法を取り入れていたとしても、やはり現在の状態になったのか、
又は人間が本来持っている自然治癒力によって治った部分も多分にあるのではないか、
という辺りの判定はとても難しいと感じます。
それは比べてみるデータが殆ど無いからです。

ドーマン法については、世界中の様々な専門機関がその効果について否定的な見解
を示しています。あまりにも高額な費用が掛かる事、家族に多大な犠牲を強いる事、
医学的なデータが殆ど発表されていない事などの問題点が様々に指摘されています。
研究所は、ドーマン法を実施した結果のデータを何故きちんと発表しないのでしょうか?

ドーマン氏は、嘗て福永氏が入院する病院を訪れ、「我々のプログラム通りに訓練すれば、
自分で立ち、自由に歩け、そして自由に話せるようになるだろう」と語っています。
しかし、現在の医学では脳の障害が大きければ大きいほど完全治癒が難しいケースも多いのでは
ないでしょうか? 残念な事ですが、現状では近代医学の力にも限界があります。
では、代替医療で完全治癒がもたらされるかというと、これも有効性を実証するデータが
余りにも少なく、効果の程が実証されていないのが現状です。

138kojikoji:2003/12/12(金) 03:29 ID:rU66tzng
実際に福永氏の状況を見ても、介助無しに日々の生活を送るのは困難な様子に見えます。
訪問者が誰であるのかなかなか分からない、言葉が思うように出てこないというのは、
脳の損傷に起因する後遺症なのだと思わざるを得ません。

であれば、やはり我々は障害の100%治癒をいたずらに望むよりも、患者が例え障害を
負ってはいても人間としての尊厳を守り快適な生活を送られるようにという、その点に
こそ最大限の努力をすべきなのではないかと思います。
その意味では、福永家が洋一氏を柱として尊敬する姿勢は素晴らしいと思えます。

有効性が実証されない割には費用が高額過ぎるドーマン法に対しては、
やはり数々の疑問を感じざるを得ません。
その素朴な疑問が解決しない限り、どうしても釈然としない気持ちが残ります。


私事になり恐縮ですが、先日親戚の人間が蜘蛛膜下出血で倒れ、2度の手術を受けました。
この病気も往々にして障害が残る事が多く、患者の意識が混濁する度に家族は一喜一憂
しておりました。突然の病魔は、一瞬にして我々の生活をも一変させてしまいます。

うろたえ憔悴する家族を前にして、私は一縷の可能性に望みを託して励まし続けるしか
ありませんでした。後は医師の力を信じ、患者の自然治癒力に期待するしかありません。
世の中の疾病は数限りなくありますが、脳の病気の恐ろしさを改めて痛感させられました。

地球上では、今この時間にも様々な病気と闘い続ける人達が多数いらっしゃる事でしょう。
いつの日か医学が更なる進歩を遂げ、患者の方々、ご家族の方々の苦しみが一刻も早く
取り除かれるようにと、私は心から願わずにはいられません。


参照―和田絵衣子著「奇跡への祈り」、三輪和雄著「騎手福永洋一の生還―脳障害との闘い」
   2002,9月23日付北海道新聞・特集記事
   「天才騎手・福永洋一さん −1979、落馬し、リハビリ生活―」

139<削除>:<削除>
<削除>

140saihikarunogo:2003/12/15(月) 21:52 ID:XOg4fbv.
koojikojiさんによる関連文献からの要約をもとに、
「福永洋一騎手とドーマン法について」というウェブページを作りました。

http://members.at.infoseek.co.jp/saihikarunogo/fukunagayouichidoman.html

141saihikarunogo:2003/12/18(木) 02:03 ID:OJX6.eyU
「福永洋一騎手とドーマン法について」に、「意識レベル3」についての註などを
追加しました。
http://members.at.infoseek.co.jp/saihikarunogo/fukunagayouichidoman.html

*註 (by saihikarunogo)
「意識レベル3」について

「騎手福永洋一の生還―脳障害との闘い」(三輪和雄著、文春文庫、1986年)によると、
関西労災病院では、意識レベルを次の6段階に分けています。
(1)正常。
(2)質問に答えるが、ぼんやりしている。
(3)簡単な質問に応える。
(4)呼んでも答えず、手を握ったりする。
(5)ピンで皮膚を突いて、動きがある。
(6)全く反応がない。

福永洋一氏が関西労災病院に運び込まれた昭和54年(1979年)3月4日の意識
レベルは(6)、3月16日にICUから脳神経外科病棟へ映ったときの意識レベルは
(5)、7月10日に車椅子で機能訓練室まで移動してリハビリを始めたときは(3)で、
「左側の肘、膝、手は自力で運動可能、右上下肢は麻痺しているけれども柔らかい
状態である」というもの、そして、翌昭和55年(1980年)7月ドーマン氏が
入院中の福永氏の元を訪れたときは(2)でした。

142saihikarunogo:2003/12/20(土) 14:13 ID:VMof5sMQ
>>136
>2002,9/23,北海道新聞に「天才騎手・福永洋一さん 1979年落馬しリハビリ生活」
>という特集記事が載りました。
>写真で見る福永氏は以前よりふっくらとし、例の福永スマイルで微笑んでいます。
>この年は障害者インターナショナル世界会議が札幌で開かれた年だった為、
>それにちなんで福永御一家へのインタヴューが行われたようでした。

北海道新聞の記事とドーマン法について、もと社団法人北海道私立幼稚園協会理事、
日本私立幼稚園連合会理事を歴任した、鈴木亮氏が、次のように書いています。

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続・早期教育と臨界期(5)環境の意味するもの[2] 2002.9.25 Vol.15
http://www2.snowman.ne.jp/~tb-ryo/ron2/ron15.html

