http://homepage3.nifty.com/studio-x/text/nagaoka_folder/nagaoka%20-top.html というわけで、そうなんだそうです。エヴァ前夜、90年代前半ってアニメにあんまし力がなくてアニメ関係者が当時隆盛を極めていたゲームのほうにこぞって流れたみたいなんだけど、それはちょっと見方を変えるとゲームバブルが落ち目のアニメを養っていたとも言えるわけで、初期ギャルゲー(声優のアイドル化とほぼ同時進行)とのメディアミックスなんてのはその典型となるでしょう。まあ僕はそのへんは『アイドルプロジェクト』(長岡、渡部、St.へらくれす)と『女神天国』(西島、山内、スタジオファンタジア)くらいしか関心ないんだけどさ。でも星界シリーズやAIKA、ナジカといった注目すべき作品を世に送り出し現在第一線でバリバリ仕事してる人たちが、おそらく自分たちでやりたいことをやるなんてことが許されなかった時期に、初期ギャルゲーをパトロンにアニメ力を磨いていったのはたぶん間違いないことで、やれることがごく限られた状況で面白いアニメを作ろうと頑張ったであろうことは作画オタも垂涎のアイドルプロジェクトの3巻あたりを見れば想像に難くなく、パンツパンツ言われながらもいざ見てみると単純にアニメとして無茶苦茶楽しいナジカを支えているのは、PCエンジン誌の読者企画を事の始まりとするなんてな厳しい条件下でそれでも決して捨てることのなかった面白いアニメを作ろうとの志なのである。いや、ある程度やりたいことやれる時代状況と発言力をものにしたっていうのにあんたらのやりたいことって結局パンツに乳にロボットなのかよ! とかは思わなくもないのだが、なんつうの? パンツとか乳とかロボットってもう普通に空気じゃん? できて当然っていうか朝飯前っていうか、そういうのって芥川における漢文みたいなもんじゃん? 芥川の口語文に彼の漢文の素養がマイナスとなってるなんてことはありえないし、つうか逆に張りと品格をあたえてるわけでしょ。同じようなことだと思うんだ。パンツと乳とロボットはアニメに潤いと余裕を与えてるんだと思う。そしてそこに留まらずそういう意匠の部分を還元して「アニメの楽しさってなんだろう?」ってなところに迫り得る均質的な何かを僕はナジカやゴーダンナーから感じるんです。そうした中からこそ僕が愛して止まない『STRATOS4』や『星界の戦旗 II 』は生まれたはずなのだ。
ゴーダンナーは時期を同じくして始まった、そして画面サイズも同じ 16:9 である新月譚の画面作りのあまりのしょぼさに桜美かつしなんぞとは格が違いすぎる長岡康史の才能に改めて感じ入ってしまったというところもなくはない。まあこういうタイミングみたいのはだいたい同じ時期にともにハイクオリティを誇る出来映えで世に出ながら作画・演出・音楽・脚本その他ありとあらゆる面で格が違ってしまった世紀の傑作『エイリアン9』とマジでどーしょーもない凡作『READ OR DIE』みたいな例もあるわけで(ちなみに見る前の期待度は後者のほうがずーっと高かった)、まあ同時に見ることで見えてくるものもあるってことか。R.O.Dの新しいのは見なくてもだいたいどんなだかわかっちゃう気がしていますぐ見ようって気にならないんだよなあ。そのうち見ると思うけど。でもティーチャーからツインズっていうまさかまさかの大ドンデン返しもあるわけだしなあ。ううむ。