 私はその一例として北海道新聞に2002年9月23日に掲載された記事を紹介したい。

 天才騎手の福永洋一さんは1979年に落馬して植物人間になったと報道されていたが、その後アメリカに渡りドーマン博士の下で機能回復訓練の指導を受け、帰国後は家族に支えられながら血のにじむような反復訓練を1日10時間、これを5年間続けた。

 その結果、現在では笑うことも出来るようになり、両腕を支えてもらえば立つことと移動することも出来るようになったと、家族と共に笑顔の写真入りで掲載されたいたものだ。

 グレン・ドーマン博士は物理療法科が専門で、脳が損傷している場合はその部位を切除することで機能回復が図れるという考え方を持ち、実際に手術の成功例も持っている。それにも関わらず宗教上の理由から非難され、アメリカ社会では受け入れられていない。

 日本では故・井深大氏が彼の幼児教育と障害者のリハビリの説を受け入れて、日本に招いて講演を行ったことがある。また彼の著書も翻訳され、「ドーマン博士の幼児開発法」(講談社刊)「親こそ最良の医師」(サイマル出版会)「読書法」(アメリカ・クワットラングル出版社)などが出版されている。

 そして私は彼の教育に対する考え方、方法論に多大な影響を受けた一人である。

 特に「幼児は読む能力を持っている。2歳から始めよう。早ければ早い程良い」という説には大いに賛同する部分であり、研究のために実践して良い結果を得た。

 従来の教育分野ではほとんどの学者、教育実践者のみならず、社会全体の流れの中で猛烈な反対や非難の渦が広がっている。だが反対の理由が必ずしも論理的ではなく、科学的な事実として証明された例は一つもない。単なる仮想的な推論と根本的に間違った情報を潜在的に信じ込んでいるといった思いこみによるものがほとんどである。
----------------------------------------------------------------

143saihikarunogo:2003/12/20(土) 14:24 ID:VMof5sMQ
鈴木亮氏は、

> グレン・ドーマン博士は物理療法科が専門で、脳が損傷している場合はその部位を切除することで機能回復が図れるという考え方を持ち、実際に手術の成功例も持っている。

と書いていますが、これはまったくのまちがいではないでしょうか?

鈴木氏は自ら脳卒中で半身不随となった後で病院のリハビリテーションと退院後の自己流の訓練で機能回復を果たしており、長年の幼児教育の実践と自身の体験から、独自の考えを著書やホームページで展開しています。

動物→(転換)→人間・その2(子育て文化ルネッサンス) 2003.11.19 Vol.23
http://www2.snowman.ne.jp/~tb-ryo/ron4/ron23.html
> 7年前、65歳の夏に脳内出血で倒れたが辛くも一命を取り留めた。だが、後遺症として「左上下肢機能全廃」となり身体障害者壱級の判定を受けた。おまけに「寝たきりで5年間の生命は保証する」と主治医からの宣告を受けた。

また、自閉症は、赤ちゃんがおかあさんのおなかのなかにいるときに話しかけてあげることで防ぐことができると考えているようです。

言葉を育てる・その1(胎児期) 2003.9.24 Vol.15
http://www2.snowman.ne.jp/~tb-ryo/ron4/ron15.html
----------------------------------------------------------------
 その昔、私が自閉症児を数人受け入れ、「言語障害・多動症・学習障害」、これら3つの合併症的障害が少しでも改善されることを願い、あらゆる方法を考え、選び、家族と共に根気よく継続訓練を実施したことがある。同時に、その原因は彼等の成育環境にあると考え、両親からの聞き取り調査を行ったが、その時に共通点だと思われる環境の欠如に気が付いた。

 それは、胎児期に母声音によるリリーサーを受けていない、もしくは音声の刺激のシャワーをほとんど受けていないと言うことだ。

 私はその頃から、アメリカの精神科医が発表した様な自閉症を先天的機能障害だと判定することには全面的に反対で、早期に発見すればする程に治癒する可能性があると考えていた。

 自閉症にならないための最も重要な方法は、徹底的に指導することである。最初の言葉の獲得は模倣が起源である。前章では模倣は生きるための本能活動であると断じたが、自閉症児はその本能が全く機能していないことも判明した。

 以上の事から、胎児期に言葉を育てることは、音声をリリーサーとして胎児に与える方法から始まると言ってもよい。これについていくつか詳述しよう。
----------------------------------------------------------------

144saihikarunogo:2003/12/20(土) 14:32 ID:VMof5sMQ
鈴木亮氏のホームページでは、他に以下のページで、
福永洋一騎手とドーマン法に言及しています。

続・早期教育と臨界期(6)
環境の意味するもの[3] 2002.10.3 Vol.16
http://www2.snowman.ne.jp/~tb-ryo/ron2/ron16.html
----------------------------------------------------------------
 前章で紹介した福永洋一さんのリハビリ方法は、非常に重要な示唆を我々教育分野にいる人間に与えてくれた。その方法とは、訓練において「胎児からの生育・発達の順次性に従う」ということである。
(中略)
 さて、断片的にドーマン博士が考えた順次性のリハビリを考えてみたが、彼の理論を証明する論文を手にすることが出来なかったので、ここでは私が知り得たリハビリの内容を紹介しよう。
(中略)
 最後に、これらの運動がいかに重要であるかは、この訓練が福永洋一さんの事故から今に至るまでの毎日の訓練カリキュラムに含まれているものであり、一定の距離をタイムを計りながら目的を持たせて訓練していることからも理解できることだろう。
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ボケ老人のリハビリに幼児の早期教育 2002.6.12 Vol.1
http://www2.snowman.ne.jp/~tb-ryo/ron2/ron1.html
> 落馬して植物人間になった競馬の福永騎手のリハビリとして、アメリカのドーマン博士は、胎児が獲得・発達させていく機能の順次性に従って訓練をした。それを長い時間をかけて根気良く続け、ほんのわずかであるが歩行能力や言葉を回復させた例がある。

145saihikarunogo:2003/12/20(土) 14:38 ID:VMof5sMQ
鈴木亮氏の著書とプロフィール

http://www2.snowman.ne.jp/~tb-ryo/index.html
「子育て環境論」(近代文藝社、1993年)
「子育ての環境学」(近代文藝社、1996年)
幼児教育あれこれエッセイ「雑感・熟考」
北海道内の紀伊国屋書店、大丸札幌店、JRタワー旭屋書店で発売中

社団法人北海道私立幼稚園協会理事、同研究委員長を経て日本私立幼稚園連合会理事に選任され、同研究常任委員等を昭和54年3月まで十数年にわたり歴任。「健康」、「自然」、「幼児の交通安全教育」、「家庭における幼児教育」等の各領域で全道全国各地にて助言者、講師として活躍中。

昭和50年 北大三宅教育学部長と共にアメリカのスタンフォード大学、マサチューセッツ大学の幼児教育を視察、ヘス・デェイ両大学教授と教育討議懇談。
昭和53年3月 あすなろ書房より「やる気を育てる幼児教育」を出版。
昭和53年7月 国際幼児教育会議の第1分科会「遊びと仕事」に日本代表パネラーとして研究発表・討議。
昭和54年 北海道教育大学釧路分校非常勤講師。1月より北海道新聞学芸欄「保育日誌」、「保育ノート」執筆担当。 財団法人日本保育学会会員、財団法人幼少年教育研究所所員となる。
昭和58年 教育出版より「赤ちゃんばんざい!」が出版され、その中に曽根綾子(作家)、小松左京(日本沈没、SF作家)、広中平祐(ノーベル賞受賞者)、畑正憲(作家ムツゴロー)などの各界の権威者と共に対談が掲載される。読売新聞に「幼児開発協会の理事、井深大(「世界のソニー」を築き幼児教育に情熱を注ぐ著者)が各界の文化人と語った珠玉の幼児教育対談集である」とその内容を紹介される。
平成元年6月 日本保育学会にて「ニューメディアと保育」のシンポジウムパネラーの依頼を受ける。
平成2年10月 TBマーガレット・行動工学研究所を設立。
平成5年11月 近代文藝社より「子育て環境論」を出版。
平成8年4月 近代文藝社より「子育ての環境学」を出版。

146kojikoji:2003/12/21(日) 07:53 ID:wZa0RlvU
Saihikarunogoさんが紹介された鈴木亮氏のエッセイで、気になった点が数点あります。
まず、2002,9,23付の新聞記事ですが、鈴木氏は以下のように新聞記事を紹介されています。

>私はその一例として北海道新聞に2002年9月23日に掲載された記事を紹介したい。
>天才騎手の福永洋一さんは1979年に落馬して植物人間になったと報道されていたが、
>その後アメリカに渡りドーマン博士の下で機能回復訓練の指導を受け、帰国後は家族
>に支えられながら血のにじむような反復訓練を1日10時間、これを5年間続けた。

実際の記事にはドーマンという文字が無く「リハビリの権威」という表現が使われています。
福永氏がドーマン法を続けた期間ですが、3年経った所で卒業認定されたものの、まだ自分で
歩けない・喋れないという状態だった為、御一家は暫くの間ドーマン法を続けていらしたよう
です。新聞記事によると、約5年間続けたと書いてありました。しかし、その時期に前後して
研究所とのトラブルがあり、「人間能力開発研究所」を脱会されたようです。
調べても、どの資料にも脱会した時期が明記されておらず、年度は特定出来ませんでした。

他に、鈴木氏の以下の記述に疑問があります。
>グレン・ドーマン博士は物理療法科が専門で、脳が損傷している場合はその部位を切除す
>ることで機能回復が図れるという考え方を持ち、実際に手術の成功例も持っている。

グレン・ドーマン氏は理学療法士であり医師ではない為、自身で手術を手がける事は
有り得ないと思いますが、手元にあるドーマン著「親こそ最良の医師・2000年改訂版」
を読んでみても、上記の点に関するような記述はどうも見当たりません。
ドーマン氏が嘗て勤務していた病院のフェイ医師に関する記述は詳しく書かれていますが。

ドーマン氏は理学療法士になって間もなくの頃、テンプル大学医学部付属病院に勤務して
いましたが、その病院には脳神経外科医の権威・テンプル・フェイ博士がいました。
脳手術を見た経験が一度も無いドーマン氏に対して、フェイ博士は、ある日見学を許可
します。その手法・考え方に魅了されたドーマン氏は、そこで脳神経学や脳神経解剖学
について多くを学んだと著書の中で語っています。暇を見つけては度々手術室に入って
いた為、理学療法科の上司に注意される程だったとも述べています。(21〜30p)
後年、ドーマン氏は脳障害児の為の研究所を開きますが、フェイ医師から受けた影響
こそが研究所開設の原動力になったことは間違いないようです。

次に、2002,9,23の北海道新聞・福永元騎手に関する記事を全文掲載します。

147kojikoji:2003/12/21(日) 08:08 ID:wZa0RlvU
ここからは、福永騎手について書かれた新聞記事を転載します。

見出し  −天才騎手・福永洋一さん・1979年落馬しリハビリ生活―

序文―突然の事故に愛する家族が見舞われ、障害者になったら・・・?
   中央競馬で天才騎手の名をほしいままにしていた福永洋一さん(53)は23年前の
   レースで落馬、大けがを負った。少しでも回復させたいと願う家族の懸命な思い
   に支えられ、福永さんはリハビリに励み、笑顔を取り戻した。
   10月に開かれる障害者インターナショナル(DPI)世界会議札幌大会を前に
   滋賀県栗東市に住む福永さん一家を訪ねた。        (稲塚寛子)

―序文の下段に福永洋一氏の経歴欄―

ふくなが・よういち。高知県出身。1968年に19歳で騎手デビュー。
70年から78年まで中央競馬の9年連続リーディングジョッキーに輝く。
通算騎乗数5086回。そのうち1着は天皇賞(72、76年)、皐月賞(77年)など983回。
獲得賞金71億円。79年3月毎日杯レース中に落馬、重傷を負い、騎手生命を絶たれる。

148kojikoji:2003/12/21(日) 08:17 ID:wZa0RlvU
本文見出し1  −厳しく温かく支える家族―
本文見出し2  −妻有見子、義父・多毅夫さん「一家の柱として」−

応接間の棚に賞状、トロフィー、写真がぎっしりと並ぶ。ひときわ目を引くのは
9年連続リーディングジョッキー(年間最多勝騎手)の功績をたたえるトロフィーだ。
1979年春、絶頂期に起きた落馬事故。一時は「危篤」とも報じられた。手術、リハビリ
を経て福永さんは1年8ヶ月後に退院。妻有見子さん(47)の懸命な看病もあり意識は
回復したが、寝返りさえ打てなかった。

小見出し    −手のひらにマメ ストレス増すー

「このまま洋ちゃんの一生を終わらせるわけにはいかない。わずかな可能性にもかけたい」。
有見子さんは、よりよい治療法を求め、父・北村多毅夫(たつお)さん(77)と81年に渡米。
リハビリの権威からトレーニングについての指導を受けた。
帰国後、同年3月から父と母・眸さん、手伝い2人の計5人で一日10時間もの機能回復
訓練を約5年間続けた。「幼い2人の子育てにも追われ、つらかった。亡き母がいたから
できたようなもの」と有見子さんは振り返る。訓練は苛酷だった。手足に力が入らない
福永さんを立たせ、頭上に設置した棒を握らせ、歩かせた。
毎日、一定の距離をはわせタイムも計った。
福永さんの手のひらにマメができ血がにじむことも。ストレスが重なってか、おなかを
こわしたこともあった。家族ぐるみのリハビリが実り、福永さんは同年9月には自分で
立てるまでになった。その回復ぶりは米の専門家も舌をまくほどだった。
有見子さんたちにトイレや食事などの意思を伝え、両腕を支えられて歩く。
以前からの愛唱歌「南国土佐を後にして」も笑顔で口ずさむ。

149kojikoji:2003/12/21(日) 08:25 ID:wZa0RlvU
小見出し    −娘は理学療法士 息子は騎手にー

落馬事故のとき、長男祐一さん(25)は2歳3ヶ月、長女妃呂巳さん(23)は、
わずか5ヶ月。2人は懸命にリハビリに取り組む父と支える家族の姿を見て育った。
多毅夫さんも有見子さんも洋一さんを子ども扱いはしなかった。
「一家の柱として接してきた」(多毅夫さん)。
厳しくも温かい家族の思いはしっかりと子に受け継がれた。
祐一さんは父と同じ中央競馬の道を選んだ。妃呂巳さんも理学療法士となり、
神奈川の病院で患者の機能回復訓練に努めている。一家にとって北海道は縁が深い。
多毅夫さんは帯広生まれで獣医の資格を持ち、道庁に勤めたこともある。
有見子さんも小学1年まで日高管内浦河町で過ごした。
洋一さんが元気なころはレースの開催に合わせて札幌に長期滞在した。
20年以上、洋一さんとともに暮らす多毅夫さんは「洋一さんはわが子も同然」と
目を細め、有見子さんもそんな2人を温かくみつめる。
最近、一家はトレーニング室を増築した。祐一さん用のマシーンが並ぶなか、
洋一さん用に車いすのリフトも設置した。
「また訓練しようか」。多毅夫さんが話し掛けると洋一さんが笑顔を返した。

(以上、2002年9月23日、北海道新聞朝刊記事より原文ママ転載させて頂きました。
記事中央には、洋一氏、奥様、奥様の父上の素敵な写真が掲載されています。尚、
見出し・小見出し・序文・本文などのタイトルは、説明上こちらで付加したものです)。

150saihikarunogo:2004/01/03(土) 18:06 ID:ILla/g.g
以前、沖縄で、ドーマン法を実施しているこどもさんの話が、
琉球新報などに載りました。
その沖縄では、スリーインワンという、ヒーリングの講演会もおこなわれ、
琉球新報で報道されています。
このスリーインワンのサイトで、日木流奈さんとドーマン法のことが
引き合いに出されています。
学習遅滞児の能力を開発し、普通児かそれ以上にする、などと謳っているところは、
まさに同工異曲の能力開発法だと思います。

スリーインワン ってなあに!
http://www.swanhouse.net/3in1.html
------------------------------------------------
「スリーインワン」と言うと、ちょっとニューエイジ界に詳しい方なら
名前くらいは知ってるかもしれませんね。スリ−インワン・コンセプツは、
体・心・魂の統合を意味し、1982年頃にゴードン・ストークス、
ダニエル・ホワイトサイド、キャンディス・キャロウェイという3人の
アメリカ人によって生まれた、より自由に本来の自分に出会っていくための
ホーリスティック・ワークなんです。92年に日本に上陸(?)して、
地道だけど着実に広がってきてます。

 今年沖縄でも脳の権威であるドーマン博士(日木流奈君が使っているドーマン法の
創始者です。)が来沖されていましたが、人間の脳に対する関心がとても
高まっていることが伺えます。人間の脳はその潜在能力のたった5%くらいしか
活用されておらず、残りのほとんどはフタをされてる状態だそうです。
スリーインワンも学習障害の子供たちの研究から始まっていて、脳を活性化し、
感情を解放することで、学習遅滞児たちがめきめきと、普通児かそれ以上になる
という効果をあげてきています。スリーインワンの筋反射テストをすることで、
右脳と左脳が活性化され、自分が本来持っているのに眠っている力を取り戻して
いけるんです。自分の内側にある無限の可能性に対して開いていくのは
わくわくする様な冒険だと思いませんか?
------------------------------------------------

2003年4・5月 ダニエル ホワイトサイド
ワークショップのお知らせ
http://www.swanhouse.net/daniel2003.html
------------------------------------------------
沖縄の講演会を琉球新報で取り上げていただきました。
(琉球新報5/21朝刊22面「人ピープル」欄)
たくさんの方の協力のおかげで、100名の方に講演会に来ていただくことが
できました。
みなさんありがとうございました。
------------------------------------------------

Swan House
http://www.swanhouse.net/

151kojikoji:2004/01/13(火) 23:00 ID:3NXulNsw
当めも・らんだむNo.134投稿文の一部に補足事項があります。

>Aさんという女性が代わりにリハビリ助手を勤めるようになっていました。

これは、三輪和雄氏の著作「騎手福永洋一の生還(単行本「騎手福永洋一の闘い」
を文庫化に伴い改題)からレポートしたものですが、Aさんは男性である事が最近
判明しました。
その後に読んだ「奇跡への挑戦(木本正次著)」でもAさんは女性という記述が
されており、女性でも使われる名前の為か、どこかで行き違いがあったものと
思われます。一応お断りをさせて頂きます。

152dingbats:2004/01/14(水) 17:13 ID:9jvJA0Ho
宮城県知事の浅野史郎氏、憶えている方も多いと思いますが、
といえば「奇跡の詩人」を見て感動したと自身のWEB日記でとりあげ、
そのことを県議会でも突っ込まれた御仁です。
夢ライン ジョギング日記 2002.4.29
http://www.asanoshiro.org/jogdiary/02/02045.htm
「奇跡の詩人」問題の質問と知事答弁 2002.7.10の県議会答弁
http://www.ki.rim.or.jp/~jcpmk/kiseki020710.htm
さて、さらにその後の話になりますが、宮城県知事に対して
昨年度ある提言がなされました。
「拝啓宮城県知事」
障害児・者の医療・療育に関わる医師たちからの提言
http://member.nifty.ne.jp/kazu-page/mcare/mc-21d.htm
>2003年7月7日、障害児・者の医療・療育に関わる宮城県内の医師有志代表が、
>県庁知事室で浅野史郎知事と面会し、「提言」の主旨を説明、合わせて、教職員の
>実務研修システム(案)などの提案も行いました。
文中説明される「宮城方式」の評価を踏まえて、教員方による「医療的ケア」が
実施されていけば大変素晴らしいことだと思います。現状は各地域や擁護学校に
よって対応はさまざまな訳ですが、福祉に造詣の深い浅野知事にもここはひとつ
積極的に動いていただきたいと感じました。宮城県有志がんがって〜。

153dingbats:2004/01/14(水) 17:14 ID:9jvJA0Ho
文章変だし、改行が…すみません、恥ずかしいなあ。うう(泣

154もとぼら:2004/01/25(日) 01:29 ID:eP1cE7D6
こんばんは〜
おひさしぶりです。
dingbats さん、雑談できるスレッド作って頂けると嬉しいなあ。
日常のあれこれをちょこっと気楽に書き込めるって感じのスレッドです。
ご検討ください。



ご検討お願いします。

155みづき:2004/01/25(日) 17:41 ID:WDKPaXiY
もとボラさんだぁー、Tさんもいらっしゃるかなぁ。
うるうる。

156kojikoji:2004/01/25(日) 21:40 ID:KTlx443M
motoboraさん、お久し振りです。最近お見えにならないので心配してました。
雑談スレッドもいいですね〜 そういうスレがあるとホッとするかもです。
賛成一票!

157dingbats:2004/01/26(月) 00:05 ID:nM0B.fMI
もとぼらさん、おひさしぶりでっす。お元気でしたかー?

ご提案ありがとうございます。「雑談しよう、そうしよう」スレを立てましたので
どんどんご利用ください。ネーミングのセンスのなさは平にご勘弁を(汗

158saihikarunogo:2004/01/28(水) 11:48 ID:KoJaMuhQ
神戸新聞に、明るいニュースが載っています。

「負けない」決意の作詞、CDに 重度障害の原田君 2004/01/28
http://www.kobe-np.co.jp/kobenews/sougou04/0128ke10780.html

重度の脳性麻痺なんだけど、電動車椅子で移動し、トーキングエイドで
話をし、詩をつくり、音楽の先生がギターをひいて作曲しているそうです。
新聞には、元気でいたずらずきそうな笑顔の写真が載っています。

159dingbats:2004/06/15(火) 10:57 ID:EtrOSzmQ
たまには、ドーマン法を好意的に取り上げている文章も紹介しておきます。

リンクを張るべきかどうか迷いましたが、既に公的なメディアで紹介済みであること、
また現在ネット上でも一般にアクセス可能な状態で公開されていることの2点から
プライバシーの侵害には当たらないと判断しました。

↓大阪日日新聞 2003.3.15の記事紹介ページ
http://petal8.hp.infoseek.co.jp/AGAIN/hiroba2.html

↓平成15年度「福祉の作文コンクール」高校生の部最優秀賞作品(主催:沖縄県社会福祉協議会)
http://www.okishakyo.or.jp/html/sakubun/sakuhin/H-sai.html

160dingbats:2004/06/22(火) 16:33 ID:4krH1nFE
↓Child-Health Reviewsというサイトから。FCで書かれた本への書評があります。
↓A Child of Eternity: An Extraordinary Young Girl's Message from the World Beyond
http://www.health-issue-books.com/Chagas-Disease-American-Trypanosomiasis/Child-Health/Child-Health_59.html

161dingbats:2004/07/01(木) 22:59 ID:LwIc1iHQ
Facilitated Communication (FC) と Doman Method
海外文献翻訳資料集 が更新されました。新資料は下記の2点です。

★神経障害をもつ子供へのドーマン−デラカト治療法 (1968年10月)
★自閉症についての活動評価報告書(1995〜2000年)議会報告
(1996年12月11日法)仏政府 雇用・連帯省 社会事業局
のファシリテイテッド・コミュニケーションに関する記述(2000年12月)

162dingbats:2004/07/01(木) 23:02 ID:LwIc1iHQ
>>161 URLを書き忘れましたm(_ _)m
↓Facilitated Communication (FC) と Doman Method 海外文献翻訳資料集
http://www.geocities.com/validationluna/

163saihikarunogo:2004/07/08(木) 20:26 ID:.D8fP9xI
海外文献翻訳資料集、私も、さっき、行って来ました。
★神経障害をもつ子供へのドーマン−デラカト治療法 (1968年10月)
これはかなりくわしく、USAやカナダの学会の見解が述べられていますね。
★自閉症についての活動評価報告書(1995〜2000年)議会報告
効果が証明されていないのに、専門職のなかにも支持する人がいると……

164dingbats:2004/08/06(金) 18:22 ID:IoTNT/Ik
最近明らかになったNHKの巨額着服の件、続報が次から次へと出てきてますね。
相変わらずの隠蔽体質が問題の根幹にあるように思えますが。本当に反省しているのかな〜?
http://www.nhk.or.jp/pr/owabi.html

165dingbats:2004/08/31(火) 23:49 ID:h6YfCmpQ
障害保健福祉研究情報システム(DINF)ホームページでは
「リハビリテーション研究」誌バックナンバーを読むことができます。
気になった記事を2つあげておきます。

プラノ大学─脳損傷者の革新的教育
脳損傷者の大学教育を可能にしたユニークな教育プログラム
Glenn D.Kittler(Coronet,March 1968から)奥野英子訳
1973年4月(第10号)34頁〜37頁所収

http://www.dinf.ne.jp/doc/japanese/prdl/jsrd/rehab/r010/r010_034.htm
脳損傷精神薄弱児の指導計画 ―バーシとデラカト―
武田 洋(秋田大学教育学部講師)
1973年10月(第12号)12頁〜25頁所収
http://www.dinf.ne.jp/doc/japanese/prdl/jsrd/rehab/r012/r012_012.htm

-------------------------------------------------------------------
上記どちらも大真面目にドーマン-デラカト法を論じているわけですが
>>162の海外翻訳資料集と対比して読むべきかと思います。そもそも
ドーマン法理論の基幹となる個体発生説自体(以下ry

ちなみに個体発生説を唱えたヘッケル先生は自らスケッチを捏造しますたw
http://tak0719.hp.infoseek.co.jp/qanda/FOETUS.htm

プラノ大学は、1964年にテキサス州プラノにマレーシアの王族から寄付を受けて
発足しましたが(マレーシア皇族だかのサイトにドーマン誉めてる手紙もあり)
早くも'67年には金融上の警告を受け、'73年には学習障害を持った学生のための
実験のプログラムはフィラデルフィアの人間能力研究所に移行し、'76年に経営難
のため閉学した---とのことです。
http://www.excite.co.jp/world/english/web/

先年テキサスの大学の講座での治療かインチキか?って題材にドーマン法が
選ばれたのも彼の地の縁なのかもしれません。
http://www7.tamu-commerce.edu/socialwork/597-001.htm

166dingbats:2006/01/11(水) 13:36:05 ID:flv7GdX2
あけましておめでとうございます…というか久しく御無沙汰しておりました。
最近目についたニュースを2つと関連URLを貼っておきます。

★進化論否定教育は違憲 米連邦地裁判決「ID論は宗教的見解」
 2005年12月21日 (水) 15:33 (産經新聞)
http://news.goo.ne.jp/news/sankei/kokusai/20051221/e20051221002.html

記事にある如くID論(インテリジェント・デザイン論)とは、何らかの
「知的設計」によって人間が生まれたとする進化論を否定する説ですが、
『ID論をめぐっては、ブッシュ大統領も進化論以外の考え方を学校で
教えることに賛意を示すなどしている』てのが、なんとも。。。

日本でも「水にありがとうと声をかけると奇麗な結晶ができる」なんて
授業を道徳の時間にやる学校もあるそうで、これまたイヤハヤであります。

★「ニセ科学」どう向き合う 物理学会、3月にシンポ
 2006年01月05日 asahi.com
http://www.asahi.com/kansai/news/OSK200601050043.html

★物理学会でのシンポジウム開催のおしらせ
http://www.gakushuin.ac.jp/~881791/events/JPSsympo0306.html

★ニセ科学入門
http://www.cp.cmc.osaka-u.ac.jp/~kikuchi/nisekagaku/nisekagaku_nyumon.html

『最近のニセ科学は「科学らしさ」を装っている場合が多く、オカルトや心霊現象には
だまされない人でも、「科学」として信じてしまう場合が少なくない(asahi.com記事より)』
がために、単なるヨタ話以上に弊害はより大きいと考えられます。ニセ科学入門の菊池氏が
書かれているように「信じたい説のみを受け入れてそうでない説は信じない」態度では、
結局のところ真実からますます遠ざかるばかりでなく日々の生活全般に影響を生じてしまいます。
信じる心の大切さ以上に、冷静な判断も忘れずに…ということで今年もヨロシク。では〜。

167dingbats:2006/04/26(水) 19:55:42 ID:XQ3Q6/Q.
もうじき「奇跡の詩人」放映から4周年ですね。
その後、皆さんどうしているのかなあ……。とりあえずボチボチと。

★物理学会シンポジウムは無事終了、講演資料へのリンクが更新されました。
http://www.gakushuin.ac.jp/~881791/events/JPSsympo0306.html
ドーマン法については触れられていませんが、考え方の基本としてどれも非常に
分かりやすくまとめられた資料なので一読の価値ありかと。

おまけ:「水からの伝言」への批判、アメリカの学者さんから一刀両断ですw
http://www.its.caltech.edu/~atomic/snowcrystals/myths/myths.htm

168dingbats:2006/04/26(水) 20:06:06 ID:XQ3Q6/Q.
>>165でちょろっとネタふりしたプラノ大学とドーマン博士の関連について

ドーマン博士の「博士号」はどっから出たんだ!?てのが今ひとつ確信もてなかったけど
まあココかな、と。今では他の博士号もお持ちかもですが。

1)プラノ大学とドーマン法の馴れ初め
学長のモリス博士自身が、そもそもドーマン法に傾倒し学部を擁することに
積極的だったことが分かります。そのため大学開設初年よりモリス博士は
パターニング論争の的になりました。
↓プラノ大学─脳損傷者の革新的教育
http://www.dinf.ne.jp/doc/japanese/prdl/jsrd/rehab/r010/r010_034.htm
↓おまけ
↓Robert J. Morris Is Dead at 82; Crusader Against Communists
↓  from the New York Time Obituaries on Thursday, January 2, 1997
元URL:http://www.writing.upenn.edu/~afilreis/50s/morris-obit.html


2)ドーマン博士に宛てたマレーシアの皇族の手紙
ドーマン博士絶賛とともに「プラノ大から名誉博士を授与された」と書いてあるんですね〜。
> He is honoured with a Doctorate of Science from the University of Plano.
↓Oleh : DATIN SERI DR. SITI HASMAH BINTI HAJI MOHD. ALI Tempat: THE ...
http://www.pmo.gov.my/WebNotesApp/isteripmmain.nsf/13fe37647084043d48256db8002b2e8a/6a628442afeddc084825674f00158125?OpenDocument


↓おまけ
↓Handbook of Texas Online: UNIVERSITY OF PLANO
http://www.tsha.utexas.edu/handbook/online/articles/UU/kcu4.html
おまけを読んでもらうと、マレーシアの政府がプラノ大設立時に建物を寄贈している、と。

3)オランダの個人サイト
> He has received an Honorary Doctorate in Science, University of Plano.
と、これまたハッキリ書いてあります。
↓How to teach your baby to read, eerste deel
pabotil.fontys.nl/pabo2/bb2-1/ 6.%20leerstofordening/doman/doman1.htm
※サイト自体は現在もあるけど、肝心のページは上位フォルダは削除してあって
webアーカイブでも出てきません。どーも本を丸写ししたのでコソーリ消したっぽい。
これって「How to teach your baby to read」の今の版でも書いてある事なのかなー。
日本語版にはこんなこと書いてなかったと思うんだけど、どうなんでしょう、、、知りたい。

上記参考サイトは "university of plano" "doman" で検索してもらえれば出ると思います。

169dingbats:2006/05/27(土) 01:21:26 ID:D0BHmSqE
突然ですが、先月末にやったフジTVの「人体再生ロマンSP ll」について雑感。
↓番組公式ページ
http://www.fujitv.co.jp/ichioshi06/060429jintai/index2.html

たまたま見て番組名を失念していたもので、書こうと思いつつ遅くなってしまいました。
番組中のいくつかのエピソードのなかに、ちょっとひっかかるものがあったんです。
生まれつき足の麻痺している女の子が必死の訓練に励んでいて、いつか自分の足で走る事
という夢を語っていました。彼女や家族の頑張りは賞賛に値するものです。しかし、
その夢が叶う日が果たして来るのだろうか?と。私が残酷なだけなのかもしれませんが。

全盲になった男性が機械によって視力を得たものの期待したように「見る」ことは出来ず、
結局は機械をはずしてしまったという話などは非常に考えさせられるものがありました。

この辺りは以前に受容スレで話していたことと絡めて考えていければと思いますが
しょせん素人の悲しさよ。受容という言葉ひとつ取っても大変に難しいテーマです。
「ふぐりんの情報発信 −障害・社会・リハビリテーション−」というサイトの論文等が
読み応えあったので参考まで。

↓障害受容
http://www5.ocn.ne.jp/~tjmkk/syougaizyuyou.htm

↓リハビリテーション臨床における「障害受容」の使用法
↓―臨床作業療法士へのインタビュー調査の結果と考察―
http://www5.ocn.ne.jp/~tjmkk/ta10zyuyouintabyu.htm


最後に、この番組について評しているブログがあったので紹介します。
↓CRASEED Rehablog <Dr. Domen's Blog for Medical Rehab>
↓昨日のフジテレビ『人体再生ロマンスペシャル』について
http://blog.goo.ne.jp/craseedblog/m/200604

「メディアの医療関連問題の伝え方は、もっと冷静に淡々と、共感しつつ、客観性も失わずにお願いしたい」

……道免氏のこの言葉、これにつきるんじゃないでしょうか。

170dingbats:2006/06/14(水) 16:11:51 ID:XOxAZ5hU
http://www.atr.jp/html/topics/press_060526_j.htmlより
HondaとATR、脳でロボットを操作する基礎技術の開発に成功

(株)ホンダ・リサーチ・インスティチュート・ジャパン (以下HRI)と、(株)国際電気通信基礎技術研究所(以下ATR)は、
共同で新たな「ブレイン・マシン・インターフェイス(以下BMI)」を開発し、 脳活動でロボットを操作する基礎技術を発表した。
この新技術により両者は、これまでのBMI技術と違い、 脳への電極の埋め込みや特殊な訓練なしに、自然な脳活動を解読して、
リアルタイムに近い速度で、ロボットを 動かすことに世界で初めて成功した。これにより人と機械をつなぐ新しいインターフェースの
可能性がひらかれた。
-----------------------------------
わたくし用メモ
fMRIという装置を使用してロボットハンドによるジャンケンの動作再現を85%の精度で成功した。
被験者に負担をかけずに済む新しいインターフェイス!
他にも色々研究しているので---視覚のデコーディングが出来るとかね http://www.atr.jp/html/topics/press_050425_j.html
---今後も注目。詳しくはATR 株式会社 国際電気通信基礎技術研究所サイトへ。
http://www.atr.jp/index_j.html
-----------------------------------

ところで。既に去年の話ではあるのですがNHKスペシャルで「立花隆最前線報告 サイボーグ技術が人類を変える」という
番組 http://www.nhk.or.jp/special/libraly/05/l0011/l1105.html をやってたんですね。知らんかった...orz 
ちなみに放送文化基金賞のテレビドキュメンタリー番組賞も授与されてた、と。う〜ん見逃したのがつくづく惜しい。
放送後、東京大学立花ゼミ生によるSCI(サイ)というサイト http://matsuda.c.u-tokyo.ac.jp/sci/ が作られているので
これからじっくり読もうっと。。。

171dingbats:2006/07/13(木) 10:02:21 ID:LWVuSeBE
★お知らせ
海外サイトの宣伝が大変じゃまくさいので、とりあえずしばらくの間
スレッド連続作成規制および.jp 以外のホストからの投稿禁止にします。


★わたくし用めも
Sue Rubin, Autism Is a World, CNN, James Randi, Biklen,  $1,000
http://www.amazon.com/gp/product/B0009JFDFO/002-8262205-9807231?v=glance&n=130
http://www.baam.emich.edu/baamnewsarchive/BAAMbnaautismmovie.htm
http://www.srmhp.org/0401/media-watch.html
http://www.randi.org/jr/081205another.html

172John Doe:2008/06/10(火) 23:34:14 ID:F/5oNWOM
23c88c27900074e86a3a6c087ad77487

173:2009/12/11(金) 19:04:11 ID:0ysL217w
「23年間昏睡」の男性:「コンピューターによる会話」は本当か?
ttp://wiredvision.jp/news/200911/2009112623.html

動画(ご覧の通り完全に看護士が指さししています。日木家と全く同じケース)
ttp://news.bbc.co.uk/2/hi/europe/8375326.stm

174:2010/01/20(水) 23:20:18 ID:0djESBkk
>>173のおっちゃん、今日テレビで自らたどたどしく声を出しているところが紹介されていた。

直近の記憶が出来なくて身内の名前をようやく二人ほど覚えたようす。
自分が23年間昏睡していたことを何度説明されても理解出来ないらしく
自分の年齢も事故当時の年齢と認識したままの状態とのこと。

第三者がこのおちゃんの手をわしづかみにして文字盤を指さし、「叫ぼうとしても、
声が出なかった」「医師や看護師が私に話しかけようとして、結局断念するのを目の
当たりにして、苦痛を味わった」などと語ったことにされていたが、案の定、今日の
映像ではそういうことをしゃべるどころか自分が長年昏睡していたことも理解出来て
いない状態。

こういう状態の人間をこれ幸いと利用し、美談に作り替えねつ造した作り話で一儲け
という人間達の存在が、NHKで放送された「奇跡の詩人」そっくりな展開でした。

175名無しさん:2011/09/16(金) 15:53:46 ID:zr82WwEM
昨年本多先生が亡くなられたと伺いました。
心よりご冥福もうしあげます。
お世話になりました。

176名無しさん:2011/12/31(土) 13:12:17 ID:lr/iswhA
私ここで結構おいしいおもいしました。
詳細は書けないけど、やり方次第ですね(^O^)
ttp://bit.ly/rRzIgw



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